文句の多い日記帳
by 意地悪Gさん

2006<<  2005年

12月25日(日)快晴
さて、どんな版画でしょう?
中学生の頃から年賀状に版画を彫り続けてきたのだが、何時の頃からか単に干支の絵を彫るだけでは飽き足りず、過去1年間の事件や世相を映したり風刺したりするような「遊び」を絵柄に盛り込むようになったのだが、これを考えるのが毎年結構なプレッシャーなのだ。11月頃からあれこれ考え始めて最終決まるのが何時も12月に入ってから。良いアイデアが出れば(実はそれからが面倒なのだが)殆ど作業が終わったような気分になる。誰に頼まれたわけでもなく、むしろ皆正月早々ヘンテコな版画を見せられてさぞ迷惑な話だろうから、そんなにイヤならさっさとやめれば良いのだが、なぜか今年も彫ってしまった。さて、来年戌年の絵柄のポイントは「背広」「髪型」「紋章」である。世界が平和でありますように、と祈れば祈るほど紛争や暴動が起きてしまうという不条理?を描いている。ぜひ現物が欲しいという奇特な方はGm宛に年賀状かメールを下さい(笑。
12月24日(土)掛川不知雪
あの大きな柿が半分以下に
とうとう80個の枯露柿が出来た。2ヶ月近く軒に吊るされ寒風に晒されていた甲州百匁は、寒さに身を縮めるかのように堅く小さくなり、冬の陽を浴びて飴色に輝いている。表面に白い粉が噴いたからそろそろ食べ頃だ。早速一つを食してみたのだが、今年は厳しい寒さが続いたせいだろうか、例年より歯ごたえのある実を噛むほどに、中に閉じ込められていた仄かな甘みがじわーっと出てきて最高のできばえである。
なぜ渋柿の皮を剥いて戸外に吊るして置くだけでこんなに喩えようもなく美味しいものが出来るのか、自然の摂理の不思議を思わずにはいられない。どんなに技巧を凝らした高級料理よりも、昔ながらの素朴な食べ物の方が旨いというのは何だか愉快だ。「偉大なるものは単純なり!」と言ったのはフルトヴェングラーだっけ?
12月18日(日)大寒波襲来
生涯学習センターで「掛川市民音楽祭」が開催された。我らが「掛川市民オーケストラ」は、創立時の2002年から毎年「カルメン」組曲、「サウンド・オブ・ミュージック」、「くるみ割り人形」など市民に親しみのある曲を選んで参加してきた。ところが今年は一転してベートーヴェンの「第九」、しかも第4楽章だけである。全4楽章の中で最も(出来がわるく)やりたくない楽章だ。
この掛川にもご多聞に漏れず「第九を歌う会」というのがあって、これまで浜松からアマオケを伴奏に雇って音楽祭の最後を飾っていたのだ。ところが今年は事情が変わってきた。掛オケの方は3年間の行政からの財政的バックアップが断たれるのを機にNPO法人となり、運営費を自分達の手で、つまり営業をして稼ぎ出さねばならない。合唱団の方も高いギャラを払って遠くからオケを呼ぶより、地元のオケを使った方が経済的だと思ったに違いない。そこへ持ってきて、新市長は「全国第九を歌う会」の会長さんだそうで、当然音楽祭で地元の合唱団とオケが共演すると思っている。
そんな中でギャラの交渉を後回しにしたまま事がどんどん運び、とうとう最後になって両者の思惑の違いが表面化してもめてしまった。掛オケとしてはこの日のために何度も練習を積み、補強したトラにも謝礼を払わなければならない。「第九」の歌伴をやって赤字になる位なら初めからお断りだ。合唱団の本音は、地元のオケなんだからただでやってくれて当然だろう。イタリアから高名な(?)指揮者も呼んで来たし、オケにとっても勉強になったはずだ云々、といったあたりだろう。
本番自体は合唱団、オケ共に全力を尽くした最高の盛り上がりだったが、両運営サイドには後味の悪さが残る結果となってしまった。率直に詰めの甘さを反省し、今後の教訓として生かさなければなるまい。
12月11日(日)ベッドの上で
あなたは何にみえますか?
