文句の多い日記帳 by 意地悪Gさん



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2015年12月30日(水)
ホルツの会
来年早くも結成20周年を迎えるホルツの会。今年最後の合奏&忘年会に全国各地から仲間が集まった。久々の大合奏だったが、音が溶けて消え入るようなドイツ管の柔らかい響きは健在だった。20周年記念ドイツツアーができたら素敵だ。
 
 ドイツ管をこよなく愛する会員たちは活動の場こそ違え深い絆で結ばれている
2015年12月25日(金)
お疲れさまでしたー!
2015年最後の「10日の会」はクリスマスイブ。この日がメンバーのベストというのもちょっと気掛かりだがw、いつもながらの熱演に大きな刺激を受けることができた。

 
ベートーヴェン「2本のObとイングリッシュホルンの為のトリオ」
今年は新メンバーの加入やビジターの増加がうれしいニュース。この日もメンバーのOmさんと共にYmさんとIzさんが賛助出演してくれた。

全演奏は、毎回KtさんがボランティアでCDに焼いて下さるのが大変ありがたい。いつ誰が何をやったか、の記録としてもとても貴重なので感謝に堪えない。

自分の一年を振り返ると、7月度は多用で欠場を余儀なくされたものの、ミヨー「カプリース」、「デュオコンチェルタント」、マンガーニ「パジナ・ダルブム」、シューベルト「アルペジオーネ」、メンデルスゾーン「コンチェルト・シュテュックNr.1」、ブゾーニ「コンチェルティーノ」、ウェーバー「クラリネット五重奏曲」、「シルバーナ変奏曲」などを演奏することができた。

特にウェーバーのクラ五は、ドイツ管を始めるきっかけとなった曲でもあり、木曜会合奏団メンバーによる弦楽四重奏団とも共演できたのは大きな喜びだった。

来年は、エーラー式には難関のマルティヌーのソナタや、今まで敬遠してきたシューマンの「序奏とアレグロ」、ショーソンのソナタなどに挑戦したいと思っている。

 
 
2015年12月7日(月)
バセットホルン
完璧に造られたTg号
来年1月末に演奏するモーツァルトの「レクイエム」のために、現在バセットホルンに取り組んでいる。
「モツレク」と言えば、映画「アマデウス」の中で、実に印象的に使われていた。何度も観たせいか「ラクリモサ」や「怒りの日」など、曲を聴けばその場面を思い出すほどだ。
「モツレク」は以前からやりたい曲の一つだったが、バセットホルンを吹くのは今回が初めて。楽器も持っていないが、ホルツのTgさんから素晴らしいビュリツァーを借りることが出来た。
音程と鳴りに文句の付けようがない上に、通常は金属で作られている吹込み管やベルが、特注のグラナディラ製に換装されている。
ベルはともかく、クラリネットのタルに当たる吹き込み管は、標準の金属パイプ製に比べ、明らかに柔らかい音色になる。
因みに、マウスピースはビュリツァーのバセットホルン用M4とM5の中から、Tgさんとは別のM5を選択。リードは、ドイツから取り寄せたPilgerstorferのバセットホルン用3半を削った。
右上の小さなキイは音程補正用
バセットホルンはF管で、形状は吹奏楽で用いられるE♭管のアルトクラに近いが、Tg号は下の実音Fまで出るフルスケールだから、右手親指で操作するキイが5つも付いていて圧巻。
もっとも「モツレク」1stの最低音は中音のgis止まりなので、残念ながら出番は無い。
「モツレク」以外にバセットホルンが指定されている曲といえば「13管(グランパルティータ)」とメンデルスゾーンの「コンチェルトシュテュック」2曲位しか思い浮かばないが、世田谷フィルのクラセクションの女性は、4人中2人も所有しているというから驚きである。
 今回2ndのMyさんの楽器はクランポン製のベーム式だが、6曲目Recordareの冒頭など、2本の音が絡み合いながら音色が溶け合って思わずうっとりとしてしまう。
 
モーツァルトが死の床で命を削りながら書いた祈りの音楽に、哀しくも穏やかな音色から搾り出すように歌うバセットホルンほど相応しい楽器はないだろう。
2015年11月6日(金)
ヘアマンマジック
ピアノ伴奏は布施亜紀子さん、通訳は小俣静香さん。スタジオ倉田にて
6月に来日が叶わなかったヘアマン先生が、奥様の里帰りに合わせて来日されたので、念願のレッスンをお願いした。

受講したのは、Kmさん、Szさん、Stさんの3人。
それぞれ、ハンマーシュミット/ウィーン・アカデミー式、ヤマハ/エーラー式、セゲルケ/ベーム式である。
 
NDRでの演奏の傍ら、ワイマール音大でも7人の生徒を抱える先生は、その指導法にも一層磨きが掛かったように感じられた。受講者の音が、先生のちょっとしたアドヴァイスで見違えるように響きを増し、音色も柔らかくなっていく様は、まさにマジックと言うに相応しい。
 
