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精悍さと気品を兼ね備えた天才ジウジアーロのデザイン |
SAAB99が10年と10万Kmを越え、半年ごとの整備費用が無視できないレベルに達し始めたあたりから次期車種選びが始まった。個性的なSAAB99の設計思想に心酔していたから、できれば99の発展型であるSAAB900か9000にしたかったのだが、いかんせんどちらも出来が悪すぎた。900は魅力的なインストラメンツ・パネルと新開発の16Vヘッドを搭載していたが、基本的な車体構造は99と同じで、言わば北米安全基準対策用のロングノーズ・バージョンに過ぎなかったし、9000は後に述べる理由によってSAABらしいユニークさが薄まり、ターボ付きとは言え高々2,300ccの4気筒エンジンで走らすにはボディがでか過ぎた。
当時SAABは経営不振に陥っていて、900の後継モデル開発の設備投資は大きな負担だった。そこで同じような立場にあったイタリアの3社と協力し、最もコストが掛かるフロア・パネルを共同で開発するとともに、エンジン以外の開発も役割分担するという戦略(これをクワトロ・プロジェクトと呼んだ)に転じたのだった。その結果として生まれたのが、SAAB9000、フィアット・クロマ、アルファロメオ164、そしてランチア・テーマだ。内外装の意匠はイタリアの天才デザイナー、ジウジアーロが担当した。だから9000が凡庸なデザインなのだとまでは言わないが、自国のクルマに良いアイデアを反映させたくなるのが人情というものだろう。
さて、このクワトロ・プロジェクト4車に、ルノー21、25、プジョー505、604、シトロエンBX、オペル・オメガ3000などを加え、何時もの事ながら3年ほど掛けて比較検討した結果選んだのが、ランチア・テーマの2.0ターボ16Vだった。候補に挙げたどのクルマもそれぞれに個性的で捨てがたい魅力を備えていたが、もしもあの時、ルノー25(ヴァン・サンク)を選んでいたらGmのカーライフは今とは違った彩りを帯びていたに違いない。
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イタリア建築を思わせるコクピットの造形 |
テーマに最も心惹かれたのは何と言ってもジウジアーロの手になる内外装のデザインだ。直線を基調とした端正で品格の高い外観はさすが天才の名に恥じない。インテリアはブルー系で統一され、エルメネジルド・ゼニア製の生地を用いたシートは最後までヤレることがなかった。室内の隅々にまでデザイン・センスが行き届き、眼前に広がるメーター類のロゴや白い針1本にすら気品が感じられた。ランチア・ブルーと呼ばれるランチア伝統のカラーは、陽光の下ではイタリアの空のような明るい青に、夜になると黒に近い深い紺色に変化した。
エンジンもまた魅力的だった。当時ワールド・ラリー・チャンピオンシップで無敵を誇ったランチア・インテグラーレと同じ2,000cc4気筒ターボ付16ヴァルブ・エンジンをデ・チューンして搭載していたのだ。これを剛性の高い5速マニュアル・ミッションと組み合わせて走らせると体がシートに押し付けられるような胸のすく加速が味わえた。このエンジンにはバランス・シャフトが組み込まれていて、アイドリング時には国産車に比べややうるさいものの、最大トルクを発生する4,000回転、140Km前後になるとモーターのように静かで滑らかになった。実はそこからが真骨頂で、アクセルを床まで踏みつけるとターボのブースト圧が緊急追い越しモードに入って一段高まり、200Km+まで夢のような加速が続いた。
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このエンブレムを見たら道を譲るべし |
“羊の皮を被った狼”という形容がこのテーマ・ターボほど相応しいクルマはあるまい。高速道路を走行中にマナーの悪いクルマがパッシングをしながら車間を詰めて煽ってくると、一旦車線を譲って遣り過ごした後、ピタリと後ろにくっ付いて追い掛け回すという制裁(?)を幾度重ねたことだろう。相手はこっちを(なぜか左ハンドルの)単なる中型4ドアセダンとしか思っていないから更にスピードを上げて振り切ろうとするのだが、大概は160Km位で諦めて走行車線に退き、2度と戦いを挑んでくることはなかった。ふ、俺も若かったな。
ランチア・テーマはイタリア人が本気で高級セダンを作ろうと考えた戦後初のモデルだった。テーマの開発に当たって試作車が走行した距離は地球100周分に相当したという。高級車としての品格を備えながらも軽量で運動性能に秀でたテーマは当時のイタリア人の誇りだった。テーマの2.0ターボ16Vが当時の大統領専用車だったこともそれを裏付けているけれど、日本でたった2リッターのターボ付きの、しかも5速マニュアル車が、皇室や政府要人の公用車になるなどということが考えられるだろうか?これだけの車格でありながら、テーマのボンネットはオープン時に鉄棒1本で支える構造だった。トランクリッドには内張りがなく鉄板剥き出しである。無駄な重量増による性能の低下を恐れたに違いない。また軽量ゆえ燃費も驚くほど良かった。このクルマにはイタリア人が考える高級とは何か?という答えが詰っている。
だがしかし、たった一つ大きな誤算があった。テーマは初めてのイタ車であり高性能車でもあったから、さぞかし手が掛かるものと覚悟を決めていたのだが、これが全く壊れないのだ。所有した10年の間、不具合といえば燃料ポンプのパイプに小さな亀裂が入って燃圧が上がらず、始動性が悪化した事くらいで後は全くノートラブル。勿論それはそれで良い事に違いないのだが、いきおい修理道具片手にエンジンルームを開けたり、ツナギを着てクルマの下に潜ったりする必要も無かったから、最後まで“トラブルのデパート”SAAB99に感じたような愛着が湧いてこなかったのだ。「あんたの世話なんか要らないよ」と言われるのはオーナーとして淋しいものだ。12万Kmを過ぎ、サスペンションや消耗部品の交換時期が来たのを機に手放すことにした。テーマの方も普段せいぜい3,000回転止まりで、タイヤを軋ませて走らせることすら殆ど無かったご主人様に欲求不満を感じていたことだろう。
Arrivederci e grazie,Lancia!
(2005.09.15 by Gm)
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