試験会場は満席状態だった。2教室にわたって150人はいただろう。こんなにも大勢の、しかもほとんどは自分の子と同世代の若者が受験しているとは知らなかった。みんな若いのによく勉強して偉いね。
机の上には鉛筆1本と消しゴム以外は一切置いてはならないとのお達しで、風邪も峠を越したとはいえ鼻もかめず、ペットボトルも飲めずで苦しかったが、出来はまずまず。来月末の合否発表が楽しみだ。・・・マツと言えば、、、
会場となった簿記専門学校は浜松市の「根上がり松」というバス停の近くにあった。昔この近くの「蜆塚(しじみづか)」という遺跡のある町に住んでいたのでその地名は知っていたのだが降り立つのは初めてだ。帰りのバスを待つ間、あたりを散策してみると小高い丘の上にそれはあった。樹齢200年以上という巨大な松の太い根が、2m以上も地表に露出している。それはまるで大蛇のようでもあり、龍の胴体のようでもあり、人のようにも見える。う〜む何とも面妖な代物であった。
12月10日(土)ベッドの中で
明日がビジネス法務実務検定試験だというのに風邪をこじらせてしまった。受けるのは3級という一番易しい試験なのだが、なぜ法律用語というのはかくも難解なのだろう。「瑕疵(かし)担保責任」、「懈怠(けたい)」、「物上代位(ぶつじょうだいい)」、「牽連性(けんれんせい)」なんて意味よりもまず読めねーよ。「心裡留保」も「保佐人」も「附合契約」も初めは誤植じゃないの?って思った。極めつけは「意志の欠訣(けんけつ)」で、実は訣の字の偏は缶なのだが広辞苑にも載っていない。「根抵当(ねていとう)」はずっと(こんていとう)だと思っていた。これって重箱読みとか言って文法的に間違いじゃなかったっけ?まあ、文句を言っていても始まらないが、頭の中は法律用語と鼻水で一杯だ。
テキストを読んでる内に意識が朦朧としてきて、ほんと「医師の献血」がほしいよ。
12月5日(月)う〜、寒!
実にあわただしい週末だった。「自由演奏会2005」参加、青山秀直氏のクラリネット・リサイタル、「10日の会」のピアノ合わせ、「池辺さんを囲む会」への出席。そしてとうとう今回も「ホルツの会」は時間切れで参加できなかった。
「自由演奏会」はいつもながら楽しかった。チェロもヴァイオリンもリコーダーも来た。電飾ペンギン!もいたし、サンタクロースや着物姿の女性もいた。今年のハイライトは観客席の正面・左右に金管楽器を配したアイーダの「凱旋の行進」だったかな。500人の立体音響が会場に響き渡って迫力満点だった。ファンファーレを奏する金管の中にフルートがいたりするところがいかにも自由演奏会っぽくて良かった。皆すっかり自由演奏会の楽しみ方を身に付けているようだ。
受け付け開始後の長蛇の列 後ろにはトランペットを吹く青いペンギンが・・・ 隣に座っていたお姉さん

「池辺さんを囲む会」は都立S高校の大先輩、池辺さんが創設した管弦楽部(S.P.O)のOB、OG達が、池辺さんの還暦と叙勲を祝おうと企画されたもので、全国各地から150人もが集まった。この日のためにOBと現役で組織されたオーケストラを池辺さんが振ったり、創部当時の写真や録音が披露されたり、歌あり演奏ありの楽しい時間を過ごした。皆40年振りに会うのだが、不思議と顔を見た途端、深い記憶のひだの中から当時の様々な想い出が鮮明に蘇ってくる。後輩が連れ立って挨拶に来て「Gm先輩には色々な事を教えてもらいました」なんて言われたが、きっといい加減なことを言っていたに違いないと恥ずかしかった。
「N響アワー」でお馴染みの池辺さんの駄洒落はこの日も全開で、「そこは硬めに、と言っても片目でウィンクするんじゃないよ」、「楽譜にタイが書いてあるけど他意はないんだ」、「感想をと言われても、今日は雨だから乾燥はない」などなど。時間が夜8時半を過ぎ、新幹線で掛川に帰らなければならないので2次会には出られない旨を伝えると「何だ!それは感・心・せん」と言われてしまった。「今日も舌好調ですね!」と返すのがやっとだった。
40年前の昔話に花が咲く OB・現役合同オケを振る池辺さん リュネールのOB会もやりましょうか
