ドイツ旅行2012
あの日の記録写真

9月24日(月)成田発KLMでアムステルダム経由ベルリンへ。成田まで「京成スカイライナー」を使ったが、「成田エクスプレス」より速くて安く空いている。乗換えは面倒。チケット購入時には完成しているはずだったベルリン・ブランデンブルク空港は開港延期らしく、古いベルリン・テーゲル空港に到着。同日夕刻、市内のホテルにチェックイン。
9月25日(火)午前、ベルリンに先乗りしていたOmさん他と閑静な高級住宅街にあるツェレツケ教授宅訪問。教授手作りのケーキとコーヒーで歓待して下さった。マウスピースの改造作業場はもとよりベルリン音大で生徒だったOmさんも見たことがないという秘密の?練習部屋までご案内いただいた。一丁数千万円するオールド・ヴァイオリンのコレクションも圧巻。教授の先生ハインリッヒ・ゴイザーについては「レッスンは、ウェーバーやブラームスが中心だったから近・現代作品へのアプローチが遅れてしまった。今は音大生がニールセンを吹けて当たり前の時代だからね」とのことだった。
この日のために焼いてくださった生クリームたっぷりのフルーツケーキは実に美味
本邦初公開!のプライベートレッスン室。譜面台の上にはスケールが、、、 高価なオールドヴァイオリンのショーケースの前で記念撮影
午後、ベルリン州立歌劇場首席マティアス・グランダー氏の計らいにより、市内のシラー劇場で、バレンボイム指揮が指揮する「ジークフリート」のリハを視聴。姿はモニターでしか見れないが、バレンボイム先生の肉声(案外甲高い声)をありがたく拝聴。その日はトロンボーン・セクションが、音程でいじめられていた。その後、オケピットや楽屋、舞台裏を特別に見学させてもらった。カツラや髭は、オペラ公演の都度、歌手の頭や顔の骨格に合わせて作るそうだ。
夜、シュターツ・カペレのクラセクション全員と、劇場近くのレストランで飲み会。もう一人の若き首席ティボール・レーマンさん(右下写真左)は、アルンドスのボエームを、シュターツカペレ・ドレスデンのエクベルト氏もアルンドスのアイーダを使っているそうだ。
めったに観られないオペラのゲネプロ風景。歌手達はまだ私服
大道具置き場は巨大な倉庫。これはトスカの舞台装置だとか とても気さくなクラセクションの皆さん。クラを吹くのがマティアスさん
9月26日(水)午前、家内のハイデルベルク語学学校同級生Ymさんの案内で市内観光。Ymさんのご主人は日本大使館に勤務されている。午後、新装なったホルツブレーザーを訪問。ここでホルツ一行と合流。羽田で出発を5時間も待たされたこと、最新鋭ジャンボのトイレはウォッシュレットだったことを知る。思いもかけずセゲルケ中古(新品同様)のC管を衝動買い。来年の2月10日、世田フィルの「ヴェルレク」で早速使用予定。運命や第九、ブラ4でも使いたい。デッサウ・オケのヴィオラも弾くクラ奏者?Mdさんも合流してホルツ合奏練習。Mdさんはユーベル使いだが、ホルツと一緒に練習したら急に指が回るようになったとか。夜、近くのイタリアレストランで、トマス・ライヒレ社長以下スタッフと飲み会。
市内シェーネンベルクに新装オープンしたホルツ・ブレーザーは広く明るい
ベルリンでこんな良い状態のC管に出会えるとは、これも何かの縁 飲み会でもつい楽器を取り出して話に花が咲く。Mdさん(右から2番目)はヴィオラ奏者
 
