石和(いさわ)通信
 山梨県笛吹市石和町から

 

 

 地名の由来
石和(いさわ)は、地名に石が付くことでも分かるように、大昔から近くを流れる笛吹川下流の河原地帯でした。今でも近所に、ただ単に「石」という地名が残っているほどで、石和の家の庭を掘れば、砂地の中から石がゴロゴロと出てきます。
暴れ川として有名だった笛吹川は、大水が出るたびに大きく流れを変えて農民たちを苦しませてきました。中でも明治40年の台風による大雨は一週間降り続き、堤防が決壊するなどして死者230人という大惨事を引き起こしました。
それでも石和の人々は、河原の滋養豊かで水はけの良い土地や、盆地特有の寒暖差を利用し、ぶどうや桃を栽培するなどして、石と和して暮らしてきたのです。

笛吹伝説
笛吹(ふえふき)市という、全国的にも他に例を見ないほど雅で音楽的な市名はどのように生まれたのでしょうか?
今から500年ほど昔の話、まだ笛吹川が子酉(ねとり)川と呼ばれていたころ、上流の奥深い谷あいにある上釜口芹沢(かみかまぐちせりざわ)に、権三郎(ごんざぶろう)という若者と、その母親が住んでおりました。
二人は、落ち武者として都を逃れた父を尋ねて、京からこの地にまでたどり着いたのです。しかし父はすでに亡く、肌身離さず持っていた御守りの不動尊像だけが遺されていました。
 
現在も芹沢の地に立つ権三郎の像
深い悲しみに暮れ、長旅の苦労がたたって失明した母を、権三郎は毎日上手な笛を吹いて慰めました。その笛の音はこの上なく美しく、いつしか村人は彼を「笛吹き権三郎」と呼ぶようになりました。
ある年の秋のこと、大水が出て、川辺で暮らしていた二人は下流へと流されてしまいました。権三郎は自力で岸に這い上がり、一命をとりとめたものの、母は行方知らずとなってしまったのです。権三郎は、彼の名前を呼びながら濁流にのまれていった母の手がかりを求めて、来る日も来る日も笛を吹きながら土手をさまよい歩きましたが、とうとう疲れ果てて岩場に足を滑らせ、おぼれ死んだのでした。
下流の小松村に流れ着いた権三郎の変わり果てた姿を見て、村人たちは大層哀れに思い丁重に弔いましたが、その頃から夜になると誰もいない河原の方から笛の音が聞こえるようになったのです。村人たちは、権三郎の霊が笛を吹いていると恐れましたが、長慶上人という偉いお坊さんが権三郎のために有難いお経をあげたところ、成仏したのか笛の音はやみ、また平和な村の暮らしが戻ったということです。
以来、人はこの川を「笛吹川」と呼ぶようになりました。

石和温泉物語
石和の畑の中から突然温泉が湧いたのは、昭和36年(1961)のことでした。一面ぶどうと桑畑だった名もない小さな田舎町が、ホテルや飲食店が建ち並ぶ歓楽街へと変貌するのに10年も掛かりませんでした。
当時、石和郵便局長をしていた祖父松蔵は、田舎に遊びに来た中学生の孫(Gm)を抱き寄せて、「石和の温泉はな、おじいちゃんが掘り当てただぞ」と、何度も言い聞かせました。とても優しく楽天的で大好きな祖父でしたが、「ホラ松ちゃん」というあだ名を聞き知っていた孫は、内心半信半疑でした。
ところが最近、石和温泉管理事務所の裏手にある大きな石碑に、温泉開発功労者代表として祖父の名が刻まれているのを発見。当時の新聞記事なども出てきて、改めて亡くなった祖父の功績を再確認したところです。
いつもポケットに手を入れ、鼻歌を歌っていた松蔵おじいちゃんは、お金儲けや利権に全く無頓着だったので、孫(Gm)は毎月使用料を払って石和の家の温泉に浸っています。

見どころ
1,「笛吹川フルーツ公園」:東京ドーム個分の広大な敷地に、一年中さまざまなフルーツや、草花が咲き乱れています。広場には遊具や噴水もあり、ファミリーには最高ですが、それなりにアップダウンも多く、炎天下の高齢グループは熱中症に注意が必要かも知れません。入場無料。
2,「葡萄工房ワイングラス館」:様々なワイングラスを始め、美しいガラス工芸品や宝石等が陳列販売されています。2階はワイングラス・ギャラリー、1階には喫茶店があります。入場無料。
3,「ハーブ庭園」:ワイングラス館から3分。園内に四季折々の花が咲いています。楽しいガイドツアーもあります。5月は色とりどりのチューリップがめちゃ綺麗でした。鉢植えや苗木も販売しています。入場無料。
4,「ぶどうの丘」:ハーブ庭園から10分。中央線ぶどう郷駅近くの丘の上にある施設。地下にあるワインカーブで勝沼産ワイン200種類のテイスティングができる(千円)。
5,「桔梗屋工場見学とアウトレット」:有名な桔梗屋信玄餅の製造工程をガイド付きで見学できる(無料)。出荷ではねられたお菓子を半額で販売している。いつも観光客やインバウンド客でごった返しているのが難点。敷地の奥にある水琴茶堂というカフェはおすすめ。
6,「ウェスト製造直売点」:一方、向かい側にある銀座ウェストの工場直売店は知名度が低い穴場で人影もまばら。出来立てのリーフパイやブランデーケーキを定価の1割引で売っている。Gmはヴィクトリア(ドイツでは「牛の目玉」)といういちごジャムタルトが大好物。やっぱ出来立てはほくほくで一味違います。

