街角のあちこちに立っているハンブルクのマスコット、フンメルおじさんは、確かにベルリンの熊さんのように可愛くはない。それどころか肩に担いだ天秤棒に桶を二つぶら下げているので、旅行者の中には昔懐かしい「おわいや」さんだと思っている人も多い。だが、フンメルさんの仕事はヴァッサー・トレーガー(水運び人)と言って、まだ水道が完備していなかった時代に、井戸から汲み上げた水を各家庭に運び届けては幾ばくかの代金を戴いていた立派な職業だったのだ。ベートーヴェンと同時代のイタリア人作曲家ケルビーニは「ヴァッサー・トレーガー」という歌劇を書いているほどである。
このフンメルさん、実は本名をヨハン・ヴィルヘルム・ベンツ(Benz)さんと言う。シューベルトと同い年、1797年生まれのハンブルクに実在した人物で、このベンツさんが重い水桶を担いで通り掛ると、近所の悪がきどもが、「やーい、フンメル!フンメル!」と囃し立てた。Hummelとはミツバチのことだが、有名な作曲家もいるように人名にも多い。手も足も出せないベンツさんは、「このくそがきめ、モアス!モアス!」と言い返すしかなかった。Moasはハンブルクの方言で「お尻」のこと。「オレの尻(ケツ)でもなめろ!」というスラングで口汚く罵倒した訳だ。そのやり取りがいつの間にか「フンメル!フンメル!」、「モアス!モアス!」というハンブルガー同士の挨拶になったらしい。Hamburgerというのは、ハンブルク生まれの人達で「江戸っ子」のようにプライドが高い。この挨拶も知らないようじゃハンブルガーとは言えないね、ということなのだろう。しかし、なぜ子供達がベンツさんをフンメルと呼んだのか?については諸説あるようだが、何ぶん昔の事なので今ひとつはっきりしない。生粋のハンブルガーを自認する人も、その点については「さあ、、」なのだ。
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閑散とした広場に佇むこれが“元祖”フンメルl像 |
ベンツさんの足元には子供達が纏わり付いている |
かつてベンツさんが水汲みをしていたであろうBreiter Gangの広場には記念の石像が立っている。山高帽にナポレオンが着ていたような軍服姿の“元祖”フンメルさんは、街中で見るずんぐりとした人形と違い、長身で凛々しく中々ハンサムである。この像は本人の肖像画を元に作られたのか?ヴァッサー・トレーガーは認可制だったのか?これが当時の制服だったのか?興味は尽きない。
碑銘を読むと、1938年に二つの建設組合が協力して建立し、ハンブルク市に寄贈したもののようだ。石像の裏に回ってみると、確かにいたずら盛りの子供が4人ほどベンツさんを取り囲むように彫られている。年長のいかにも生意気そうな男の子二人の後ろで、2、3歳の弟の手を引いている女の子がとても可愛いらしい。
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ハンザ都市リューベックならHL、ブレーメンならHBとなる |
因みにハンブルクの車のナンバープレートには、ハンザ同盟都市・ハンブルク(Hansestadt Hamburg)の頭文字HHが誇り高く記されているので、めったにハンブルクのクルマを見かけない土地でHHナンバー同士が遭遇すると「フンメル!フンメル!」、「モアス!モアス!」と挨拶を交わすのだそうだ。「子供の頃、ミュンヘンあたりで親父がよく言ってたけど、今じゃそんなこと言う人はいないよ」とは、あるハンブルガーの話だったが、先日、観光船のアナウンスが「フンメル!フンメル!」と乗客に呼びかけたところ、ドイツ人観光客達が「モアス!モアス!」と応じていたから、まだまだ死語ではないようだ。
なお12年前の1997年には、ベンツさん生誕200年祭がハンブルクで盛大に開催され、100体ものフンメル人形が創られ勢揃いしたそうだ。現在街角に立っているのは、その時の払い下げ品とのことである。お土産物屋の店頭にも大小様々なフンメル人形が置かれているから、ベンツさんご本人の意向かどうかは別として、彼がハンブルクの観光に一役買っていることだけは間違いない。
(2009.08.09 by Gm)
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