9月27日(木)午前、バスでワイマールへ移動。
午後、ホテル・チェックイン。Russischer Hof(ロシア宮殿)は、今回の旅で最も素晴らしかった四つ星ホテル。シュターツカペレ・ワイマールのクラリネット奏者Kdさんが出迎えて下さった。Kdさんは東京芸大卒だが、あろうことかベーム式。様々な偶然や幸運が重なった結果だが、ドイツのプロオケでベーム吹きは極めて少ないそうだ。
夕方、ホテルロビーで義理の息子の妹であるErさんと、カイザース・ラウテルンに住むボーイフレンドのNcさんと待ち合わせ。マレーシア国籍の彼はとても優しく、しっかりしたナイスガイ。
夜、ホルツメンバーとドイツ料理店 Gasthaus zum Zwiebel(たまねぎ亭)で一緒に会食。
とても仲むつまじいErさんとNc君
9月28日(金)午前、市内観光。日中は暑いくらいの陽気。さすが歴史の街、家だらけ(ゲーテの家、シラーの家、リストの家、クラナッハの家、バウハウス?)。結局どこにも立ち寄らなかった。午後、ワイマール・フランツ・リスト音大Am PalaisにてDKG(ドイツクラリネット協会)シンポジウム開会。セゲルケとユーベルがショップを開いていた。DKGクラリネット合奏団との合同練習。以前に何度かやっているので、顔なじみのメンバーも多い。指揮はいつものヒルガーさん。手足が長いので、口さがないメンバー(僕ではない)は、陰で蜘蛛男と呼んでいる。彼はクラリネット奏者であり、教育者だが、指揮をカミオカ(ドイツで活躍する上岡敏之氏)に習っていることを自慢している。
夜、昨晩と同じレストランで食事。
ワイマールのシンボル、国民劇場前に立つゲーテとシラーの像
天気は快晴。市庁舎前の広場ではマルクト(市場)が開かれていた 今回DKGシンポジウムの会場となったワイマール音大のAm Palais

9月29日(土)午前、シンポジウム「新奏法テク」聴講。ベルリンからツアーに参加したMkさんとIiさんのお話では、来場していた曽田クレム留美夫人が、レクチャーの内容を逐一日本語で解説してくれたそうだ。午後、ホルツ単独練習。急遽Omさんの愛娘Fmちゃんが「夏の思い出」を歌うことに。夜、シュパンゲンベルクのコンサート(イサン・ユン&ブラームスクラリネット五重奏曲)。凄過ぎる!音やテクニックといったレベルではなく、からだ全体を使って曲に秘められた音楽の真髄を抉り出すような演奏。シュパンゲンベルクの名を知る日本人は少ないだろうが、ドイツには彼のような天才奏者があちこちにいる。彼我の差は計り知れぬ。コンサート後、またしても同じレストランで、三日連続盛り上がる。
期待以上だった天才シュパンゲンベルク(中央)の演奏
酒豪揃いの女性軍。左からKdさん、Mkさん、Iiさん、Ykさん たまねぎ亭の名物は、やはりツビーベル・クーヘン(3.2ユーロ)

9月30日(日)午前、DKGクラリネット合奏団合同練習。午後、ホルツ本番。Fmちゃん「夏の思い出」を歌って歌手デビュー。大喝采。その後のDKGと合同演奏も上々の出来。会場に来ていたノルトハウゼンオケ首席クラ、マサノリ小林さんと再会。Kn代表、ホテルにて小林さんのクロンターラー(3セット目!)を初試奏。マッピにも興味津々。夜、Kdさんが所属するシュターツ・カペレのシンフォニー・コンサート(ヤナーチェク:シンフォニエッタ。ブラームス:ヴァイオリンとチェロのためのドッペル・コンチェルト)を聴く。どちらも熱のこもった名演。さすが何でもでかいドイツ、金管群の中に小錦のような巨漢が。
Fmちゃんが歌った「夏の思い出」はドイツ人の心に深く響いたようだ
ヒルガーさんの指揮による合同演奏もめでたく終了 マサノリ小林さんと談笑するシュパンゲンベルク氏
小林さんを囲んで近くのカフェでお茶、ケーキはどれも大きい 一心不乱にクロンターラーを試奏するホルツのKn代表
 
10月1日(月)午前、バスでバンベルクへ移動。午後、セゲルケ工房近くのホテルへチェックイン。以前ハンブルクで知り合ったHdさん、夫ホセさんと再会。Hdさんはバンベルクとバイロイトで日本語学校の先生をしている。スペイン人のホセさんは会社員だが「忍術」の習得が生きがいと言うヘンな外人。いつも分厚い「忍術」の本を持ち歩いている。学生時代から来日多数で、現在7段というから半端ない。
セゲルケ工房訪問、見学。明るく清潔な印象は変わりないが、何となく以前より忙しそう。受注ボードを見ると、日本からの注文が3割位はありそう。夜、セゲルケ工房スタッフとラオホ(燻製)・ビールが美味しい店で会食。
広々として明るいセゲルケ工房は結構忙しそうだ
バンベルクといえばラオホビール。セゲルケさんを囲んで乾杯! 忍者を目指して修行中のホセさんと、浅田真央似のHdさん

