僕のエーラー武者修行
日本クラリネット協会(JCS)会報 No.109(2010年3月号) より



・はじめに

アルスター湖から美しい街並みを望む

2009年4月にハンブルクに来て以来、早や9ヶ月余りが経過しました。NDR(ハンブルク北ドイツ放送交響楽団)のクラリネット奏者、ヴァルター・ヘアマン先生のレッスンは30回に及んでいます。2008年4月に還暦を迎え、サラリーマンを卒業した私は、ドイツでエーラー式クラリネットを勉強するという長年の夢を実行に移しました。思い返せば私にとって大きな決断でしたが、結果として多くの掛け替えのない収穫を得ることができました。これからドイツ遊学の経緯をご紹介します。


・プロフィール

ある都立高校の管弦楽部でクラリネットを吹き始めた私は、程なくクラシック音楽とクラリネットに夢中になりました。オーケストラから浮かび上がってくるクラリネットの音が、全ての楽器の中で最も美しいと感じたのです。

ゴイザーが演奏するレコードのジャケット
その頃買った1枚のレコード、ハインリッヒ・ゴイザー(元ベルリン放送交響楽団首席奏者)が演奏するウェーバーの「クラリネット五重奏曲」が私を虜にしました。ハガネのように強靭でありながら、クリームのように滑らかな音色。これこそ自分が目指す音だと確信しました。学生時代には、若きカール・ライスターが演奏するウェーバーの「クラリネット協奏曲第1番」が発売され、社会人になって間もなく、ザビーネ・マイヤーがモーツァルトの「クラリネット五重奏曲」でデビューしました。何れの録音にも強い感銘を受けましたが、私が好きになったクラリネット奏者は皆ドイツかウィーンの奏者でした。「あのような温かく芯のある音が出したい」。マウスピースやリードで試行錯誤を重ねながら、エーラー式クラリネットの音を探求する旅が始まったのです。

学生時代からアマチュア・オーケストラの一員として活動を続けてきたので、アマオケ歴では多分誰にも負けないでしょう。15年ほど前、所属する団体でブラームス「交響曲第4番」のトップを吹くことになりました。交響曲の中で私が最も好きな曲です。第2楽章の長く美しいクラリネットのソロは何としても自分が理想とする音で吹きたいと願い、思い切ってベーム式クラリネットからエーラー式クラリネットへ転向しました。教則本も教えてくれる人もなく、半年間仕掛けや指使いで苦労しましたが結果は大成功。長い間追求してきた音色に大きく近付いたと感じました。

・日本の現状

日本では殆んどフランス管(ベーム式)が使われているので、ドイツ管(ドイツ式+エーラー式+ウィーン・アカデミー式)に関する情報が非常に少なく、誤解や偏見も多いのが実情です。1996年、エーラー式を使用されている小林利彰先生(東京交響楽団)を中心に、ドイツ管を愛する有志と共に「ホルツの会」を発足しました。ドイツ管に関する情報交換と技術向上を目的として、演奏会、試奏会、クリニック等を開催するとともに、ウィーン、ドレスデン、バンベルクへ演奏旅行に行くなど、ドイツやオーストリアのクラリネット奏者と交流、懇親を深めてきました。マウスピースやリード、楽器や奏法等に関する個々の奏者からの見聞は貴重な情報源でしたが、同時に、断片的な情報に一喜一憂するもどかしさを感じていたのも事実です。いつかドイツから直接最新の情報を得たい、できればドイツで生活しながらドイツのプロ奏者に学びたいという夢が膨らんでいきました。

・ヘアマン先生との出会い

2007年9月、来日中だったNDRのEsクラ兼2nd奏者であるヴァルター・ヘアマン先生のレッスンを受けることができました。オーケストラ奏者として経験豊富な先生の示唆に富んだレッスンは実に新鮮で、2時間が瞬く間に過ぎました。長年の疑問や悩みが解消すると共に、知らなかった事、気付かなかった事を沢山学ぶことができました。また、私より一回り以上若いヘアマン先生の優しく誠実な人柄にも深い感銘を受けました。先生は最後に、ハンブルクに来たらもっと教えてあげられるのに、とおっしゃいましたが、その一言が後に私の決心を誘ったのです。2008年6月に念願の還暦リサイタルを終えた後、ヘアマン先生に弟子入りを志願するメールを送ったところ、あなたが好きなだけレッスンをしてあげましょう、との嬉しいご返事を頂き、ハンブルクへ行く決心が固まりました。

・夢の実現に向けて

ハンブルクへの渡航時期を翌年の誕生日である2009年4月10日と定め、準備を進めました。ドイツではビザ(滞在許可証)なし、つまり観光目的で滞在できるのは3ヶ月以内と定められています。ドイツ大使館に問い合わせると、私の年齢で長期間ドイツに滞在するには「語学留学ビザ」を取得するしか方法がなく、それには週20時間以上語学学校に通う事という条件が付いています。何れにせよドイツで生活する上でドイツ語は必須です。青山にあるゲーテ・インスティチュートの集中コースに通い、A2(初級)まで終了しました。その後、ハンブルクのドイツ語学校に入学許可をもらい、ドイツの任意医療保険に加入。住居はヘアマン先生から音出し可能な一戸建ての借家をご紹介頂き、家主と契約を交わしました。健康診断を終え、往復の航空券を手配し、生活物資と資金を携え、ハンブルク行きの準備が整いました。