12月1日(木)寒いのにコートがない
ホルツのKn代表から嬉しい知らせがメーリングリストに流れた。来年のドイツ・クラリネット協会(DKG)シンポジウムが、ドレスデンで10月6日〜8日に開催されるとの情報が、セゲルケ氏を通じてもたらされたとのこと。しかも、今年7月の国際クラフェストで「ホルツの会」と一緒に演奏したセゲルケ氏がDKG幹部にその様子を報告したところ、「日本でドイツ管がそんなに普及し、かつ高いレベルで演奏されているのは非常に喜ばしい。」と感激し、我々を招待してくれるというのだ。もちろん自費でだが、プログラムに名前が載れば大手を振って参加できる。さらに、セゲルケ氏がバンベルクにある自分の工房やバンベルク交響楽団の演奏会を案内してくれるそうだから、これに応じなければ日本男児の名が廃るというものだろう。早速参加を表明した。
ざっとツアーのイメージを下のように考えてみた。フリーの10日にはバンベルクからほど近い(地図上では)マイニンゲンに足を延ばして、ミュールフェルトのベールマン式クラリネットを拝することだって夢ではない。ふふ、これから1年、楽しく過ごせそうだ。
10月 5日(木) 成田発、同日フランク経由ドレスデン着
6日〜8日 DKGシンポジウム参加、ホルツ演奏、交歓会、市内観光など
9日 バンベルクへ移動、セゲルケ工房見学、バンベルク交響楽団鑑賞
10日 自由行動(マイニンゲン、ハイデルベルク、マンハイム等各コース)
11日 フランク発
12日(木) 成田着

11月23日(水)(勤労感謝の日)何で出勤日なんだ?
この中に我が家が写っている!
Google Earthというフリー・ソフトはすごいな。最近こんなに驚いたことはない。iPod以上かも。何しろ人工衛星から地球を撮った精密な写真を無数に貼り合わせて地球上のどの地点へもアクセスできる。
どんどん近付いてくる地球を自由に飛び回っていると、まるで未来の超高速宇宙船に乗って地球を探検しているような気分だ。
地方の都市は普通の航空写真並みの解像度だが、東京やロンドン、ニューヨーク、パリといった大都市ではビルは勿論、民家や路上の車1台1台まではっきり写っている。まさかと思って東京を探索したところ、何と実家の屋根や庭までくっきりと写っているではないか!しかもごく最近撮られた画像らしく、近所に新しくオープンした店を見つけた時には我が目を疑った。
上がベルリンのフィルハーモニー、下は室内楽ホール
今度はドイツへ飛んで旅行書片手にベルリンフィルの本拠地、フィルハーモニーを捜してみると、これもあっさり見つかった。テントのような特徴ある屋根が目印だ。まだ行った事はないのだが、何だか急に親しみが湧いてきた。
これを使えば皇居の中も丸見えだし、ニューヨークなどは立体画像でビルの形状から高さまで判るので、テロリストにはお誂え向きのソフトに違いない。法的な問題はないのだろうかと心配になるが、まあ、そんなことは当局に任せておいて暫くはただで世界旅行を楽しむことにしよう。
11月18日(金)めっきり寒くなってきた
長久手町文化の家・森のホールの外観と内部
オッテンザマーの演奏会を聴いた。会場は今年愛知万博が開催された長久手にある「文化の家・森のホール」。7年前にオープンした複合文化施設の中にあるユニークな造りのホールで音響も良い。
曲目はシューマンの幻想小曲集やウェーバーのデュオ・コンチェルタンテ、メンデルスゾーンの演奏会用小品などで、オッテンさんにしてみれば今更さらう必要などない演目ばかり。演奏も手馴れたというか、やや緊張感に欠ける生ぬるいものだった。「決め」の部分だけピアノと合ってればあとは適当に、という感じ。音色も中音域にウィーン管独特の溶け入る様な柔らかさが感じられるものの感動するほどの美音でもなく、数年前東京で聴いた音と変わりはなかった。クルマの中でNAXOSから出ている彼のシュポア第1、3協奏曲や大好きなポプリを聴きながら期待して来ただけにちょっと残念。どうしてCDはあんなに良い音で録音できるのだろう?
