女王様のクラリネット
オールド・ヴリツァーの魅力


才色兼備の天才クラ奏者の出現は衝撃的だった
一見何の変哲もないヴリツァーだが、これがザビーネ・マイヤーが1985年に、ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン(SKD)と、ウェーバーのコンチェルトを録音した楽器となれば俄然輝きを増してくる。

この録音の数年前、ベルリンフィルは帝王カラヤンと対立してザビーネ・マイヤーの入団を断固拒否した。「音が合わない」というベルリンフィル側の言い分が、如何に表向きで理不尽なものだったか、このCDを聴けばよく解る。しっかりと芯がある、ほの暗い音色とロマンチックな表現はウェーバーの曲想にぴったりだし、彼女の超絶的なテクニックは、パッセージが難しくなればなる程、まるで舌なめずりしながら獲物に襲い掛かる豹のように躍動的だ。

あの記念碑的な演奏を奏でたH・ヴリツァーに刻印された製造番号は17105。これを読み解くと1971年製であることが分かる。70年代までのヴリツァーは、80年代以降のものより内径(ボア)が大きく、太く良い音がしたとして未だに当時のオールド・ヴリツァーを探し求める奏者も多い。だが事実はどうなのだろう?縁あってこの楽器を入手したSr氏の協力を得て実際に内径を計測した。下表が100分の1mmまでの計測結果を解りやすくグラフ化したものである。

タルとベルはオリジナルと異なる可能性があるため計測から除いた。B管の上・下管全長はエーラーに限らず約46cm。ほぼ中央で上官と下管に分かれている。下管最終端の手前3cm付近より急速に内径が拡大するのがドイツ管の特徴。レジスター・ホールとサム・ホールにはチューブが立てられており、内部に飛び出しているため内径は見かけ上細くなる。なお、両ホール間の内径は計測用のロッドが斜めになり正確な数値が得られないため、上管の平均的な数値で補った。

ザビーネ・モデルの計測数値を、製作年代が異なる他のヴリツァーと比較すると以下のようになる。

上管 下管
入口部分 直管平均 出口部分 入口部分 直管平均 出口部分
1971年(ザビーネ) 15.0mm 14.8mm 14.8mm 14.7mm 14.8mm 21.6mm
1985年 15.0mm 14.7mm 14.7mm 14.7mm 14.7mm 22.0mm
1994年 15.3mm 14.8mm 14.8mm 14.7mm 14.8mm 21.8mm
2000年 15.2mm 14.8mm 14.7mm 14.8mm 14.8mm 22.2mm
2003年 15.1mm 14.6mm 14.6mm 14.6mm 14.6mm 22.8mm

測定誤差や個体差、経年変化等を考慮し、100分の1mm台の値を四捨五入して比較すると、あっけないほど似ている。つまり、70年代初頭に製作されたこの楽器に関する限り、他の年代のモデルに比して特に太いわけではないのだ。だが、ザビーネ・モデルより30年近い時を経て、明らかに0.2mm前後も内径が細くなった下表の2003年モデルと比較してみると、幾つか興味深い特徴が見えてくる。


まず、2003年モデルは上管と下管の太さにほとんど差がないのに対し、ザビーネ・モデルは上管の最終端付近から下管にかけて僅かながらすぼんでいる。数値的には14.81mmから14.76mmなので、四捨五入すれば同じ14.8mmになるのだが、上管より下管の方が細いモデルは他にはない。

次に、上管入口からレジスター・ホールまでの約5cmの間、徐々に狭まりながらストレート部分に移る(グラフ左端の斜線)のがヴリツァーの特徴だが、ザビーネ・モデルのみこの間ほぼストレートだった。

なお、管内に飛び出ているサム・ホールのチューブ上端が、ザビーネ・モデル以外のモデルは円弧を描くように面取りされているのに対し、ザビーネ・モデルはストレート(つまり未加工)であった。

さて、実際にザビーネ・モデルを吹いてみよう。内径が太いのだから楽に息が入ると思いきや、そう単純ではないのが面白いところだ。今までに吹いたどのエーラーよりも重く感じるのだ。息を吹き込むと、あたかも吹き返してくるかのような抵抗がある。だが、その重い扉を押しやった先には、かつて経験したことがない馥郁たる音色が待ち受けていた。音を言葉にするのは難しいが、密度の濃い、上質で温もりのある音とでも言えばよいだろうか。細く上ずりがちな音も実に太く安定している。それにしてもキツい。普段一息で吹けるフレーズの途中にブレスが必要になるほどだ。この重さが内径やサム・チューブの形状から来るものなのか定かではないが、このヴリツァーで、ウェーバーのコンチェルトを、いとも軽やかに吹きこなしたザビーネ・マイヤーは、まさに天才であり、エーラーの女王と呼ぶにふさわしい。

上:ザビーネ・モデル、中:2003年モデル、下:ヤマハカスタム
サビーネ・モデルにはタルとのジョイント部分にメタルリングがある
ザビーネ・モデル(左)と2003年モデルのキイ形状はほぼ同一だがブロ-クンハートキイの形状は大きく異なる
2003年モデル(右)はベル・キイとのジョイント部が改良されている サビーネ・モデル(左)の指掛けはなぜかリング付きだ

でも、なぜ彼女はこんなに素晴らしい楽器を手放したのだろう?これは全く勝手な想像だが、ドイツ物やスタンダード曲ならともかく、年齢とともに活動範囲が拡がるにつれ、アンサンブルやジャズ、ラテン等をやるには、もう少しライトで柔軟性に富んだ楽器を必要とするようになったのではないだろうか?

いつか畏れ多くも女王様へ再度謁見が叶った折には、あのザビーネ・モデルが現在日本で大切に使用されていることをお伝えすると同時に、(顔色を拝見しながら)手放した理由をお尋ねしてみたい。

Sabine Meyer

2007年5月Munsterにて
1959年南ドイツ、クライルスハイム生まれ。8歳より、ピアニストであり、クラリネット奏者でもあった父親の手ほどきでクラリネットを始め、11歳よりシュツットガルト音楽院でオットー・ヘルマンに師事、その後ハノーファー音大でハンス・ダインツァー教授に師事する。
21歳の若さでバイエルン放送響に入団。1982年ベルリン・フィル初の女性団員としてヘルベルト・フォン・カラヤンに招かれるが、団員投票の結果「音色が合わない」として入団を拒否される。真相はジェンダー(性差)らしいが、もし入団が実現していれば、今頃ヴェンツェル・フックスとの夢のツー・トップが実現していたかも知れない。フリーとなってからの活躍ぶりは今さら紹介するまでもない。
ミュンヘン音大の同級生で、ミュンヘン・フィルのクラリネット奏者だったライナー・ヴェーレと結婚。1男1女の母。リューベック音大で後進の指導に当たり、セバスティアン・マンツ、シェリー・ブリル、金子平ほか有力な若手奏者を育成した。
ドイツクラリネット協会(DKG)会長や、カールスルーエ音大学長を務めた5歳年上の兄ヴォルフガングは、2019年3月、64歳で死去した。

(Last Update 2019.05.13 by Gm)