文句の多い日記帳 by 意地悪Gさん



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12月22日(金)おかげで遅刻
雌伏4年、見事優勝を果たした金子君
おめでとう!
そうだったのか、迂闊にも知らなかった。あの日本音楽コンクール(と言うよりNHK毎日コンクールの方が馴染みがある)で金子平(かねこたいら)君が優勝したとは。今朝NHKBS放送で初めて知った。もう1ヶ月以上前のことだそうだ。上位3人の本選での演奏を全部聴いたが、楽器の鳴り、技術の安定性、音楽的な解釈、自発性、どれをとってもダントツ1位であることは誰の目(耳)にも明らかだった。彼は4年前の前回にも高校生で参加し見事2位を獲得しているのだが、芸大に入学してから現在は北ドイツリューベック音大のザビーネ・マイヤーの下で研鑽を積んでいる。前回の雪辱を果たすためには優勝しかない。想像を絶するプレッシャーだったろう。勇気と実力を兼ね備えた実に大した青年だ。何より演奏や音楽に対するひたむきさと謙虚さに好感が持てる。楽器はイデアルではなく、プレステージのように見えたのが僕には唯一気掛かりではあるが、、、
12月17日(日)朝のうち小雨のち晴れ
今年の「第九」の歌伴は掛川市の南東、太平洋に面した御前崎市だった。御前崎市民会館ホールで開催された「御前崎市誕生3周年記念コンサート」に呼ばれたのだ。昨年の内から打診があり、掛オケとしてもゲネプロを含め2日間の出張演奏となるのでそれなりの費用を提示したが、御前崎市行政の後押しもあってすんなり了承された。昨年の反省を踏まえ、今年に入って私が見よう見まねで「契約書」を作成し、細目について双方合意の上準備が進められたので気持ちよく本番を迎えることが出来た。
御前崎には母体となる合唱団があったわけではなかったようだが「オーケストラをバックに第九を歌おう」と呼びかけたところ150人近く集まったというから驚きだ。ドイツ語はもちろん合唱も初めてという人がほとんどだったので、通算35回もの練習を重ねたそうだ。また聴衆もすごかった。当初は1回公演のつもりだったが昼夜2回にして欲しいと言われ、その理由をたずねると1回の演奏会では聴きたい人が入りきれないからとのこと。まさかと思ったが、事実500の座席はどちらも満席で立ち見が出るほどの盛況ぶり。掛オケもその熱意に応えて力の限りを尽くし、夜の本番では曲中に思わず拍手が来るほどの盛り上がりだった。
来年は早くも御前崎市の東、吉田町から声が掛かっていて、楽屋には花束まで届いていた。NPOとしてはありがたい限りだが、これほど「第九」(の第4楽章だけ)を愛する国民は他にはあるまい。先日も第九を聴いたし、もうお腹一杯って感じ。そうそう御前崎市「第九を歌う会」実行委員長が挨拶の中で「半年以上にわたってわけの解らないドイツ語と格闘しました」と語っていたけれど、掛オケのチェロパートの中に一人ドイツ人のトラがいたのを知っていたのだろうか。
静岡新聞12月18日付朝刊より (指揮:堺 武弥)
12月8日(金)曇りだが暖かい
レクム氏は長身、スリム、○である
ベト8の出だしのソロからして全然違うのだ。Pなのにあんなに柔らかく拡がりをもって聴こえてくるソロを経験したことはない。もちろん3楽章も文句なしだ。最後のハイGがオペラシティの高い天井に溶け込むように消えていった。ソロだけではない。中音域も豊かで明瞭でありながら親和性に富み、ファゴットやホルンやオーボエとバランス良く寄り添いつつ、管楽器セクション全体の接着役としてブレンドされた絶妙なハーモニーを醸し出していた。
前日「田園」を聴いて大ファンになったというホルツの浦島太郎子さんことMwさんと楽屋を訪ねた。レクム氏とは飯田音楽祭以来3ヶ月ぶりの再会だったが、覚えていてくれて開口一番「過日は小さなプレゼントをありがとう」と言われた。実は先のドイツ旅行中にマンハイム音大に立ち寄って守衛さんに「ミニ・ハーモニカ」をレクム教授に渡してくれるよう頼んでおいたのだ。(因みに守衛さんの名前はシューマッハさん。F1ドライバーの真似をすると「その通りだ」と笑っていた)。ノルトハウゼンのKbさんがよろしくと言ってましたと伝えると「ああ、Kbは時々家にお茶を飲みに来るよ。彼はマウスピースを沢山持っていてねー」だって。
Rainer Muller van Recum 世界初の毛筆サイン
レクム氏は今回、ミスターSとして日本で絶大な人気を誇るスクロヴァチェフスキーが指揮する、ザールブルュッケン放送交響楽団のベートーヴェン交響曲チクルスで6、7、8、9番を吹き、前半の5曲はもう一人の首席Fritsche氏が吹いたのだそうだ。「Fritscheさんはもうすぐリタイアするんでしょ?」と聞くと「詳しいねー」「Kbさんが教えてくれました」「ははん、はるほど」。そこでMw嬢のスルドイつっ込み。「そうするともう一人首席を入団させるんですか?」それに対しては「多分それはないだろう。実は近い内にもう一つのオーケストラと合併するんだ。そうなるとクラリネットセクションは5人になっちゃうから、、、」。ドイツでは依然オーケストラ再編の動きが活発なようだ。「何人になろうがあなたがベストですよ!」と言うと「それは僕には分からないけど」とどこまでも控えめなお方である。「来年また飯田で会いましょう!」と握手して別れたが、サインペンのつもりが間違って筆ペンを持ってきてしまったのでCDにレクちゃん初の毛筆サインをもらった。今年も美味しくできた石和の枯露柿を「ホームメイド・ジャパニーズ・ドライフルーツ」と言ってプレゼントしたが、ちゃんと教えたように種を取って食べただろうか。