Kmさん(ルフェーブル:クラリネットソナタ第5番):ウィーンスタイルは音色がダイレクトになりがち。中音ソが高いからタルの内径を拡げてもらいなさい。上下の歯並びが並行なので、少し楽器を上に構えた方がよい。次の音に移る時に指だけでなく息も準備をすれば美しいレガートが得られる。息音から始まり息音に消えるロングトーン、息だけの発音、息を流しながらのタンギングが重要な日課練習。リードを部分的に削るとバランスが崩れ高音が出にくくなる。音の跳躍はリガチャーでも改善できる。「一流の管楽器奏者は、秘密ではなく、良い(息の)支えを持っている」
 
Szさん(ブラームス:クラリネットソナタ第2番):2番は1番より格段に難しい。ピアノと対話しながら落ち着いて演奏すること。表現過多にならないように。ピアノの左手と演奏すると和声の変化がよく分かる。弦楽器に比べ単調になりがちなので、同じ音でも指を変えるなど、彩りを持たせること。22小節はsotto voceだが120小節にはない。楽譜を仔細に見て吹き分けること。150小節のド→シ→レ→ドで秘伝の指使いを伝授。曲想を演奏に反映させるため、楽譜に歌詞を書き込むと良い。「僕の楽譜には22小節からのメロディーに歌詞を書いてあるよ」

後で聞いたところ、それはこのようなものであるらしい。
ク ラ ラ  僕はとても  悲しいよ   あの愛は 一体 どこへ行ってしまったのだろう  ど こ へ
 
Stさん(モーツァルト:クラリネット協奏曲):管楽器はヨガと同じで、息を吐き切ることが大事。左の肩が上がる癖がある。上体に力が入ると呼吸が乱れ楽器に息が入らなくなる。最初のソの音が一番難しい。平板ではなく次の音に向かう音作りが大切。83小節は即興演奏のようにサラサラと聞かせる(それにはこういう練習が必要と、耳にも止まらぬ速さで3オクターブ半に亘る分散和音を披露)。145小節から上向型は、最低音100%からデクレッシェンド。「クラリネットは息の支え等、男性的な力強さが必要な楽器だと思う」
 
ヘアマンマジックを目の当たりにした聴講者の中には、次回レッスンを希望する人も多いので、これからも先生の来日に合わせて企画していきたい
2015年10月23日(金)
にわか審査員
第84回日本音楽コンクールのクラリネット本選会を聴いた。会場はオペラシティ大ホール。5名の出演者と演奏曲は以下の通り。
1、中館壮志/ドビュッシー:小品、ドビュッシー:第1狂詩曲、ライネッケ:序奏とアレグロ・アパッショナート、サラサーテ(バルディルー編):カルメン幻想曲
2、伊藤優美/タワー:幻想曲、タイユフェール:クラリネットソロのためのソナタ、藤家渓子:3つの小品よりⅢ、オスメル:幻想曲
3、小林知世/ラザー・トラッテンベルグ:瞑想、シューマン:3つのロマンス、
横川晴児:壊れた鏡、フランセ:主題と変奏
4、勝山大輔/バッシ:リゴレット幻想曲、ガロワ・モンブラン:協奏的小品、マントヴァーニ:バグ、ローゼンブラット:カルメン幻想曲
5、コハーン・イシュトヴァーン/シューマン:幻想小曲集、ベルク:4つの小品、プーランク:クラリネットソナタ、コハーン:ハンガリー幻想曲第1番
日本音楽コンクール(かつての毎コン)本選を聴くのはOn君が出場した1999年と、小谷口さんが圧倒的勝利を収めた2002年以来のことだったが、この13年の間に随分とレベルが上がったものだ、というのが第一印象。
大昔はモーツァルトの協奏曲が、つい最近までフランセあたりが上手く吹ければ、「ほほう!」という感じだったが、今や超絶技巧満載の現代曲をミス一つ無く吹けなければ本選にも残れない感じだ。
今回の5人も、各人のテクニックの凄さに舌を巻いた。心なしか出演順が進むにつれ完成度が高まるように感じたが、予選の成績とは関係ないとのことだった。
なお、今回の本選はリサイタル形式で、そのプログラミングも審査の対象となった。
素人耳審査員の勝手な寸評と得点(5点満点)。
1、中館:ベームの普通に良い音。ドビュッシーを2曲続けたのはマイナス。小品の付点が3連符に。4曲の内3曲は「10日の会」で吹いた。評価:3.5
2、伊藤:会場の空気を掴んでいる。セゲルケのベームは好きな音。無伴奏の2難曲に挑んだ勇気。幻想曲は1曲にしてスタンダードも聴きたかった。評価:4.5
3、小林:音は良いが緊張感弱い。シューマン退屈。フランセも速いが新鮮味ない。審査員の曲を吹くのはいかがなものかと。禁止ルール化すべし。評価:3.5
4、勝山:音色堅く、伸びない(トスカのせい?)。指とトリルがめちゃ速い。全曲暗譜はすごい。汗かきなのかステージマナーに改善の余地有り。評価:4.0
5、コハーン:既に完成されたプロ。聴衆心理を把握。易しい曲を流石と聴かせる。自作自演奏者は初?。水で苦労してたからヴェルメンを進呈したい。評価:5.0