シューマンはB♭管で演奏していた。次のウェーバーがB♭管だったからだろうが、ハンマーシュミットの音程の悪さが増幅されたように感じたのは気のせいか?曲趣からいってもやはりA管で吹いて欲しかった。因みに第1楽章中間部のアルペジョはノンブレス。フィンガリングは無駄がなく実に見事だ。キイから指が1cmと上がることはなく、スライドも指の先端が必要最小限に動くだけ。トリルやタンギングも流石に速い。オッテンザマーが本領を発揮するのはシュポアのようなテクニカルな曲なのかもしれない。
11月11日(土)天気晴朗波高し
天気も良いし、ちょっと気分が良いこともあったので久し振りに海までドライブした。掛川から30分も南へ走れば眼前には太平洋が広がっていて、一時間も掛からず御前崎にまで到達する。
←磯定食:御前崎で獲れた新鮮な刺身にサザエの壷焼き、海老の塩焼き、あら汁、他3品が付いて1,900円
MINIのサンルーフを全開にして海岸沿いを走ると、雄大な自然を独り占めしているようで誠に気持ちがよろしい。
風が強く白波が立っていたがサーファーにとっては絶好の日和のようで、波間には白いサーフボードと黒いウェットスーツが幾つも見え隠れしていた。
御前崎漁港の近くには沢山磯料理屋があって安くて新鮮な魚介類を食することができる。今日入った店も当たりで、刺身はもとより魚の頭が丸ごと入ったあら汁が絶品だった。帰り道で海を見下ろす素敵なカフェも発見し、とても得した気分の一日であった。
11月5日(土)秋晴れ!
今年も豊作だった
日記に文句を書いたからという訳でもないだろうが、昨日、今日と“文句なし”の秋晴れであった。早速生まれ故郷である山梨の田舎へ行って庭の柿を収穫してきた。その数80個。この柿は渋柿なのだが、大王柿とか甲州百匁(こうしゅうひゃくめ)柿とか呼ばれていて、実に立派な大きさである。1匁(もんめ)は3.75gだから1個が375g位あるということだろうか?この皮を剥いて屋外に吊るし、寒風に晒しておくと、正月にはまことに美味なる枯露柿(ころがき)ができる。最近知ったのだが、500年も前から続くこの辺りの特産品だそうだ。中は飴色に輝いていて、その懐かしい味とモチっとした食感は、忘れていた自然の恵みの有り難さを思い出させてくれる。毎年少しずつお裾分けしている内に、楽しみに待っていてくれる人もいるようだ。今年も美味しくできますように。
11月3日(木)どんより
右の2本が新製品
秋は一番好きな季節なのだが、どうも今年の天気はすっきりしない。秋らしい清々しい日が何日あったろう。もう11月だし、このところ朝晩はめっきり冷え込んできて「おい、まさかもうこれで秋が終わりじゃないだろね?」と文句の一つも言いたくなる。今日も朝から小雨が降ったりやんだりのぐずついた天気だった。普段から大きな傘を持ち歩くのが嫌いな僕は少々の雨なら濡れても平気なのだが、どしゃ降りだとそうもいかないので常時軽量な折り畳み傘を携行している。
3年ほど前に世界最小5つ折という触れ込みの傘を千円で買い愛用していたが、先日もっとすごいのを見つけた。長さこそ5つ折には敵わないが更に軽量で薄型、しかもたったの5百円である。嬉しくなって細いのと平べったいのを両方買ってしまった。早速家に帰って計量してみると、愛用していた5つ折が160gに対し真ん中のスリムタイプが150g、右のフラットタイプは何と120gしかない。コンビニで売っているビニール傘はだいたい260gだから半分以下である。傘を拡げてみると、新しい2本は長いだけあって直径が89cmと5つ折より5cm広くなっている。これは意外にもビニール傘より6cmも大きいのである。3年間で更なる軽量化、面積の拡大、値段は半額。素晴らしい技術革新ではないか!気が付くと「Water Front」というブランド名が一緒だ。傘の骨に貼ってあるラベルを見ると東京洋傘学院と言うメーカーらしいが、その企業姿勢実に気に入った。
10月16日(日)雨があがった
なぜこんな物が家に???