12月4日(月)陽が出てても寒い
沢山のリコーダー仲間に囲まれて
今日は当社のリコーダー設計者Ymさんの定年壮行会だった。浜松アクトシティー内ホテルオークラの会場は東京から駆けつけて来た人も含め70人以上の参加者でふくれ上がった。これだけ彼との別れを惜しむ人が集まったのもYmさんの人徳の賜物だろう。
Ymさんと最初に出会ったのはかれこれ30年前だ。僕が本社営業で教育用楽器を担当していた7年の間にYmさんとは本当に良い仕事を沢山させてもらった。プラスチック・リコーダーの全面モデルチェンジ、普及クラス木製リコーダーの開発、木目高級ABSリコーダーの発売、バロックピッチのデナーモデルの発売、そして片手リコーダーの開発
東京リコーダーカルテット、柳生先生、H.Mリンデ、ケンブリッジ・バスカーズ、クナイス、ハウヴェ等との交流。
さらに二人で「リコーダーの本」というユニークなPR誌を発行した。当初はリコーダーの断面図や製作工程を紹介したり、来日演奏家のインタビューなどを載せていたが、段々と内容がエスカレートして、ある企画では日本中の名だたる作曲家全員にアンケートを送付し、リコーダーについてどう思うか、作曲したことはあるか、作曲するつもりはあるか、はなぜ作曲しないのか、などとこと細かく聞いた上にそれを一覧表にして掲載したりした。若気の至りとしか言いようがない。この「リコーダーの本」は23号まで続いたが僕の転勤に伴って自然消滅した。今でもそのバックナンバーを大事に保管している人がいるそうである。Ymさんは間違いなく日本一と言って良い知識とリコーダー造りの腕を持っているのに決して奢らず、他人を非難せず、常に謙虚で、心底温かい心の持ち主である。全く正反対の性格の僕はYmさんから人間の優しさや誠実であることの大切さを学ばせてもらった。どうかいつまでもYmさんのままでいてください。ありがとう。心からの感謝を込めて。
11月28日(火)10月下旬並みの陽気
僕テンです。パパがしばらく新聞の広告と僕の顔を見比べてからパソコンに向かってインターネットで何やら始めた時に何かイヤーな予感がしたんです。そしたら「ほらテン、見てみろ、お前が載ったぞ」だって。何事かと思ってパソコンを覗いたら何と“我が家のほっとケン・フォトコンテスト”というページに沢山の犬の写真と並んで僕の顔写真があるではありませんか。みんな毛並みのよさそうな可愛い座敷犬ばっかりなのに僕だけ雑種で浮かない顔をしています。しかも他の犬のタイトルが「お散歩大好き」とか「ヌクヌクお昼寝」とか「抱っこしてー」とかなのに僕のは「誰にも言わない話」で、僕の生い立ちまで暴露してるんですよー。これって犬権侵害ですよね?第一こんな暗い話が入選するはずないじゃないですか。え?万一賞をもらったら好きな物をお腹一杯食べさせてくれるって?ほんとに?ほんとにほんと?じゃー、僕の写真にじゃんじゃん推薦のコメントを書いてくださ〜い!https://hotlemon.jp/entries.htmlの27日分の一番うしろの方でーす。
11月24日(金)あした天気になーれ
皆さんはもう20日発売の「パイパーズ」304号を読みましたか?「ホルツの会inドイツ」と銘打ったKj氏の記事が見開きで巻頭を飾っています。あれからもう2ヶ月が経過しようとしていますが、記事や写真を見るとあの時の空気感が昨日のことのように蘇ってきます。当日の録音3曲を新設したプロフィール>「おみみよごし」にアップしました。例のサンヨーICレコーダーの内蔵マイクで録ったので音は良くありませんが、演奏の熱気と会場の温かい雰囲気は充分に伝わってきます。なお、来月号には拙稿が掲載される予定です。冬休みのひまつぶしにお読み下さい。あっと、それからホームページ・ビルダーをV7からV10にヴァージョン・アップしたら「テスト」作成機能が追加されていたので試しに作ってみました。賞品はありません、あしからず。
11月19日(日)午後から小雨
つま恋ノースウィングにて接続実験中
この週末は無線LANに挑戦した。せっかくモバイルパソコンを買ったのだから屋外でもインターネットをやってみたいという、ただそれだけの理由である。もともとレッツノートW5のパッケージには「無線LAN接続ガイド」というパンフレットが入っていて、これを持つ人は当然無線LANをやるものとばかり、他社製無線ルーターの推奨品番とともに接続のの仕方まで懇切丁寧に図解してあるのだ。こっちはパソコン音痴なので随分と迷ったのだが、推奨品のバッファロー「エア・ステーション」のパッケージにもやたらと「簡単設定」の文字が躍っていたので遂に買ってしまった。ところがそうは簡単に問屋が卸さなかった。バッファローの説明によれば@モデムとエア・ステーションをLANケーブルでつなぎ、Aパソコンに付属のCD−Rをセットして、BAOSSボタンをピッと押せば、ハイ接続完了!とのことなのだが、全然完了しないのだ。パナソニックの相談窓口に電話をかけて応対に出た男性に事情を説明すると驚きの答えが返ってきた。「AOSSはバッファローさん独自の規格ですので当社のパソコンは対応しておりません」。「え?!じゃ何で推奨機種に指定してるんだ!」と語気を強めると「ご意見は開発の方に申し伝えておきます」だって。何たる無責任。全国でどれだけのユーザーが困っていることか!仕方がないのでそれから手動で設定作業を進めたが、PPPOEだのSSIDだのAESだのチンプンカンプン。精根尽き果てたところでまたパナソニックの相談窓口に助けを求めると、今度は女性の担当が出て丁寧にチェックポイントを教えてくれた。初めて無線でつながった時には声しか知らないその担当者が女神のように思えたものだ。早速用もないのに無料のホットスポットがある「つま恋」に行ってインターネットに接続してみた。さーて、これからこの無線LANで何をするのかを考えよう。
