「第九」の第3楽章は、クラ吹き冥利に尽きる音楽だ。晩年のベートーヴェンが、この天上の調べをクラリネット(当時はもちろんドイツ式)に委ねた事実は、永遠にクラ吹きの誇りである。
かなりのクラ吹きは、「そりゃー、あの深遠かつ至福に満ちた音楽を奏でられる楽器はクラリネットしかありませんよねー、ベートーヴェン先生」という、傲岸不遜ともいえる自負を心の奥底に持っているのものだ。 しかしながら、そのクラリネットソロ、先生の要求も相当厳しい。天国ように美しいメロディーが、いつ果てるともなく延々と続く。ノーブレスで吹ければベストなのだろうが、いまだ地上にいるクラ吹きは、どこかで息を吸わなければ本当に天に召されてしまう。
どこでブレスするべきか、手許にあるCDで、往年の名匠達の演奏を聴き比べてみた。
(演奏者名は、オーケストラ、録音年代から推し量って、上から黒=(勝手に:以下同)エデュアルト・ブルンナー、緑=カール・ライスター、青=レオポルト・ウラッハ、黄=ジェルヴァーズ・ド・ペイエ、赤=ハインリヒ・ゴイザー、である)
まず1番(小節番号60)。
ここは第3楽章開始後20小節目となぜかアーティキュレーションが違っている。
自筆譜も微妙だが、後に木管全体で奏でられる時には、明確に4拍目が切り離されているので、60小節の表記が正しいと思われる。
むしろ重要なのは、2回目が出てくるあたりの自筆スコアには、クラの1stパート以外は、come prima(前と同じ)としか書かれていないので、1回目と2回目を吹き分ける必要は全くないことと、クレッシェンドが4拍目のa(記譜)から既に始まっていることだ。
驚いたことに、ここを(以下、勝手に)ゴイザーと、ゴイザーの弟子であるライスターはノーブレスで吹いている。これがベルリン・フィルやベルリン放送響の伝統なのだろうか?だが、次の2番との兼ね合いもあるから、常識的にはウラッハの所だろう。
ブルンナーの所は楽だし、かつてN響でもそう聴いたことがあるが、緊張が高まるクレッシェンドの途中でのブレスは興ざめだ。
ペイエのは、4拍目からフレーズが始まる楽曲構成に基づいたもので、実際にそう指揮者から指示されたという仲間もいるが、ブレスは長い音の後で、という原則に反し、不自然。
2番(小節番号62、63)は、指揮者がどう振りたいかに掛かってくる。
1番で息を使い果たしたゴイザーとライスターは、当然63小節3拍目まで持たない。特にゴイザーの場合は、超スローテンポのフルトヴェングラーの棒だからたまらない。第3楽章、カラヤンが15分24秒に対しフルヴェンは19分36秒も掛かっている。
ここも常識的にはウラッハ、ペイエ、ブルンナー組だろうが、指揮者が偏屈で、どうしても63小節でブレスするなという場合は、ゴイザーかライスターのように処理せざるを得まい。
3番(小節番号82、83)も指揮者次第である。
今までブルンナーやペイエのように、アダージョに入る複縦線でブレスするものと思っていたが、どうやらこれは少数派らしい。
82小節は、2番ホルンがクラと同音のbを3拍目まで吹いてくれているので、2拍目裏で深いブレスが可能だ。
オクターブ跳躍したbが、小節を跨いでフェルマータ気味にホールに響くことになるが、きれいに決まれば快感かも知れない。
4番(小節番号84、85)。
84小節のスラーの切れ目でブレスしているのはブルンナーだけ。85小節1拍目fの跳躍の間で吸うのが一般的。
84小節の下降音型を下のfまでたっぷりと鳴らし、1拍目の裏が多少遅れても充分に深く吸わないと後で大変なことになる。
5番(小節番号87)。
できればブレスしたくないが、85、86小節と吹いてきて、どうも6番まで辿り着けそうもないと悟った時の緊急避難場所。
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自筆譜の86小節目はパート譜と全然違う |
6番(小節番号88)が全員一致というのはちょっと驚きだ。
1番と同じ音型だから、86、88小節のタイの後でブレスする人がいてもおかしくないと思うのだが、長いスラーが懸かっているから誰もしない。
ところが、ベートーヴェン先生の自筆譜を見ると、2拍目のaは付点4分音符で、次の8分音符g,a,bはスラーで一つの塊として書かれている。
つまり、92小節目にも繰り返されるように、先生は(言うも畏れ多いが)この楽章を通じて常に一貫したフレージングを持っているのだ。
いつしか間違った場所に印刷されたスラーの呪縛と言うべきだろうか。それだけ音楽家達は先生の楽譜に敬意を払っているとも言えるだろう。それにしてもブルンナーさん、あちこちでちょっと吸いすぎでは?
7番(小節番号89、90)が一番ばらけた。フレーズの切れ目なので、90か91小節の頭で吸うのは解るが、滔々たる流れが途切れる心配がある。それを避けるためか、ウラッハとゴイザーは、4番ホルンが同音のasを吹き延ばしている間にブレスしている。これを是としたい。
(2014..01.22 by Gm)
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