東京都世田谷区立船橋中学校の同窓会が、実に卒業以来42年ぶりに開かれるという連絡が来た。僕は北九州小倉の中学校から2年生の2学期に船中に転校してきたので、そう友人が多いわけでもなかったが、ちょうどその日の夜にホルツの練習もあったので行くことにした。全く名前や顔の見分けが付かなくてもつまらないので、前日に実家の押入れをほじくり返していたら、卒業アルバムと共になぜか2年E組の文集が出てきた。文集といっても印刷されたものではなく、生徒達の直筆の原稿用紙を束ねたものだ。テーマは同じクラスの友人を紹介するというもの。もちろん自分の拙い作文もあって、誤字を赤ペンで直されたりしている。なぜこんな半世紀近く前の「遺物」が家にあるのか、今となっては理由が全く思い当たらないのだが、話の種にと同窓会に持参した。会場の原宿のレストランには50人ほどの同窓生が集まった。すぐに顔を見て名前が思い浮かぶ人もいれば、アルバムの写真とは似ても似つかない人もいる。概して女性は昔の面影を残しているが、男の方は頭髪や体型の変化によって大きく変貌している。幹事さんの話では我々の学年は総勢330人いて、その内今回連絡が付いたのはやっと130人だったそうだ。もう亡くなった人も数人いるらしい。
密かに憧れていたのOdさんと
Gmは自己紹介で、当時ブラスバンド部に入りたかったのに「クラリネットは定員一杯」と断られ、それが未だにトラウマになっていること、2年E組の作文の宿題を42年間預かっていたので、今日それを皆に返却したい旨を伝えた。挨拶が終わった後、早速「入部を断ったのは部長だった俺かも知れない。悪かった」と告白しに来た男がいた。まあ、もう昔の事だから許してやろう。文集はちょっとしたセンセーションを起こした。あるはずのないものが目の前にあるのだから。自分が書いた作文や自分が紹介されている作文が欲しいと言って来た人達に、文集をばらして渡そうとすると、今度は「書いた人が持っていくと書かれた人が、書かれた人が持っていくと書いた人が来た時に残念がるのでは?」という声が出て、議論の末、僕が何時までも保存していて同窓会の度に持参することに決まった。とほ。
1次会が5時半頃終わったので、2次会は失礼してホルツの会に行こうとしたのだが、「あの文集じっくり読みたいからGmくんも2次会に行きましょうよー」というおばさん達に敢えなく拉致されてしまった。2次会がお開きになる頃にはホルツの練習も終わる時刻だったので、そのまま3次会のカラオケに突入。何しろ皆同年齢だからレパートリーに気兼ねは無用だ。加山雄三あり、いしだあゆみあり、中島みゆきありの大懐メロ大会。僕がエーラー・クラを引っ張り出して「メモリーズ・オブ・ユー」を吹いたらアンコールが来たので、とうとう最後は「川の流れのように」をクラと“元少年少女合唱団”が大熱唱。こうして深夜まで続いた42年ぶりの同窓会はまたの再会を約して幕を閉じたのだった。ふ〜、我ながら酒も飲まずによくやるよ。
10月13日(木)日向はまだ暑い
ポストに珍しく葉書が入っていた。差出人は掛川市立中央図書館館長。何かと思って読むと「この度は貴重な資料をご寄贈いただき誠にありがとうございました」とあった。そう言えば以前、所有していた5、6冊の本を、よく利用している市立図書館に寄贈したことがあった。寄贈といえば聞こえは良いが処分といった方が正確だろう。本なんか1回読めばそうそう読み返すこともないし、かと言って捨てるのも勿体ないというわけで、狭い部屋に場所ばかり取って困っていたのだ。お礼を言いたいのはこっちの方だが、あれってもう半年以上前のことじゃなかったけ?さすが「スローライフ都市」掛川だけのことはあるな。
10月6日(木)秋雨
ホントにそういう意味なの?