11月15日(水)寒風強し
年に一度の全国大会である「自由演奏会2006」が近づいてきた。来週25日の土曜日、場所は恒例の横浜文化体育館。全国大会は早いもので今年で5回目だ。初回は2002年、浦安のNKホールに600人の老若男女が集まって大合奏を繰り広げた。その感動が全国に波及して草の根的に地方大会が開催されるようになり、北は北海道から南は九州まで、現在までに100回以上、約2万5千人の延べ参加者数を数えるに至っている。会場を現在の横浜に移した「自由演奏会2003」では参加者が千人に達したものの、その後「2004」は800名、昨年の「2005」は500名と、やや減ってきているのはさびしい限りだ。地方大会がこれだけ盛んになってくれば、わざわざ横浜まで出掛けて行く必然性も薄れるというものだろう。
だが、老いも若きも、上手いも下手も、プロもアマも、和楽器も洋楽器も、そしてエーラーもベームも、互いに力を合わせ補い合って演奏をする楽しさを、是非横浜から日本中に、否、世界に向けて発信したい、また、出来ることなら5,6年前にバンクーバーで樹立されたという6,500人の大合奏ギネス記録を横浜で塗り替えたいと願っている。この記録を破れるのは世界広しといえども、音楽教育水準がずば抜けて高い日本をおいて他にないと信じているから。「自由演奏会2006」に興味があればこちらをご覧下さい。http://www.yamaha.co.jp/jiyuuensoukai/concert/2006.html
私もエーラーを持って参加します。あなたも参加してみませんか?
11月7日(火)うす曇
ねーねー、今日の「毎日モーツァルト」観た?昨日の予告でシュタットラー(番組ではシュタードラー)をやるというから楽しみにしてたんだけど、話はザビーネ・マイヤーの第2楽章の演奏をバックに「クラリネット五重奏曲」の話からシュタットラーが考案したバセットクラリネットの話に移って・・・ここで一瞬バセットクラを吹く奏者のカットがあったけど、あれはヴォルフガング・マイヤーだったような・・・なぜか懐かしのというか1ヶ月前に行ったばかりのバンベルクの街並みが映し出された。
「この街にはヨーロッパでも数少ないバセットクラリネットの工房がある」というテロップが流れたかと思うと次に映し出されたのは何とセゲルケさん!熱心に楽器を造ったり試奏したりする映像が結構長く紹介されていた。
知らなかったー。NHKが取材に来たなんて話全然してなかったし。今日日本で放送されたことを知っているのだろうか?セゲルケさんは近々日本に演奏旅行に来るはずだから画像をプリントアウトしてプレゼントしよう。

11月2日(金)すっかり秋めく
黄色いMINIカーコレクション
MINIが初めての車検から帰ってきた。診断の結果はいたって健康体だそうである。もう3年経つというのにまだ新婚気分が抜けず、遠くから眺めても近くに寄っても、なんてカッコいいんだろう!と独り悦に入ってしまう。最近は電車通勤にしたので週末以外あまりかまってあげられないのがかわいそうだ。きびきびとよく走るし、距離はまだ4万Km足らずだが燃費もリッター13Kmを切ったことはない。確かにトランクは狭いが、いざとなれば後席を倒せるから、今まで積みたくても積めなかったという経験はない。そんなことより、総身に知恵が回っているというか、この必要にして充分なコンパクトさがこのクルマの賢さなのだ。最近はこの掛川にも仲間が随分と増えてきた。シルバーやレッドは平凡だが、グリーンやブルーはとてもきれいだし、ペッパー・ホワイトという白も素敵だ。だが、なんと言ってもリキッド・イエローほどMINIに似合う色はなかろう。目立つことこの上ないけど、可愛い上に品のよさがある。この魅力的な色が来年のモデルからなくなってしまうというから驚きだ。きっと売れなかったんだろうな。どうやら僕の好みはいつもマイノリティらしい。
10月22日(日)夕方から小雨
左がニューカマーのパナソニックW5。とにかく軽い。
前々から調子が悪かったノートパソコンがいよいよ修理入院することになった。2,3度リカバリーDVDを使ってセットアップというカンフル剤を注入したのだが、その直後は蘇生するものの徐々にまた症状が悪化して元に戻ってしまう。最近は完全に立ち上がるまでに1時間半を要し、漢字の変換に1分も掛かるという有様だった。ウィルスやスパイウェアのチェックを行っても何も検出されない。東芝の電話サポートセンターの担当者もとうとう音を上げてしまった。いずれこうなることを予想して次なるパソコン選定作業を開始していたのだが、とにかく持ち運びできる小さくて軽くてバッテリーが長持ちするものという基準で選んだのがパナソニックの12.1型W5である。何しろ今年4月の発売当時、世界最軽量の1199gでバッテリーは15時間持つそうだ。これまでのダイナブックは15型で3Kg以上あり、バッテリーも2時間しか持たなかった。この手の話として如何に自分が安く買ったかという自慢話が続くのだが、僕の場合は、Officeがインストールされてない機種、モデルチェンジ直前の値引き、プロバイダー変更による特典などで市価より10万円以上安く買うことができた。昨日から使い始めたばかりだがメモリー容量やCPUの性能が上がっていることもあり実に快適である。このW5を使ってそろそろドイツ旅行の整理を始めよう。
10月16日(月)
ごく一部に公開の希望があったエーラーによるボレロ・ソロをこちらにUPしました。ほんとに日本初演?!