お寿司天国
山梨県は「山はあっても海なし県」ですが、実は県民一人当たりの寿司店数が日本一なのです。具体的には、人口10万人当たりの寿司店は、山梨県が30.3店で堂々の第位。位の石川県(29.9店)、位の東京都(27.0店)を上回っています。因みに全国平均は18.9店で、最下位は意外にも高知県の8.9店(握らないでそのまま食べちゃうからかも)。
また、マグロの消費量も、山梨県は静岡県に次ぐ第位です。山梨で寿司と言えばマグロの握りなのです。なぜ寿司屋がこんなに多いのでしょう?
江戸時代、駿河湾でとれた大量のマグロを、一昼夜かけて馬車や船を使い、甲府まで運ぶルートがあったのです。海がない山梨県民にとって、マグロは最高の御馳走だったのでしょう。
今でも何につけ、お祝い事には「寿司」と決まっています。ともあれ、山梨に来たら東京よりずっと安い値段で、新鮮で美味しいお寿司を食べない手はありません。

昭和食堂
石和には原宿や六本木にあるようなオサレなレストランはありません(断言)。レストランと名の付くものは、ガスト、デニーズ、ジョナサンのようなファミレスだけ。多くは、昭和の時代から時間が止まったような(実際、掛時計の針が止まっている!)食堂ばかりです。ところが、これら食堂の中に、石和ならではのユニークな名店?があるので、店ご紹介します。

「ドン・キホーテ」:家からクルマで5分の、老夫婦が営む小さな洋食屋。夜しか営業しないのは、昼は隣の釣具店を経営しているから。店内は暗く、狭く、雑然としていて、昭和レトロそのもの。優しい笑顔のマスターは、昔、東京タワーにあったレストランで修業したそうで、腕は超一流。特にハンバーグは、どんな有名店にも劣らない美味しさです。外はこんがり、中から肉汁がじゅー。唯一の欠点は、デカすぎることで、量が少ないレディース・ハンバーグ(肉が少ない代わりに目玉焼きが載ってる)を頼んでも完食するのに一苦労です。メニューには、メンチカツ、ナポリタン、オムライス、チキンライス!、カツサンドなど、懐かしいものだらけ。サラダも新鮮で美味しいです。価格は単品450円から1000円まで。(追記:残念ながらご夫婦高齢と店舗老朽化により2023年5月ファンに惜しまれつつ閉店)

「かどや」:家から徒歩5分。開店から50年以上となる、やはり老夫婦が営む食堂。色褪せたびりびりの暖簾(先日新調)が掛かっていればやってる印。中はかなり狭く、地元民以外は見たことがありません。ですが、ここのラーメンは石和でベストだと思います。いわゆる昔ながらの「中華そば(支那そば)」で、うっすらと脂が浮く透明の醤油スープに、細いちちれ麺、支那竹、焼豚、海苔が入っています。何でも、スープは使いきりで毎日仕込むのだとか。なお、ここの「かつ丼」もとても美味しく、先日民泊ゲストのドイツ人人を連れて行ったら、皆大層喜んで食べていました。
最近になって腕の確かな息子さんが跡を継いでくれたので新しいお客さんが増えた印象です。

おまけ情報
◇山梨の3大名物:1、ほうとう(味噌煮込みきしめんうどん)、2、煮貝(あわびの保存食で高価)、3、鳥もつ煮込み(2010年B-1グランプリ受賞)、番外:馬刺し。
なお、山梨で「かつ丼」を頼むと、どんぶりの白米の上に、キャベツととんかつが載って出てきます。卵でとじたいわゆるかつ丼は、「煮かつ丼」と言わねばなりません。近ごろ誤解がないように「甲州かつ丼」とか「ソースかつ丼」などと標記する店もでてきました。
◇お土産:桃、ぶどう、ワイン(特に白)、桔梗屋信玄餅、澤田屋の黒玉(おすすめ)、印伝小物、水晶製品
◇県民性:勤勉、努力家、我慢強い、不愛想、閉鎖的、(美人は希少
◇方言:「〜ずら」、「〜じゃん」、「〜けー」、が基本。「ほー」、は(そう)の意。「ほーけー」(そうなの)、「ほーずら」(そうでしょう)、「〜っちゅーこんずら」(〜ということでしょう)etc.
「ちょ」は禁止、「し」は命令・強調。行っちょ(し)、は行くな。行けし、は行きなさい。来ちょ(し)、は来るな、こーし、は来なさい。ちなみに「わにわに」、はふざけるの意で、Gmは子供の頃、おばあちゃんから「わにわにしちょし!」とよく怒られました。

Last Revised 2024.06.28 by Gm