よってプライベート順位は、1位、コハーン、2位、伊藤、3位、勝山だったが、発表された結果は、1位、コハーン(+聴衆賞)、同、勝山、3位、小林だった。
まあ、見方を変えれば納得できる範囲だが、伊藤さんの今後には期待したい。
2015年9月28日(月)
アマオケ人生のハイライト
曲の本質を隅々まで表現する指揮棒と全ての音を聞き分ける耳の鋭さに唖然とするばかり
世田谷フィル第48回定期演奏会が、昨日無事終了。
幸運にも、秋山和慶マエストロの棒で「ラフ2」を吹くことが出来た。
第3楽章と、アンコール「ヴォカリーズ」のソロも自分としてはベストの演奏だった。

半世紀近いアマオケ活動の中で、今回ほど賞賛を浴びたことはない。
知人友人は元より、話したことのない団員からも多くの声を掛けられた。
ソロを聴きながら、涙をこらえて上を向いていた、と言う団員もいた。
お客様アンケートも好評で、一期一会の演奏に懸けた半年の努力が報われた思いだ。

<プログラム曲目解説>

セルゲイ・ラフマニノフ 交響曲第2番ホ短調

 ロシアの由緒ある貴族の家に生まれたセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)は、幼少より音楽の天分を遺憾なく発揮し、9歳でペテルブルク音楽院に入学。モスクワ音楽院でもピアノや作曲法を学び、尊敬するチャイコフスキーから才能を絶賛され、1892年、最高位の賞を得て卒業した。

 まさに順風満帆の門出だったが、 1897年、満を持した交響曲第1番の初演が大失敗に終わると、生来の繊細で内向的な性格から自信を喪失し、極度のノイローゼに陥ってしまう。高名な精神科医による治療等によって回復したラフマニノフは、1901年に作曲したピアノ協奏曲第2番の大成功によって再び自信を取り戻したのだった。

 1904年には、ピアノ協奏曲第2番が名誉あるグリンカ賞を獲得。ボリショイ劇場の指揮者に就任するなど、ラフマニノフの名声は一気に高まった。 1906年、ロシアの政情不安から移住したドレスデンで新しい交響曲の作曲を依頼される。かねて交響曲第2番を構想していたラフマニノフはこれを快諾。翌年完成した交響曲第2番は、かつて第1番を酷評したペテルブルクで初演。その後モスクワでも演奏され、何れも熱狂的大成功を収めることができた。

 だが、1917年に勃発したロシア革命により、ラフマニノフ一家はアメリカへの亡命を余儀なくされる。ロシアの大作曲家に対するアメリカ国民の反応は、必ずしも敬意に満ちたものではなかった。この新世界では、「2m近い体躯と大きな手を持ったロシアの超絶技巧ピアニスト」としか知られていなかったのだ。

 ラフマニノフは、交響曲第2番の演奏実現のため、指揮者や演奏家達の「長過ぎる」という苦情に応え、やむなく短縮化を断行。それは全楽章の18箇所、306小節、全体の17%にのぼる。心血を注いだ曲を、切り刻まざるを得なかったラフマニノフの心中は如何ばかりだったろう。ノー・カット演奏が一般化してきたのは、つい近年のことである。

 ラフマニノフは1943年に死去するまで、愛する祖国ロシアの大地を踏むことはできなかった。交響曲第2番の響きの中には、懐かしいロシアの大自然や大聖堂の鐘の音、狂おしいまでの望郷の想いを聞き取れるように感じられる。

 第1楽章 冒頭の低弦による陰鬱な主題は、曲全体の主要な動機をはらんでいる。ラフマニノフ特有の憂いを帯びた息の長いフレーズが美しい。反面、内声や底流にはしばしば不安を掻き立てるような動きが付き纏う。

 第2楽章 雪原を疾駆する橇(そり)のように軽快に始まる。グロッケン(鉄琴)も活躍。一瞬の静寂の後、突然始まる中間部は技術的に難しいが、マエストロ秋山のテンポはどの指揮者よりも速いのでついて行くのが大変である。

第3楽章 数々の映画やドラマで使われたロマンチックな旋律。7度音程が多用され、憧れや満たされぬ想いを切々と訴える。冒頭のクラリネットのソロは優に100回以上練習したが、本番で上手く行くとは限らない。

 第4楽章 歓喜に満ちた勝利の音楽。ここにはもう不安や迷いはない。過去の悲しみや挫折を乗り越え、希望を持って前進しようと人々を鼓舞しているかのようだ。全楽器が一体となった輝かしいクライマックスは圧巻。

 (クラリネット Gm)

2015年9月24日(木)
ダウンサイジング
世界中のDJから愛されたこの名機は堅牢な造りで使い勝手も良い
DENONのフォノモーターDP-3000と、S字とストレートのトーンアーム2本を装備した特注のレコードプレーヤーを売却して、テクニクスSL-1200MK3の中古をヤフオクで購入した。売却金額と購入金額は、ほぼイコールだったが、大きさと重さが半減したことで何となく気分も楽になった。
同時に38cm同軸2ウェイユニットを搭載したタンノイのアーデンも売却。ぽっかり空いた空間には、石和に置いてあるヤマハのNS1000Mを収めるつもりだ。
 