山道をクルマで走っていると、よく「落石注意」という黄色い標識に出会う。そこには山の上部が欠けて道路に転げ落ちてくる様子が描かれている。それを目にする度に、「運転しながら落ちてくる石を避けろと言われても絶対無理だし、第一、狭い山道で山の方ばかり見て運転してたら却って危険じゃないか。ったく、意味のない標識を作りやがって!」と長い間思っていた。
正しい意味を伝える標識案
ところが、先日ふと気が付いたのだ。もしかしてあの標識の意味するところは、「山から落ちて来る石に気を付けて運転しろ」ではなく、「道路上に落石があるかも知れないから注意して運転しろ」ではないのかと。なーるほど、それなら分かる。あ、そういう意味だったのね。わりい、わりい、誤解してたよ。ごめん、ごめん。って誰に謝ればいいんだろう?幾つになっても知らないことは多いものである。皆は知っているんだろうか?そこで提案だが(誰に?)、路上に石ころを2つばかり加えてみた。これで標識の真意?が伝わるはずだ。
9月30日(金)秋晴れ
トリビアを一つ。スパムメールという言葉がある。いわゆる一方的に送られてくる迷惑メールのことだが、スパムとは何ぞやと調べてみるとこれが結構笑える。英和辞書を引いても出てこないが、それもそのはず、SPAMは米国の食品メーカー、ホーメル社の歴史あるれっきとした商品名なのだ。食べたことはないが塩辛い豚肉の加工食品で、お世辞にも美味しいとは言えないものだそうだ。このSPAMを有名にしたのは1970年代に活躍したイギリスのコメディー・グループ「モンティ・パイソン」が出演していたドタバタテレビ番組の一話だったそうだ。
美味いって書いてある
とあるレストランにやって来たご婦人とウェイトレスの会話。「ここのお店のメニューは?」「はい、ハム・エッグ・スパムとソーセージ・エッグ・スパム、それにスパム・ベーコン・エッグ・スパムとスパム・ポテト・スパム・ソーセージ・スパム、、、」「もう沢山、私はスパムが大嫌いなの。スパムの入ってない料理は無いの?」「では、エッグ・チキン・スパムはいかがでしょう?スパム・スパム・チキン・エッグ・スパム添えよりスパムが少ないですが、、、」「もういいわ。じゃ、スパム・ポーク・スパムからスパムを抜いて頂戴!」「あのー、お客様、それでは料理が無くなってしまいます」・・・というようなバカバカしい会話が延々と続く(のだそうだ)。ここまで公衆の面前?でコケにされ、さぞかしホーメル社は立腹し、テレビ局を営業妨害、名誉毀損で訴えたかと思いきや、どうやらそうでもないらしい。一躍有名になったSPAMは、今ではネット上にスパム・ファンクラブもあるほどで、ホーメル社のホームページを覗いてみたら、何と、トップページにSPAMの広告が載っていた。どちらも中々大人だね〜。
9月24日(土)曇一時にわか雨
「良い物を長く」がモットー