10月9日(月)日本は暑い
バンベルクにもいた変り者
黄色いMINIONEMTサンルーフ付き
ドレスデンで見つけた
東独の遺物トラバント
10日間に及ぶドイツ旅行から無事帰国。ドレスデン、バンベルク、マイニンゲン、ニュルンベルク、ハイデルベルク、それぞれに楽しい思い出や貴重な経験があったけれど、ドレスデンにおけるDKGクラリネット・アンサンブルと合同で演奏したラインベルガーのパッサカリアは祈りとも言うべき感動的な響きがした。また今想い返しても心が震えるのは、マイニンゲンの博物館であのミュールフェルトのクラリネットをこの手で触れることができたこと。これもセゲルケ氏やゴルツ館長の溢れんばかりの好意と機転とによってもたらされた結果だった。言葉は不充分でも音楽という共通の言語によって心を通わせることが出来る。あらためてその真実を確認できた旅でもあった。Vielen Dank!!!
9月27日(水)小雨
荷物はこれ一つ
いよいよドイツに向かって発ちます。帰国するのは10月9日。ホルツの会のメンバーとドレスデンでドイツ・クラリネット・協会のシンポジウムに参加し演奏した後、バンベルクに移動してセゲルケ氏の案内でクラリネット工房などを見学する予定。
それからは一行と別れてトーマス・クックの時刻表を片手にニュルンベルクやハイデルベルクなどを回ってきます。特にバンベルクからローカル線に乗ってマイニンゲンの博物館に安置されている?ミュールフェルトのクラリネットを見に行くのがハイライトのひとつです。今回の旅でどのような出会いや発見があるのかとても楽しみです。無事帰ってこれたら色々と報告します。では、行ってきます。
9月15日(金)さわやか

レッスン当日お世話になった僕の大切な音楽仲間たち

カール・ライスターのレッスンを受講した。場所はイシモリの地下スタジオ。曲はレーガーのB-Durのソナタ第1楽章。ピアノは10日の会で何時も伴奏をお願いしているOkさんに、通訳はホルツの会のYkさんにお願いした。
ライスターは言うまでもなく帝王カラヤン率いるベルリンフィル黄金期の不動の首席奏者。その全音域に亘る滑らかで柔らかな音色と堅実かつ華麗なテクニックは他の追随を許さず、世界中のクラリネット奏者の賞賛と羨望と憧憬の的だった。ライスターを聴いてクラリネットを始めたりドイツ管に興味を持ったりした人は日本にも数多くいるに違いない。ホルツ会員の中にもメールアドレスがleisterという人がいるくらいだ。
ランパルも日本が大好きだった
思い返せばライスターの名を知ったのは大学2、3年の頃だった。洋上大学に参加し生まれて初めて海外に行った時、パリのレコード店でライスターのデビュー版であるウェーバー1番とモーツァルトの協奏曲がカップリングされたLPレコードを買ったのだ。なにも日本で買えばいいものを、きっと異国の地で舞い上がっていたのだろう。それを抱えてセーヌ川沿いのトゥイルリー公園を歩いていると何やら遠くから管楽器の音色が聴こえてきた。近づいてみると野外音楽堂のステージで木管五重奏団が演奏している。演奏終了後楽屋口へ回ってみると、さっきクラリネットを吹いていたおじさんが手招きしてくれた。彼の名はアンドレ・ブータール(後に赤坂達三氏が師事)。拙い英語で自己紹介し、自分もクラリネットを吹いていると伝えると大層喜んでくれて「日本人ならオゾノを知らないか?」と問われた。その時は知らないと答えたのだが、それが後に東京で結成したアマオケ、「コンセール・リュネール」を熱心に指導・指揮してくださった芸大の細野(仏語はHを発音しない)孝興氏と判明した。二人は名高いギャルド・レピュブリケーヌ・オーケストラの同僚だったそうだ。
ブータールは僕のレコードを見てその時こう言ったのだ。「こいつ(ライスター)は上手いよ。きっと有名になる」。そんな訳でこのドイツ・グラモフォンの黄色いレコード・ジャケットの中には、なぜかフランス人のアンドレ・ブータールと、その時フルートを吹いていたジャン・ピエール・ランパルのサイン(カタカナでランパルと)が書いてあるのです。僕のお宝レコードの1枚。
ライスターのレッスンは70近い年齢を感じさせないバイタリティに溢れた説得力のある素晴らしいものだった。実に多くの驚きと発見に満ちていた。整理して報告したいのだが、余りにも得たもの、与えられたものが多いのでまだ充分消化できずにいる。「受講してよかった」それだけは間違いない。
9月3日(日)秋晴れ
総勢136人の静フィル・掛オケ合同オーケストラ

自分にとってちょっとしたハードルを乗り越えたときの気分は格別である。実行委員の一人として一年前から企画に参画してきた昨日の静フィルとのジョイントコンサートは大成功だった。会場の掛川市生涯学習センターホールはキャパ一杯の千人以上のお客様で満席となり、第3部の静フィルとの合同演奏では136人もの両楽団員が、ステージから溢れんばかりに並び「威風堂々」と「ハンガリー舞曲第5番」を熱演。最後にはこの演奏会を提唱したTz掛川市長が「ラデツキー行進曲」を指揮して満場割れんばかりの大喝采の中で無事幕を閉じることができた。