圧倒的重低音を響かせた38cmユニット
我ら団塊の世代が若かりし頃、高級オーディオは高尚な男の趣味とされていた。
LPレコードから如何に高品質な音を再生するかを競って、プレーヤー、スピーカー、アンプ、カートリッジ、トーンアーム、スピーカーコード、インシュレーターなど、ありとあらゆる物に凝ったものだ。オーディオ専門誌も数多く発行され、オーディオ評論家なる職業も幅を利かせていた。 
自作カートリッジケースにはオルトフォン、シュア等
だがCD時代の到来と共に、なけなしの財布を叩いて買った重厚長大なオーディオ装置は、無用の長物と化していった。
音楽はヘッドホンやイヤホンで聴くものと思っている若い世代は、レコード盤すら見たことがないらしい。
以前家に来た若者は、タンノイの巨大なスピーカーユニットを見て、「これは何ですか?」とのたまった。 
久しぶりにSL-1200MK3で聴いたレコードの音は、何と柔らかく自然なことだろう。数百枚あるLPレコードをまた聴き直してみようという気になった。
2015年9月5日(土)
小組はA管で
以前書いたが、ドビュッシー「小組曲」の2曲目「コルテージュ(行列)」と終曲の「バレー」は絶対A管で吹く方が良い。
指が易しくなる上に派生音が少なくなる分、楽器がよく鳴るので音に厚みが出る。
現在この曲に取り組んでいるオケの2ndの女性に、2ndだけA管に書き直した楽譜をお貸ししたところ、大層感謝されたので独り悦に入っていたのだが、他の団体で今度は1stを吹く羽目になってしまった。
仕方なく1stも書き直したら、立派な?パート譜が出来たので公開することにした。
自分さえ分かれば良いという手抜きパート譜だから、見にくかったり楽典的にヘンなところもあろうが、ご容赦願いたい。
2015年8月8日(土)
前にも後ろにも
R1におまじない程度に取り付けていた安物のドラレコ(ドライブ・レコーダー)が意外な功名を果たした。
去る小雨降る早朝のこと、近所の道を30Km程度で走行していたところ、脇道から自転車が飛び出してきて衝突。自転車はボンネットに乗り上げ、運転していた男性は1回転して前方へ投げ出された。幸いにも男性は若く、敏捷だったため大事に至らずに済んだが、これがもし老人や、子供を乗せた女性だったとしたら、身がすくむ思いだ。現場検証に来た警官に、ドラレコを搭載していると伝えると、早速警察署で再生してみることになった。
パソコンで再生された映像には、パーカーのフードを被り、片手運転の男性が、一旦停止を無視して優先道路に進入したことが克明に記録されていた。
だからと言って当方の過失割合がゼロになる訳ではないが、その映像がなければ当方の「前方不注意」で済まされていたかも知れない。
自転車側の安全運転義務を定めた道路交通法が施行されたのは、それから間もない頃だった。 
右が新規購入機種、左の従来機種は今後後方監視活動に当たる
この件ですっかりドラレコを見直した僕は、より鮮明に記録できる機種へとグレードアップすることにした。ドラレコの値段もピンきりで、安いものはたったの3千円から、高いものは2、3万するものまである。アクシデントが起きた日時、相手の車種、色、ナンバー、信号の色さえ分かれば充分なのだが、高価なドラレコは解像度が高く、夜間でも鮮明に記録できる上に、シャッタースピードが速いので映像がスムーズなのだ。
そこで選んだのは、安い割りに画像が鮮明だと評判のZS1080DR12という機種。以前と同じ中国メーカー製だが、ネット価格は1万1千円で、以前のほぼ3倍である。
試しにガレージを並べて撮影。鮮明さの違いが分かる
結果は上々。以前はクルマが停車しない限り判読できなかったナンバーが、走行中でも読めるし、逆光や暗い場所では瞬時に露出を補正してくれる。
32GBのSDカードを挿しておけばフルハイビジョン映像で3時間録音・録画し、メモリーが一杯になれば古いファイルから上書きしていくから手間いらずだ。
また、ここまで映像がきれいだと、事故時の証明というより、ドライブや旅の記録というポジティブな使い方もありうるだろう。
なお、世話になった以前の機種は、リアウィンドウに移設し、追突や危険な煽り運転に目を光らせることにした。
2015年7月16日(木)
ラフ2めぐり
今年9月の定演でラフ2(ラフマニノフ交響曲第2番)を吹くと決まってから、せっせとラフ2を演るアマオケの演奏会に足を運んでいる。
「新宿フィル」「アウローラ管」「エルムの鐘響」「リアンフィル」「アイリスフィル」「千代田フィル」「CMS管」「フィルハーモニア・ブルレスケ」と、その数は先週で8団体になったが、人気曲だけにどのオケも実によく頑張っていて、例外なくブラボーが飛び交う熱演となる。

問題箇所はやはり第2楽章の中間部で、技術的な困難さから、ここでガクンとテンポを落とす指揮者が多いが、そのテンポが充分団員に共有されていないと、暫らくの間アンサンブルが乱れることになる。
また、全曲を通じてラフマニノフ特有の複雑なバランス計算があるのだが、それを徹底して守らないとメロディラインが埋もれてしまいがちだ。
 
