『何でまた掛川なんかに住んでるの?』会社の同僚達から何十回同じ事を聞かれたことだろう。この質問には言外にこんなニュアンスが含まれている。“会社の近くにいくらでも賃貸マンションがあるのに、何でわざわざ何も無くてつまらない掛川なんかに家を借り、片道1時間近くもかけて通ってるわけ?余程のやむを得ない事情があるんだろうね?”
そして何十回同じパターンの会話が繰り返されただろう。『掛川の出身だっけ?』『いや』、『じゃ、親戚でもいるの?』『いや』、『じゃ、なんで?』『掛川が好きなんだよ』。そして、縷々掛川の素晴らしさを熱心に語り聞かせることになる。土地に起伏があって緑が多いこと、街全体が市民優先に造られていて明るく広々としていること、「生涯学習都市」を宣言し、図書館や音楽ホールなどの文化施設が充実していること、などなど。だが、相手は怪訝そうな顔をしたまま何時も同じせりふで幕を閉じる。『ふーん、変わってるね、、』
自分の価値観を他人に押し付けようなどという不遜な考えは毛頭ないけれど、悲しいことに、今までただの一人として私の考えに賛同してくれた人はいなかった。そんなに皆「職住接近」が良いのだろうか?自然よりも人や物や情報に囲まれて暮らしたいのだろうか?
電車に座って通勤できる贅沢さをこっちの人は感じない。茶畑の緑や満天の星や鶯の鳴き声にこっちの人は感動しない。人は身近な物の価値には気付きにくいものなのだ。ちょうどスイス人が毎日アルプスを見上げて感動しないように。
掛川に住むのは今回が2度目だ。1度目は10数年前だった。仕事の関係で1年間だけ浜松の駐在になった時、念願の掛川居住を人事部に申し出た。ところが担当者は頑として受け付けない。実家や親戚があるわけでもないのに会社から50Kmも離れた所から通勤するという前例が無いし、交通費の会社負担もかさむという理屈だ。そこで一計を案じ、浜松と掛川の同じ間取りの借家の家賃を調べ上げて、家賃の差額が交通費のアップ分を補って余りあることを証明してみせた。
困った担当者は上司に相談し、その上司はまたその上司にというように話は段々大きくなって、とうとう最後は人事部長決済で、掛川に住む「理由書」を書くことを条件に許可が下りたのだった。“S掛川市長の「生涯学習都市」思想に深く共感し、その理念に添った市民本位の街造りと、充実した文化施設を高く評価している云々”はその一節である。そして今回、また人事部に掛川居住を申し出た。以前の担当者はとっくに異動していて、また現担当者との間で一悶着起きそうになったのだが、二人のやり取りを聞いていたベテランの女性人事部員が言った。
『Gmさんの「理由書」ならファイルしてありますよ』
お陰様で現在、不便だが心豊かな掛川生活を満喫している。
(2005.02.20 by Gm)
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