演奏内容も掛オケ、静フィルともに素晴らしかった。静フィルにはチェロが10人、コントラバスが6人もいて分厚い充実した低音を響かせていたが、それぞれ半分しかいない掛オケには羨ましい限りだ。管楽器の水準もさすがに高い。語りの稲垣美穂子さんにも驚かされた。ペールギュントの物語に聴衆を惹きこむ話術はさすがプロの女優さんである。
掛オケ側の「個人技迎撃作戦」も成功した。「カルメン幻想曲」を演奏した日比君は3回の合わせの間にもめきめきと上達し、本番で最高の演奏を披露して大器であることを証明した。長尾さんは益々技術に磨きが掛かると同時により自然で自由な表現力を身につけたようだ。“メンコンを弾く春花ちゃん”から“春花ちゃんの弾くメンコン”になりつつあると感じた。
さて、僕にとっての問題は「ボレロ」だった。急遽お鉢が回ってきたクラリネットのソロは憂鬱の種だった。顎関節症はかなり癒えたとは言え、その関係で奥歯は抜くは、その影響で舌は噛むは、さらに最近右目に物もらいができて音符が見づらいはの悪コンディションで臨んだ「ボレロ」だったのだ。案の定、一週間前の合奏練習ではメロディーの途中で1拍食ってしまい大混乱。16分音符も緊張からか左手小指がスムーズに滑らず全然粒が揃わない。個人練習では暗譜でもできるのにいざソロとなると上がってイージー・ミスをする。こんなことは今までなかったことだ。
「歳で集中力が衰えたのだろうか?」「肉体的な機能が低下しているのだろうか?」「もう自分にはソロは無理なのだろうか?」焦りと自問自答の一週間だった。パート譜に鉛筆で細かく注意を書き込み、大事な音にはマーカーで色を塗り、徹底的に楽譜を脳裏に焼き付けてひたすらイメージ・トレーニングに努めた。その甲斐あってか、ゲネプロでやっとノーミスで吹き通すことができ、本番では少し抑揚を付けてほぼ満足のいく演奏をすることができた。「何とか皆に迷惑を掛けずにすんだ」。「ボレロ」演奏後の心からの安堵感と達成感は他人には決して解かるまいと思われた。
ところが、演奏会後の打ち上げでフルートとファゴットのソロを担当した団員に感想を聞くと、意外にも、「もう二度とあんな苦しい思いをしたくない」、「心臓が口から飛び出すくらい緊張した」、「昔本番で犯したミスのトラウマで最後まで気を抜けなかった」、「次も同じように吹ける自信は全くない」、などと異口同音に苦悩を吐露したのだ。一見事もなげに堂々とソロを吹いているように見える若い団員達もそれぞれに人知れぬ悩みを抱え、それを克服する努力をしているのだなー、と大いに感心し、そして慰められた。
回覧されてきた大量のアンケートの中に一枚だけ「クラリネットの音が上品でよかった」と書いてあるのを発見し、おじさんはまた少し元気を取り戻して、よし、これからも頑張ろう!と思ったのでした。書いてくれた16才の女の子、本当にありがとう。

8月26日(土)曇り
まさかj自分が「浅草サンバカーニバル」に出演するなどとは夢にも思わなかった。なぜそんなことになったのか?全ては「自由演奏会 in 静岡グランシップ」で僕が譜面台を置き忘れたことによる。その譜面台をピックアップしてくれた杉山先生と後日電話でどこで受け取るか相談した際に「26日に浅草で自由演奏会をやるからそこで渡すよ」ということになった。朝9時半に集合場所の浅草産業貿易センターに行って譜面台を受け取り、早々に退散しようという腹積もりだったのだが「譜面台はクルマのトランクに入ってるけど今渡すと荷物になるから自由演奏会が終わってからでいいよね」と杉山先生。どうやら僕も当然参加すると思っている口ぶりなのだ。「え?あのー、まあ、、」などと曖昧な返事をしている内に人はどんどん集まり、事はどんどん進んで悲劇の幕が開いてしまった。人には抗えない運命というものがあるのだ。
朝早くから続々と集まる参加者達 サンバカーニバルならではの雰囲気
「で、今日は何を演奏するの?」とスタッフの一人に聞くと「3曲を繰り返し吹くだけなので殆どの皆さんは暗譜です。これがクラの楽譜です」と言って差し出された曲は「翼をください」「恋のカーニバル(通称:恋カニ)」と初耳「A Vos do Morro」。慌てて近くのコンビニでコピーし、必死で楽譜を頭に叩き込む。たった28小節の「Albumblatt」でさえやっと暗譜した位なのに、5Pもの楽譜をリハーサルまでの1時間で憶えるなんて到底無理だ。ギブアップするなら今しかないな、などと思っている内に近くの空き地でリハーサルが始まった。先ずは演奏のみ。僕だけ楽譜を地面に置いてカンニングするのだが、リピートやダルセーニョやダカーポが多くてどこをやっているのかチンプンカンプン。頭の中が大混乱のまま今度は行進の練習。サンバのリズムに合わせて笛の合図で横に動いたりクルクル回ったり。こんなことするの中学のフォークダンス以来だなー、と頭の隅で思う。また、行進しながら楽器を吹くのは端から見るよりずっと難しいものだと初めて知った。周りの参加者は中学生や若い人ばかりだし、とんでもない所に迷い込んでしまった。でも今さら後には引けない。何事も経験と覚悟を決めた。
公園でのリハーサル風景 揃いのTシャツで出番を待つ