会場で僕の視線はどうしてもクラ奏者に釘付けになってしまうが、中には前プロ、中プロ、ラフ2と全乗りの女性(新宿フィル)もいて、これは負けていられない!という気になる。
 
アーティキュレーションやブレスの位置など、人の演奏を聴いて学ぶことは多い。
先日のブルレスケの女性は、第1楽章B管ソロからA管への持ち替えを指定箇所ではなく、20小節遅らせていた。譜面を見ると、確かにその方が、テンポが緩む上に持ち替え時間を3小節分稼ぐことが出来る。高度な頭脳プレイだが、読み替えるのが面倒な僕は、指定通り6小節間で持ち替えられるよう訓練を積むことにした。
 
目から鱗のアイデアもあった。例の第2楽章(B管)から第3楽章(A管)への持ち替え。通常、第2楽章を吹き終えたトップは、いち早くA管に手を伸ばし、マウスピースを挿して第3楽章の大ソロに備えたいのだが、曲が終わるまでずっとピアニッシモなので動くわけにいかない(止むに止まれず動いた人もいたw)。指揮者が棒を下ろすまでは、まるでストップモーションのようなフリーズ状態に陥る。
 
Meno mossoの前でA管に。なるほど、これなら安心して第3楽章に臨める
ところが千代田フィルの男性(ホルツのIzさん)は、第2楽章が終わっても楽器を替えることなく平然と構えていた。
ま、まさか、持ち替え忘れてないよね???と焦る間もなく曲は始まり、素晴らしいソロが聞こえてきた。
つまり彼は、第2楽章の終盤で既にA管に持ち替えていたのだ。それはきっと練習番号45の前の9小節間に違いない。ここならまだ動けるし持ち替え時間も充分ある。
この作戦早速戴きました。Izさん、感謝です。
2015年6月18日(木)
「エロイカ」やります
今度の21日、日曜日、午後2時から秦野市民会館大ホール。大好きな曲です。ご都合よろしければ是非ご来場下さい。(以下は800字という制約の中でまとめた曲目解説です)

L.V.ベートーヴェン作曲 交響曲第3番「英雄」変ホ長調作品55

 ドイツの作曲家ベートーヴェン(1770-1827)が、生涯に書いた9曲の交響曲の3番目にあたる「英雄」は、ベートーヴェン全作品の中でも最高傑作の一つである。
交響曲第1番、第2番が、ハイドンやモーツァルトの影響を感じさせるのに対し、「英雄」は、全楽章にベートーヴェンの天才的な独創性と霊感が溢れている。
「英雄」の名は、初版楽譜の表記「シンフォニア・エロイカ(英雄交響曲)」に由来しているが、この「英雄」が誰を指すのかは明らかではない。
ベートーヴェンは、この交響曲をフランス革命の英雄ナポレオンに献呈しようとしたが、彼が皇帝に即位したことを知って激怒し、表紙に書いた献辞を鋭い刃物で削り取った。
その表紙は現在ウィーン楽友協会に所蔵されているが、そこには初版楽譜の「シンフォニア・エロイカ」ではなく、「シンフォニア・グランデ(大交響曲)」と書かれているのが興味深い。
ベートヴェン自身この交響曲を、大規模で独創的なものと自負していたに違いない。
事実、交響曲第8番まで書き上げていた1817年、「自作でどれが一番良いと思うか?」の問いに、即座に「エロイカ」と答えたという。
また初演時、50分に及ぶ演奏時間に、聴衆から「金を倍払うから演奏をやめろ!」という野次が飛んだという逸話が残されている。

第1楽章:叩きつけるような2回の主和音に続いてチェロが「英雄」のテーマを奏する。平和、闘争、苦悩、安らぎ、各楽器が複雑に絡み合って英雄の生涯を奏でる。
第2楽章:交響曲には異例の葬送行進曲。陽が差し込むように明るくなる中間部が美しい。
第3楽章:旧来のメヌエットに代えた速い3拍子のスケルツォ。通常の編成より1本多い3本のホルンによる狩猟の音楽が聴きどころ。
第4楽章:砕け散るような序奏の後、弦のピッチカートで主題が示される。様々な楽器がその主題を変奏しながら巨大なコーダを創りあげる。変奏曲を得意としたベートーヴェンの面目躍如たる終楽章。
2015年6月8日(月)
イタリアの異端児
今回、あるアクシデントで来日できなくなったヘアマン先生が、受講予定だった1グループのレッスンを、NDRの若いクラリネット首席奏者に依頼してくださった。
彼の名は、ガスパレ・ブオノマーノ。4年前、10年越しで探していたNDR首席の座に就任した優秀なクラ吹きである。

ガスパレさんの楽器はライトナー&クラウス。マッピはヨハン・ベルガー、 リードは自作とのこと
名前からしてイタリア系なのに、なぜドイツのオケに入ったのか?本当にエーラーを吹いているのか?何語で話せばよいのか?うまく意思疎通できるだろうか?
全くの初対面なので疑問や不安が一杯だったが、会ってみると実に気さくで陽気な好青年だった。ドイツ語はペラペラ、英語もかなり上手い。
日本語も覚えたいそうで、「おはようございます」と「こんにちは」は何時頃変わるの?と逆質問された。それは「グーテン・モルゲン」が「グーテン・ターク」に変わる時間と同じだ、と答えたが。。。