・ヘアマン先生のレッスン

ヘアマン先生のレッスン風景

ベルリンに次ぐドイツ第2の都市ハンブルクは、中世からハンザ同盟都市として繁栄を誇った美しい街です。メンデルスゾーンやブラームスが生まれた街としてご存知の方も多いことでしょう。ハンブルク到着後、ヘアマン先生ご夫妻の助けをお借りしながら銀行口座を開設し、住民登録を済ませ、無事1年間のビザを取得することができました。そして平日はドイツ語学校へ通学しながら週末にレッスンを受けるという生活が始まりました。

ヘアマン先生には基礎からのチェックをお願いしました。レッスンは何時も先生が書いて下さったスラーやロングトーン、単純な音型から始まります。音階練習にはカール・ベールマンのエチュードを使用していますが、減3和音の各種アルペッジョを重点的に行いました。今までにレッスンで使った楽曲は、ブラームスのソナタとクラリネット三重奏曲、ウェーバーやモーツァルトの協奏曲などです。

ヘアマン先生手書きのレッスン用楽譜

どの音域においてもダーク(dunkel)な柔らかい(weich)音色で吹くこと、タンギングなしの発音練習、全音域で唇をリラックスさせたアンブシュア、腹筋の支えによって楽に息を送り続けること等を繰り返し指導されています。リードは常に紐で固定し、上の歯はマウスピースの先端から8mm〜10mmがベストポジション。ヴィブラートはいかなる場合も厳禁です。

先生はフレージングやアーティキュレーションを単に「こう吹きなさい」ではなく、必ず「なぜこう吹くべきか」と論理的に説明して下さるので、非常に説得力と納得感があり、演奏する上での自信にもつながりました。また、異なる指使いによる音色の選択や、音程の補正に関する様々なノウハウの学習も大きな収穫でした。今まで自分なりに工夫して大事に守ってきたものが、先生の一言であっさり変わってしまうことも幾度となく経験し、正しい方法で練習することの大切さを痛感しています。

なお、現在使用中のマウスピースは先生のバーンをコピーしたものですが、先生はウィーンでアルフレート・プリンツに師事されたので、ウィーン風に開きが狭く、フェイシングは長いようです。リードはシュトイヤーのアドヴァンテージ3・1/2を使用しています。

先生にはレッスン以外にも大変お世話になっています。NDRのリハーサルを見学させて頂いたり、先生に同行してニュルンベルクのリード&マウスピースメーカー、ヴィルシャーや、ノイシュタットにあるクラリネット工房、ライトナー&クラウスを訪問したりすることが出来ました。また、昨年ハンブルクのマリエンヌ教会で行われたクリスマス・ミサで、ハイドンのテレジア・ミサ曲を先生と一緒に演奏できたことは望外の喜びでした。

私はハンブルクへ来て初めて自分の居場所を見つけたような気がします。何しろドイツのオーケストラでは、クラリネットと言えば当然エーラー式なのですから。

・ハンブルクの生活とこれから

ブラームス生家跡の記念碑

水と緑が豊かなハンブルクの生活はとても快適です。春と秋の美しさは格別ですが、真夏でも気温が25度を超えることはめったになく、冬もせいぜい零下5度止まりで雪もそれほど降りません。ハンブルクでは毎晩のように質の高いコンサートやオペラをリーズナブルな価格で聴くことができますが、リューベック、ブレーメン、リューネブルク、シュベリーンといった歴史ある美しい街に1時間足らずで行けるのも大きな魅力です。

昔からベートーヴェンやモーツァルト、シューベルトやブルックナー等ドイツ・オーストリア系の音楽、とりわけブラームスの音楽が好きな私は、ハンブルク市内にある生家跡、ブラームス博物館、ミヒャエル教会等、ブラームスゆかりの場所を尋ねて歩きました。

クリスマス・パーティーでの演奏

私生活でも、色々なパーティーやドイツ語学校でクラリネットを演奏したり、当地で知り合った演奏家達とアンサンブルを楽しんだりしていますが、私がクラリネットを吹くことで人々が喜んでくれるのを見るのはとても嬉しい事です。また、言葉は充分通じなくても音楽は世界の共通語だということを改めて認識しています。

ドイツ語の習得にはそれなりの時間と忍耐を要しますが、ドイツ語学校で共に学び、笑い、親しく理解しあった世界20カ国以上の若い友人達は、私の大きな財産となりました。

ドイツ滞在も残り3ヶ月足らずとなりましたが、これからも出来るだけ多くのことを吸収して帰国し、今後ドイツ管を目指したい方々の少しでもお役に立てればと願っています。


*ヘアマン先生のレッスン内容と、ここに書き切れなかった多くのエピソードは、私のホームページhttps://oehler-spieler.jpn.org/index.htmlをご覧ください。

( 2010.01.21 Last Update 2019.05.13 by Gm)