何十とある出場団体の中で我々自由演奏会チームが見かけでは最も地味だった。他の団体は衣装から大道具・小道具まで、色といいデザインといいとにかく派手だ。若い女性の露出度も半端ではない。この日一日は目立つこと、観客を喜ばせることが正義なのだ。
さて、いよいよ出番である。ところがスピーカーから流れるアナウンスの声や他チームの大音量の音楽にかき消されてスタートの笛の合図が聞こえない。おまけに交通整理のおまわりさんの笛も紛れ込んでくる。こうなれば視覚に頼るしかない。周囲の仲間が動き出したのを察して行進を開始した。こうして約1Kmの道のりをクラリネットを吹きながら、さらにサンバのリズムに合わせてステップを踏みながらパレードしたのだが、ゴールにたどり着いた時には全身汗びっしょりで息も絶え絶えの状態だった。エーラーとサンバの関係はかなり遠いことを思い知らされた。途中審査員の採点があったそうだが、顔がこわばり指も足ももつれ気味の年長エーラー吹きが減点の対象となっていないことを切に望むばかりである。
その日の夕方に行われたホルツの練習では明らかに集中力を失っていて単純なミスを連発してしまった。ごめんなさい。
8月23日(水)残暑厳しい
ライナー・ミュラー・ヴァン・レクムという名前を初めて聞いたのは数ヶ月前、ホルツの会きっての情報通Kj氏からだった。「現在ドイツクラで一番良い音してるのは誰だろう?」という会話を交わしていた時だ。一度では聞き取れない名前のその奏者は毎年夏に長野県飯田市で開かれる音楽祭に来ているという。
早速インターネットで調べてみると「アフィニス夏の音楽祭」というホームページに氏の顔写真とともに略歴が載っていた。ハノーファー生まれ、H・ダインツァーに師事、ザールブリュッケン放送響首席、マンハイム音大教授とある。ダインツァーの弟子ならザビーネ・マイヤーと同門だ。飯田なら地理的にも近い。これは是非とも聴きに行かねばなるまい。
というわけで、たった1日ではあったが実際に自分の耳でレクム氏の演奏を聴き、レッスンを聴講し、また親しく会話することもできた。氏の音は確かに今まで聴いた中でベストと言える音だった。柔らかく包み込むような響きでありながら音の芯はしっかりとある。ダイナミックレンジは広く、ピアニシモでもノイズは皆無、フォルテシモでも決して破綻しない。
これは何としても氏の音の秘密を聞き出したいと、氏の1日のスケジュールが終わった頃を見計らって話し掛けた。190cmはあろうかという長身だが知的で優しい目をしている。自分もエーラーを吹いていると自己紹介すると大層驚き、逆に質問攻めにあった。日本でエーラーを吹いているプロは何人いる?ホルツの会員は何人?ドイツ人もいる?誰でも入れるの?等々。こちらも負けじと質問した。リードは?マウスピースは?楽器メーカーは?その答えは「リードはヴァンドレンのホワイトマスター(50枚に1枚位しか良いのがないけど)」「マウスピースと楽器はクロンターラー(KRONTHALER)」とのこと。この初耳メーカーの楽器は下管のトーンホールを大型化するなどしてノイズを大幅に低減したそうで、目の前でゆっくりと半音階を吹いてくれたが、なるほど全くと言って良いほど風切り音がしない。仕上げもブリツァー並に優れている。
氏の音質の素晴らしさを賞賛すると「ここまで来るのに長いこと(long time)掛かったよ、、、」と妙にしんみり言った。
音楽祭のメイン会場飯田文化会館 僕のクラを吹くレクム先生 興に乗ってウェーバーのコンチェルトを ホテルロビーで深夜まで続く室内楽演奏会
さて、ここで心に期していた作戦を実行に移した。「Could you please play my clarinet?」「Oh, sure.」というわけで、急いで我が愛器を組み立て氏の前に差し出した。前日に自分としてはベストのセッティングを施しておいたのだ。マッピはG3R,リードはフォリエッタDタイプの3番である。レクム先生「ほー、YAMAHAかね」などと言いながら暫く吹いた後口を開いた。「うん、なかなか良いじゃないか。音が柔らかくよく広がるし。ただアンブシュアをしっかりしておかないと音程が下がりがちになるから気を付けてね」。リードはフォリエッタだと伝えると「フォリエッタか!リーコフ(教授)の。僕も長い間使ってたよ」とのこと。そうか、音の方向はそう大きくずれていないらしい。フォリエッタもマイナーな際物ではないようだ。それさえ分かれば目的は達したようなもの。はるばる飯田まで来た甲斐があった。
その他雑談から。ドイツでベームが増えてるなんてことはない。ドイツでベームを吹いてるプロは自分が知る限りシュツットガルトの1人を含めて5人位。リガチャーはイシモリのシルバーを愛用してる。カッパー(銅)の方がずっと安いけどほとんど機能は変わらない。数日前イシモリに行ったけどミスター・イシモリは留守だった。え?ホルツがドレスデンで「魔弾」を演奏するって?すごいじゃないか、頑張れよ!今年12月にザールブリュッケン放送響の一員として再来日し、ミスター・Sことスクロバチェフスキーの指揮でベートーヴェンの交響曲を演奏するよ、等々。