彼に聞いた話を総合すると、イタリア生まれの32歳。7歳でクラリネット奏者の父から手ほどきを受け、17歳までみっちり(かなり厳しかったらしい)仕込まれた。「後はお前が好きなようにやりなさい」との言葉に従い、前から憧れていた元ベルリンフィル首席ブラントホーファーに学ぶべく、ザルツブルク・モーツァルテウムに入学。これを機にベームからエーラーに転向。「エーラーの方が右とか左とか考えなくて良いから楽だよ」とか。卒業後、ベルリンフィルの奨学生となり、2011年にNDRのオーディションに合格した。来日は2回目となる。

レッスンには、モーツァルテウムの同級生で、今回2ndのトラとして初来日したブルガリア人のチショー君(もちろんエーラー吹き)も同行することに。ブルガリアもかつてはロシアの影響でドイツ式が主流だったが、今ではほとんどがベーム式とのこと。ガスパレ君もチショー君も共に母国では変り者扱いされているのだろう。何だか馬が合うなー。

息の支えが重要とKdさんにお腹を触らせる トリオのB♭はガーベルを使えば簡単になるよ チショー君も参戦「口を締めずリードは自由に」

レッスンを受けたのは、ホルツのKdさんと、友人のチェロ弾きのBbさん。曲はブラームスのクラリネット三重奏曲。ピアノは布施さん、通訳は横田さんにお願いした。
予定時間を1時間近くオーバーした熱のこもったレッスンが終わり、古い懐中時計の収集が趣味だというガスパレ君のために二人をアメ横に案内した後、無事ホテルに送り届けた。

ケースを熱心に覗き込むガスパレ君と呆れ顔のチショー君 エーラー吹きの絆は歳の差(と肌の色?)を超越する
二人は電車の中で、「日本の自然は美しい」「車内にゴミがないなんて信じられない」「空気がすごく澄んでいる」「日本のビールは美味い(ライスターはエビス党だが僕らはアサヒが好きとか)」「昨日食べたヌードル(うどん?)は最高」などとしきりに日本を褒めてくれていたが、ホテルに着く頃には、何時しか二人とも座席で居眠りをしていた。外国人が電車で寝るのを初めて見た気がする。

5回に及ぶ北京や上海での中国公演に続き、レッスン前々日は大阪、前夜はサントリーホール、当日夜も上野文化会館で本番、翌日は名古屋公演という過酷なスケジュールによって、彼らの疲労の蓄積はピークに達していたようである。ハンブルクに戻ったらゆっくり旅の疲れを癒して欲しい。
2015年5月15日(金)
その名は“ヴェルメン”
ここ数ヶ月、頭の中が一杯だったクラリネットの保温パッドがついに完成した。
外観は黒い革のクッションだが、中にマイクロカーボンファイバー・ヒーターや熱反射シートが仕組まれ、充電して持ち運びできるバッテリーで駆動させる。

これはダブルケースタイプ。奥行き15cmのシングルケースタイプもある
これを写真のようにケース内の楽器に被せ、バッテリーのスイッチを入れて練習場へ赴けば、既に楽器が温まっているので着いた直後から合奏に加われるし、練習中も使用していない楽器に巻き付けておけば、持ち替えた後の楽器のピッチに気を使うこともない。

特に、持ち替えた直後のどソロにはピッチの不安が付き纏ったが、これでもう安心(?)である。
具体的には、ブラームス交響曲第1番の第2楽章(A管)→第3楽章(B管)、ラフマニノフピアノ協奏曲第2番の第1楽章(B管)→第2楽章(A管)、同交響曲第2番の第2楽章(B管)→第3楽章(A管)など。
先日、ラフマPコン本番でトクちゃんに試作品を貸したところ、大成功で大変感謝されましたw。
また、この保温パッドは太さの違う管にも巻けるので、持ち替えがEsクラやバスクラでもOK。更に、フルートとピッコロ、オーボエとイングリッシュホルンの持ち替えにも対応できるはずである。
 
世界初ユーザーとなったOmプロ
だが、この保温パッドの真価は、ピッチ問題に留まらず、管体内の水の発生を抑制できる点にある。
クラリネットやオーボエのように、トーンホールが管体の上部だけでなく、側面にも穿たれている楽器の場合、その孔からの出水は避けられないものと思われてきた。
だが、試作品による検証の結果、予めパッドで楽器を温めておけば、管体内の結露や水滴の付着はほぼゼロであった。冬に鏡に息を吐けば一瞬で白く曇るのに、夏に同じことをしても何の変化もないのと一緒である。
さらばクリーニング・ペーパー!?
何時か管楽器奏者は皆、保温パッドを巻いてステージに登る日が来ることを夢見ている。
 
今回、この保温パッドをWÄRMEN(ヴェルメン)と名付けた。ドイツ語で「温める」という動詞である。この名前、HPのどこかで書いたエピソードに基づくが、ごく少数のビジターには解ってもらえるかも。
 