もう7,8年も履いている靴がある。厚い革にオイルを浸み込ませたカジュアル・シューズだがとても履き心地が良い。以前、購入した東京のデパート経由で靴をメーカーに送り、ゴム底を全部張り替えたのだが、また磨り減ってしまったので、今度は掛川の連尺商店街にある靴屋に修理を頼もうと思った。この店は何となく前から気になっていたので、この機会に中を覗いてみようという魂胆もあった。ところが店に入って用件を告げると、店主と思しき中年の男は「ウチは修理はやらないから」とにべもない。その言い方が如何にもぞんざいで「そんな汚い靴何時までも履いてないで新品を買えよ」とでも言いたげだ。そうか、この店主は自分の店で修理すると勘違いしているんだな。メーカーに送って直すことを知らないのかも、と思った矢先「そういう靴はメーカーに送らないと直せないんでね」と追い討ちを掛けてきた。こいつは知っているんだ。ただ面倒で儲からないからやらないだけなのだ。そう知って益々腹が立ってきた。このまま帰るのもシャクなので、新しい靴を捜す振りをすると途端に態度を変えて近付いて来た。誰がこんな店で買うもんか!
連尺商店街は古くからの地元の店が多く、一体に品揃えが古臭くて接客態度もなってない。そのせいか休日でも人影はまばらだ。アーケードには何時もBGMに「夢は夜ひらく」が流れていて侘しさに花を添えている。先日商店街の店主が集まって対策を協議したそうだが、その席上、客が減ったのは商店街の道路幅を広げたのが原因ではないか?という意見が出たそうだ。トンチンカンも甚だしい。時代の変化と顧客満足を忘れた商店街に明日は無い。
2005年9月15日(木)晴れ時々小雨
自宅で使っている東芝のノートパソコンのヒンジ(蝶番)が壊れてしまった。まだ買って2年にもならないのにである。初めは片方がギクシャクしだし、騙し騙し使っている内にもう片方も駄目になり、とうとうパソコン本体と液晶画面が完全に分離してしまった。近くのパソコンショップに持っていくと、メーカーに修理に出すので3週間以上は掛かり、修理代も7,8千円はするでしょうとのこと。冗談じゃない!金額もさることながら、1ヶ月近くもメールやホームページがチェック出来なくなったら大変だ。散々考えた挙句「自分で直すっきゃない」という結論に達した。苦労してヒンジを覆っているプラスチックのカバーを外すと原因は明らかだった。ディスプレイ側に付いている幅の細い鉄板と本体側のアルミ製フレームが、左右に一つずつしかない小さな穴でカシメられているに過ぎないのだ。これだけで17インチの重い画面をどの位置でも止まるようにきつく固定する訳だからヒンジに掛かるストレスはかなりのものだろう。素人目にも明らかに強度不足の設計ミスと解る。初めはヒンジを強力な接着剤で固定しようとしたのだが強度が足らず失敗。いよいよドリルで穴を開け直す外科手術を決行した。0.25mmの下穴を開け、0.3mmのタップを立てて0.3mm×8mmのボルトをねじ込んだ。万全を期してフレームの裏側からナットで締めたかったのだが空間が無くて断念、代わりに接着剤で固定した。結果は大成功で今のところスムーズに開け閉めできている。
お手伝い頂いた皆さん
慎重に事を運んだ結果、修理が完了するのに1週間ほど掛かったが、トータル費用は千円足らずで済んだ。修理の過程でドリルを2本折ったけど、意外にも100均で買ったドリルが一番切れることが判った。ドライバーやヤスリもダイソーで調達した。僕のはEX/522CMEというモデルだが、この年の東芝商品は全国で大量のクレームを発生しているに違いない。くっそ〜、もう東芝なんて買ってやんない!いや待てよ、全国でそれだけ困っている人がいるんなら修理やって儲けるかなー。