10月2日(火)午前、Hdさんの案内で市内観光。昼食に鯉のから揚げを食す。美味しいが、でか過ぎる。午後、ホルツ・リハーサル。夜、シュピーゲル・ザールで行われた「福島慈善コンサート」で演奏。地元クラリネット合奏団との合同演奏は「ルスランとリュドミラ」。当夜、市民から12万円の寄付を集めることができた。元バンベルク交響楽団首席で、芸大でも教えたことがある高名なオーボエ奏者オットー・ヴィンター氏が聴きに来ていたが、実はHdさんの教室の生徒だとか。芸大出身のIiさんは氏の顔を覚えていて大感激。ツーショットを何度も撮り直す。フェイスブックを通じて同窓生たちに見せるのだとか。セゲルケ工房にてセゲルケ一家総出の歓迎パーティ。
総勢60人の大合奏。地元の子供達は幸いにも全員がエーラー式
ユーモアたっぷりのヴィンターさん。来日時代に憶えた日本語も達者だ セゲルケさんの子供達は美男美女揃い。お嬢さんはモデルみたい
 
10月3日(水)午前、ホルツ一行帰路へ。我々二人はDB(国鉄)でエアフルト経由ノルトハウゼンを目指す。夕方、ホテルチェックイン後、小林さん宅を訪問。邦子夫人、立太君、安音ちゃん、匠太君と再会。立太君がピアニストである邦子さんの伴奏で、クロンマーのコンチェルト第1楽章を、暗譜で見事に演奏。弱冠9歳にしてこの完成度。11月に行われるコンクールでの活躍が楽しみである。
因みに立太君が使っている楽器は、手の小さな子供用に開発されたシュライバー製のB管で、下管トーンホールの間隔が狭いが、音程や音色にも問題ないそうだ。夜、思いがけずも小林さん秘伝の“うなぎの蒲焼”をご馳走になる。匂い、味ともに実に旨し。
 
早朝、ホルツ一行とお別れ。お疲れさまでした!
立太君の歓迎演奏。将来、シュパンゲンベルクになるかも! ベランダでうなぎを焼いてくれた小林さん。近隣に香ばしい匂いが立ち込めた

10月4日(木)午前、午後、小林さんの運転で、ノルトハウゼンの北140KmにあるヴォルフスブルクのVW自動車博物館を見学。スケール桁外れ。コレクションの質と量、メンテナンスともに見事。エポックメーキングなクルマが網羅されているが、日本車はホンダのS800が1台のみというのが寂しい。
工場内部も一部見学できる。組み立てロボットが忙しく動き回っていたが、そのロボットが日本のファナック製であることを隠そうとしない。
VWに限らず、ドイツ車の大得意先は今や言うまでもなく中国。最新の工場も中国にあるに違いない。
博物館の隣にはアウトレット・モールもあり、市を挙げて観光客の誘致に力を入れている。夜、クヴェトリンブルク到着。ホテルチェックイン。
建物の外観は大きすぎてカメラには収まらない
名だたる名車が居並ぶ中で独り気を吐いていたホンダS800 VW本社工場はまだ稼動しているが、その威容はまるでSF映画のようだ

10月5日(金)時々小雨が降る寒い日だったが、終日、ユネスコ世界遺産であるクヴェトリンブルクを観光。残念ながら旧市庁舎前の広場は舗装工事中。あと2年は掛かるらしい。それを知ってか、心なし観光客も少ない。市内の名所を45分で回るトロッコ列車はおすすめ。丘の上の教会に併設されている博物館を観ていると、人懐こい案内のおじさんが寄ってきてしきりに説明してくれる。自ら拷問具に横たわって実演までしてくれたが、訛りの強いドイツ語を殆ど理解できなかった。ありがとう、そしてごめん。
夜、この旅一番の高級レストランで食事。美味しかったが、ウサギ料理にはちょっと抵抗が。
市庁舎前広場から観る古い木組みの家並み。中央がトロッコ列車
丘の上にある聖セルヴァティウス教会のテラスから赤い屋根が立ち並ぶ市内を眺める
 