目下の課題は手間とコスト。一つ一つ手作りだし、革の縫製は町の職人さんに頼むから、どうしても時間とコストがかさんでしまう。
だが、我ながら良い物ができたと自負しているので、ヴェルメンの価値を認めてくれる方を対象に、近々HPで受注生産を開始したいと思っている。
2015年4月24日(金)
余計なお世話
ざまみろ
家の近所で見かけたポスター。色も下品だが、書いてあることもひどい。
 明後日行われる世田谷区長選挙への応援ポスターのつもりだろうが、誰をどういう理由で推すとは一切書かれていない。
 「4年間決められない区政が続いています」って、あんた知事になってまだ1年ちょっとでしょ?
 「東京都と安倍政権とタッグを組める新区長が必要」って、あんた無所属で立候補したんじゃなかったの?
 俺と安倍政権の言うことに唯々諾々と従う区長になって欲しいという本音が、ここまで露骨に透けて見えるのも珍しい。
 つまり、現区長の対立候補はそういう奴だと言っているようなものだから、これぞ贔屓の引き倒しだろう。 
別に現区長を応援しているわけではないが、現区長の評価は世田谷区民が下すのであって、知事にあれこれ指図される覚えはない。
明後日は定演本番だから「ま、選挙行かなくてもいっかー」と思っていたが、このポスターのお陰でさっき期日前投票を済ませてきた。
そして結果は・・・現職の保坂区長が、自民・公明推薦候補に19万6千票対9万6千票のダブルスコアで圧勝したのでした。ちっ、行くまでもなかったな。
2015年3月25日(水)
必要は発明の母
クラ吹きに限らず管楽器奏者は皆、楽器の冷えに神経を使わされる。練習場に到着してもピッチが低く、暫らく合奏に加われないといったことは誰しも経験するに違いない。
冷えた楽器を早く温めようと息を吹き込むと、今度は管体内が結露して水滴を発生させてしまう。ひと度トーンホールから水が出ると、ペーパーで吸い取り、息で飛ばした位では簡単に止まらない。演奏の合間を縫ってスワブを通しても再発しやすいのは、孔の中の水を完全に取り切れないからだろう。また水が溜まってブツブツ言い始めるのではないか?と演奏に集中できなくなるのは実に嫌な気分だ。
冬場は特にだが、夏場でもエアコンが効いた楽屋やホールは鬼門である。
昨年、横須賀で行われたランスロ・コンクール本選は、夏真っ盛りの8月31日だったが、ロシアのファイナリスト、ミハイル君がcis/gisキイからの出水事故で実力が発揮できなかったことは既報の通りだ。 
また、クラリネットには曲や楽章による(楽章内でも)楽器の持ち替えがある。
「ブラ1」では、第3楽章冒頭のソロのピッチが不安で、第2楽章からA管で書かれた楽譜をB管で読み替える人は多い。「ラフ2」も然り。第2楽章はB管だが、第3楽章の大ソロはA管だ。第2楽章を吹いている10分の間に、A管のピッチが何セント下がるかはその日次第だし、まさか第3楽章の頭でチューニングするわけにもいかない。万一、ソロが始まって想像以上にピッチが下がっていたり、逆にタルを詰め過ぎてピッチが高かったり、それより何より、途中で水が溜まって音が出なくなったら! 
工作大好き少年だった血が騒ぐ
うわー、縁起でもない。どうにかならないものか?
そこで、ネットで部品を買い集め、東急ハンズや岡田屋やユザワヤ(会員になった)で素材を漁り、町の職人さんにも協力してもらって、現在、クラリネット用冷え性対策品の開発に知恵を絞っている。
これが完成した暁には、デナー父子以来の累々たるクラリネット吹きの悩みを解消できる?かも知れない。
目下、試作品製作中だが、今後も改良を重ね、何としても「ラフ2」本番の9月までには完成させねばならない。
2015年3月16日(月)
今年も大盛況
昨年2月の記録的大雪にこりて3月14日に開催されたブラジャン2015。それが功を奏したのか、今年は600人以上の参加者が一日限りの大合奏を楽しんだ。さびの部分しか知らなかった「アナ雪」を全曲吹いた。
米寿も近い北村英治さんの音は、透き通った琥珀色のウィスキーのように素晴らしかった。昨年同様さかなクンの明るいキャラと演奏には癒された。
以前は確かエスクラだったが今回はなぜかバスクラで参加
個人的な収穫は、曽我大介さんこだわりの「マーチ講座」に続いて、スーザの「ワシントンポスト」「雷神」「星条旗よ永遠なれ」を演奏できたこと。
中学生の頃、おやじが買ってくれたドーナツ盤のスーザマーチ集で聞き覚えた曲たちだ。
目一杯吹いたのでまだ少し腹筋が痛むが、やはり吹奏楽はマーチでこそ本領を発揮する。また思いもかけず、会場でハンマーシュミットのバスクラを携えたホルツのソメちゃんと遭遇したことも嬉しかった。近くに座っていた見ず知らずの女性が快くツーショットを撮ってくれた。この会場にいる人々は皆、音楽を通じた兄弟(ブリューダー)なのだ。
ブラジャンよ永遠なれ!
2015年2月16日(月)
やっと着いた