レクム氏の音がオケの中でどのように聴こえるのだろう?是非確かめに行きたいものだ。
8月11日(金)明日から夏休み
来る9月2日(土)に開催される静岡フィルハーモニー管弦楽団と我ら掛川市民オーケストラとのジョイント・コンサートのお知らせです。
静フィルは来年創立30周年を迎える静岡県アマオケ界の名門で静岡市を中心に活発な演奏活動を行っています。団員も100名近くいるようで、創立わずか4年のこじんまりとした掛オケとは「格」が違います。なぜ歴史も規模も活動拠点も異なる2つのアマオケが掛川で競演することになったのか?・・・よく分かりません。が、一応「掛川市合併記念事業」と銘打っているように、Tz新掛川市長の意向が大きかったことは間違いないでしょう。静フィル側はどう思っているか知りませんが、当団にとって相手に不足はありません。団員は俄然対抗意識を燃やしていますが、実は、迫力や演奏技術で聴き劣りして恥をかきたくないというのが本音です。さて、演奏曲目ですが、先方は「ペールギュント全曲」語り付き、という癖球を投げてきました。しかも語部はベテラン有名女優、稲垣美穂子さんです(実はよく知らない)。これは我々には蒙古か黒船の襲来に匹敵します。迎え撃つ当団は正面撃破は不利と見て「天才子役二人+ボレロ」という秘密兵器を用意しました。人数では負けても個人技で勝負!という作戦です。天才子役の一人は掛オケにはお馴染みの長尾春花さん(現在東京芸大付属高校1年生)で、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲第1楽章を、もう一人は静岡県学生音楽コンクールで優勝した掛川出身の中学3年生、日比恵三君で、超絶技巧曲サラサーテのカルメン幻想曲を演奏します。
自分で言うのもおこがましいですが、現在掛オケの管楽器セクションには名手が揃っているので「ボレロ」もかなり聞き物です。難フレーズで悪名高いトロンボーン・ソロは、先日4人のメンバーが全団員の前で演奏し、多数決で選ばれました。クラリネットはというと、若くて上手い二人の相棒にソロを任せ、僕は延々とラ、レ、ファ♯しか出てこないバスクラに回ってラクをしようとしていたのですが、急遽一人が本番に出られなくなり僕がB♭管のソロを吹く羽目になりました。エーラーによるボレロというのも日本ではめったに聴けない貴重な記録になるかも知れません(笑。
このコンサートの最後には2つのオケが合同で「威風堂々」などを演奏する予定ですが、あの狭いステージに全員乗れるのか、当日になってみなければ誰にも分かりません。これも県西部特有の「やらまいか精神」というやつなのでしょう。
なお、今度の14日(月)にソロを入れてメンコンとカルメンの公開練習を行います。掛川近辺にお住まいの方(いないか)は19:00〜21:00に生涯学習センター第4会議室にお越しください。未来の巨匠、ソリストや堺先生のサイン付き。そうそう、このスリリングな?ジョイントコンサートのチケット(前売り1,500円)ご希望の方はメールをください。
8月8日(火)台風迫る
10月、ドレスデンでお会いしましょう!
今朝、たまたまNHKBSにチャンネルを合わせたら、昨年の草津音楽祭のコンサートから、僕も何度か演奏したことがあるベートーヴェンの「七重奏曲」をやっていた。演奏者は音楽祭の講師陣なのだろう、即席アンサンブルの完成度はいまいち。クラリネットは一聴してベームだと思ったのだが、何と画面に写ったのはエーラーではないか。奏者の顔はピエール・ブーレーズに似て俄かには思い出せなかったが、はたと思い当たった。ザビーネ・マイヤーのお兄さん、ヴォルフガング・マイヤーだ。氏こそは現在ドイツクラリネット協会の会長さんであり、確か(多分ご本人に自覚はないだろうが)ホルツの会員でもある。毎年草津に来ていたなんて知らなかった。そうと分かって画面に噛り付いて観たのだが、一見クランポンのエリートのように見える楽器は一体どこのだろう。リングが黒いからかタルが妙に長く見えるだけか?リガチャーは上締めの金属製(イシモリかも)。
肝心の音色は、明るいというか、クリアというか、決して太く力強い感じではない。時に緩やかなヴィブラートをかけたりして結構薄目のリードでラクに吹いているように思えた。ファゴットやホルンとユニゾンで吹く時には響きに輪郭を与えるようで柔らかく美しいのだが、第2楽章のようなどソロとなるともう少し厚みや温か味があってもいい。アンブシュアや楽器の構え方はザビーネにそっくり、というのもお兄さんには失礼な言い方だが、ほとんど同じ曲を入れている夫々のCDを聴くと、多くの点でほんの僅かずつサビーネが上を行っていて、天才を妹に持つ兄というのも大変だなー、という気になってくる。
8月6日(日)ひたすら暑い
セットアップ後のTEST。・・・やれやれ何とか回復したようだ。
近所の夏祭り会場から聞こえてきた和太鼓の響き