10月6日(土)午前、DBでヴェルニゲローデに移動。観光。
クヴェトリンブルクよりきれいかも。観光客も多く活気がある。夕方、ICEでハノーファ経由ハンブルクへ。ザンクト・パウリに開業したモダンすぎる?ホテルへチェックイン。内装も奇抜でユニークだが、黄色が多用され落ち着かない。トイレとバスが分かれているホテルは初めてだったが、トイレには水栓がない。部屋が寒いのでフロントに苦情を言いチェックしてもらったが異常なしとのこと。ドイツ人と日本人の体感温度の差だろうか、お陰で風邪を引いてしまった。夜ロビーで、ライナー・テッシュ、英子さんご夫婦と久々の対面。とてもお元気そうで何より。ハンブルク随一の和食レストランでご馳走になる。日本人板さんの腕が確かでドイツにいることを忘れる。
おとぎ話に出てくるような可愛らしい市庁舎では結婚式が行われていた
レーパーバーンに最近できたウルトラモダンなホテルは総ガラス張りで傾いている 2年ぶりにお会いしたライナーさんと英子さんはとても元気そう

10月7日(日)午前、ブラームス博物館を訪問(10回目?)。ブラームス・バッジを3個購入し喜ばれる。クラリネットを吹くと言うと、博物館のおじちゃんとおばちゃんが歓迎のCD(ブラームスのクラソナタ第1番)をかけてくれた。ライスターの演奏だったが、お二人は彼を知らないらしい。午後、市庁舎近くの聖ペトリ教会(地球の歩き方には載ってない)の螺旋階段をてっぺんまで歩いて登る。地上130mからの眺望は最高。階段を正確に数えて「全部で544段ありました」と受付嬢に報告したら、「その通りよ。チラシに書いてあるわ」。夕方、ヘアマン先生のお宅で2年半ぶりのレッスン。バンベルク以来1週間も吹いていないので、我ながら情けない出来だったが、先生は「2年も空いちゃうと教えた方向からずれちゃう生徒が多いけど、君はまっすぐ教えた通りに進んでいる」と仰って下さった。今回のツアーで最も嬉しかった一言だ。恥ずかしながらリサイタルのDVDを差し上げたが、「後で一人でゆっくり見るよ」とのこと。いつか感想を聞きたいが怖くて聞けない。レッスン後に美知子さんの、ドイツ野菜をふんだんに使ったお料理を戴く。余りに美味しいので、シチューのスープはスプーンで飲み干したほど。
聖ペトリ教会鐘楼からの絶景。市庁舎の左奥にミヒャエル教会も見える
懐かしのレッスン室。全てはきちんと整理・整頓されている ヘアマン先生には音楽以外にも多くのことを勉強させていただきました
 
10月8日(月)午前、午後、平日なので、ショッピングに出掛ける。地下鉄、港、中央駅、デパート、ショッピングセンター、何もかも2年半前とほとんど変わっていない。昔気に入っていた店のコーナーには以前と同じ物が置いてあって、それはそれで便利なのだが、店内の模様替えや品揃えの見直しなどしないのだろうか?却ってちょっと心配になる。
なお、ビル開発が迫って来ていて存続を危ぶんでいたブラームスの記念碑とぼろアパート地域は、まだ辛うじて生き残っていた。ブラームスが生まれた貧民街の名残を見たい方はお早めに。夕方、元リュネールの団員で、20代で渡独し、現在ハンブルクの音楽学校のヴァイオリンの先生をしているTmさんと会食。相変わらず休暇中に旅行に出ることを趣味としていて、この日もシチリア島から帰ってきたばかり。彼女の音楽と教育に懸ける情熱には頭が下がる。負けずに頑張らねば、と決意を新たにさせられた次第である。
ブラームス生家跡に建つ記念碑の周辺には開発の波が押し寄せている ハンブルクで大変お世話になったTmさんはいつもチャーミング
 
10月9日(火)ハンブルク空港よりアムステルダム経由で成田へ。
10月10日(水)帰国して真っ先に食したのは、ラーメンと餃子。