昨年7月、来日していたヴェンツェル・フックスが、ある社会人オケをバックにモーツァルトのクラリネット協奏曲を演奏した。もちろん素晴らしい演奏だったが、アンコールとして吹いた小品が、また短くも実にチャーミングで耳に残った。
youtubeにいくつか演奏がアップされている
氏がステージ上でつぶやいた「マンガーニ」という言葉を頼りに家で調べてみると、どうやらイタリアの現役作曲家であり、クラリネット奏者でもあるミケーレ・マンガーニの「Pagina d'album(パジナ・ダルブム)」という作品だと判った。パジナ・ダルブムとは、イタリア語でアルバムの1ページ。ドイツ語だとマックス・レーガーの「Albumblatt(アルブム・ブラット)」と同じ意味で、昔を想い懐かしむ曲なのだろう。
早速ネットから、ある老舗楽譜店に注文したのだが、何度も督促してやっと手許に届いたのが年も明けたつい先日のことである。
なぜ取り寄せに7ヶ月も掛かるのか?説明も二転三転。もうあそこには頼まない。
曲は全部で93小節。時間にして3分ちょい。クラパートはA4一枚だけだ。
調号はなく、最低音から上のCまで、さすが楽器がよく鳴る音域を上手く使っている。
派生音はソ♯とファ♯しか出てこないから、初心者でも吹くことはできるが、曲の哀しいまでの美しさを引き出すには、それなりのテクニックと人生経験が必要かも知れない。
なお、本来弦楽合奏とクラリネットのために書かれているが、楽譜はピアノ伴奏。 また、楽譜には模範演奏CDも付いていて、トラック2はカラオケ伴奏になっているから、プレーヤさえあればどこかで演奏することも可能である。
それがどのような機会なのか思い付かないが、結婚式でないことだけは確かだ。
2015年1月30日(金)
虎穴に入ったら
美味いのになぜか流行らない謎の名店?
祖師谷商店街に古くからある中華料理店。郵便局の前という好立地にもかかわらず閑古鳥が鳴いている。
目と鼻の先の中華「岡田屋」が賑わっているのとは対照的だ。
ガラス越しに覗くと、主人と思しき男がいつも椅子に腰掛け、新聞を広げテレビを観ている。
娘たちが家にいた頃は、「今日はお客さんがいたよ!」というのが夕食時の話題になるほど。
我家では、勝手に「祖師谷三大不思議」の一つに数えていた。
長年一度は入ってみようと思いながら“きっとまずいに違いない”との思い込みから果たせずにいたが、「あら、ラーメン食べたけど美味しかったわよ」の母の一言が背中を押した。
今日、宿願を果たすべく、勇気を奮って店のドアを開けると、中はあっけないほど普通だった。4人掛けのテーブルが5つ。赤い座面の木製の椅子。何れもかなり古いが不潔ではない。
腕組みしながらテレビを観ていた主人が、愛想なく「いらっしゃい」と言い、メニューと水を持ってきた。意外にもメニューの種類は多く、好物の「わんたんめん」や「かたやきそば」や「天津飯」もある。 
今では少数派となった煮干系あっさり味の中華そば。餃子はイマイチ
「酢豚定食」にも心惹かれたが、頼んだのは実力を探るべく最もベーシックな「ラーメン」(550円)と餃子(350円)。
ここで判明したのは、厨房で料理を作るのは主人ではなく、彼の奥さん(多分)だということ。
主人は奥さんにオーダーを伝えると、またテレビに釘付けである。
暫らくして運ばれてきたラーメンは、盛り付けこそ雑だが、ひと目で当たりと分かった。
少量の油が浮いた透明な醤油スープ。タレの味がしみ込んだ豚バラチャーシュー。梘水(かんすい)を利かせたメンマも旨い。いまどき鳴門も一枚浮いている。麺は細身のストレートで、やや茹で過ぎの感はあるが滑らかである。昔懐かしい「支那そば」の味だ。なーんだ、こんなことならもっと早く来れば良かった。次回は何を注文するか考える楽しみが増えたが、なぜ流行らないのかは今もって謎のままである。
2015年1月3日(土)
未(ヒツジ)年の版画
今年の版画は、昨年2ヶ月足らずで法務大臣を辞任した(させられた)松島みどり先生の「このうちわは、うちわのように見えますが・・・」という迷答弁をもじったもの。答えは綿菓子ではない。

毎年暮れが近づくと干支のネタ探しに頭を悩ませるが、いつもありがたいヒントを提供してくれる政治家の先生方には感謝感謝である。
見るサル、言うサル、聞くサル
そういえば、泣きじゃくり会見と奇妙な所作で世界的に有名になった元兵庫県議の野々村先生、どっかで見たと思ったら、1992年申(サル)年の年賀状の右端に彫っていた。我ながら恐ろしいほどの予知能力だw。

子丑寅など十二支にはそれぞれ動物が割り与えられているが、干支の八番目未がなぜヒツジなのか?未の中国語の発音(ウェイ)が羊の鳴き声に似ているからという説が有力なのだとか。未は象形文字で、木の上に枝が1本生えた程度の状態を表し、未定、未知、未完成など「まだ~していない」の意味があるという。四月生まれで牡羊座の僕は今年ダブル未なので、いくら練習しても未熟なままかもorz。