またパソコンの調子が悪くなった。1ヶ月ほど前からやたらとエラーメッセージが出るようになって、最近では起動に20分を要し、その後の動作も超スロー。ウィルスやスパイウェアのチェックをしても何ら異常はない。パソコンショップや東芝のフリー・ダイヤルに相談した結果、付属のリカバリー・DVDでOSを再セットアップすることにした。それで直らなければハードディスクの機械的損傷なのでメーカーへ修理に出さざるを得ないが、その場合は約1ヶ月を要し、しかも3,4万は取られるだろうとのこと。
セットアップはこれで3度目だが、データーのバックアップやアプリケーション・ソフトの再インストールが面倒この上ない。この際この大きくて(15in)重くて(3Kg)トラブル続きのパソコンをやめて、小型・軽量のモバイル・パソコンにしようか、ついでに頼りない静岡のプロバイダーも大手に変えようかなどと思い巡らせている内にもどんどん症状が悪化。このままでは蓄積したデーターが消滅しかねないので連休をつぶしてとうとう引越しを敢行した。どうやらセットアップは成功したようで、まるで見違えるようにサクサクと動くようになった。バックアップ用のCD−R(30円)以外一銭も掛からなかったことは幸いである。過去のメールやアドレスや住所録や履歴は全て消えてしまったのでまるで生まれ変わったように感じられる、というのはやせ我慢。
7月22日(土)忘れた
MINI浜松のセールスのFj君から電話があり、DMを見てくれましたか?言う。そう言えば一週間ほど前に来ていたが、どうせ展示会の案内だろうと、中身も読まずに捨ててしまった。そう伝えると、良い話があるから是非来店して欲しいと言う。買い替える気は全く無かったが、最近のMINIはどう変わっているのか興味があったので久し振りに店を訪ねた。
何だか全体的に派手になったな 先端のランプはウオツッシャー液警告灯だとか 黄色が無くなると聞いて慌てて買ったMINIカー
良い話というのは下取りの金額で、Fj君の話によると普通初めての車検前、つまり3年落ちの下取り価格は購入金額の4割というのが相場だが、MINIの場合は中々手放す人が少ない上にMINIの中古が出るのを待っている人が大勢いるので、5〜6割で下取るとのこと。僕のは一番安いMINI ONEのしかもマニュアルだが、それでも110万という査定金額だ。うーむ、確かに悪くない話ではある。少し心を動かされかけて最新のMINIを仔細に観察したのだがどうも余り感心しない。動力性能は変わらず、フロントグリルにメッキ類が増え、ヘッドランプのデザインも子供っぽくなった。羨ましく思えたのはサイドバイザーの追加だけだった。MINIはBMWの当初の目論見より購入層の年齢が高く、若年層に不人気だったのでデザインを若者向きに変えているという記事を読んだ記憶があるが、小手先の戦略変更は却って虻蜂取らずになりかねない。そもそもこのクルマのオモシロさは大人にしか解らないのだ。Fj君に率直な感想を伝え、当分今のMINIに乗ることを伝えると、「やはりそう仰ると思ってました。実は来年モデルからリキッド・イエローが無くなるんです」と言う。この最後の一言で10年10万Kmへの決心は固まった。
7月15日(土)真夏のよう
浜松市冨塚町1618−120月休рO53−473−0848
ある日、突然会社の後輩Ms君から葉書が来て、会社を辞めて喫茶店を始めたと知らされた時には正直驚いた。いくら退職金を元手にするとはいえ、今どき喫茶店で生計が立てられるのだろうか?しかも地図を見ると浜松市の住宅街の真ん中だ。半信半疑で店を訪ねたのが1年前だった。これと言った目印もない新興住宅地をMINIで散々迷いながら発見したその店はまさに新築住宅そのもので、他の住宅との違いは壁に「noncurante」(ノンクランテ=伊語で“気楽な”という意味らしい)という店名が掲げてあるくらいだった。店に入ると何時の間にかちょび髭を生やしたMs君と奥さんが歓待してくれた。実は二人を引き合わせたのは20年前の僕なのだ。
ひとしきり昔話に話が弾んでMs君が丁寧に淹れてくれたコーヒーを戴くと、これが実に美味かった。何でも心酔したコーヒーの先生に弟子入りを懇願して直々にノウハウを伝授してもらったらしい。焙煎機もアナログ式と高価なデジタル式を購入し、毎日少量ずつ焙煎して販売もするとのことだった。ただ一つ心配だったのは、あの美味しい一杯立てのコーヒーがたったの350円だったこと。
あの二人はその後上手く行っているだろうか?この1年間、いつも心の隅で気掛かりだった。だが、今回再び訪れてみてどうやらそれは杞憂に終わったようでほっとした。店はとても繁盛しているようだった。僕が店に入った時はカウンターに一つ席が空いているだけだったし、客が帰ればまた客が入ってくると言う具合だ。「お陰さまで固定客も増えましたよ」とMs君が微笑む。「週に一回の休みも買出しで忙しくって、、」と手作りランチのトルティーヤを出しながら奥さんも笑っている。
Ms君推薦の円錐型ドリッパーと専用濾紙 カルモシモサカってどこの豆?
今回は美味しいコーヒーの淹れ方をMs君にじっくりと教えてもらった。水は業務用のフィルターで濾す。湯は沸騰させてから90℃に下げる。豆は濾紙を使う時は細かく挽く。ドリッパーと濾紙は一点抽出の円錐型を使う。はじめは湯を細く満遍なくコーヒーの粉に垂らす。少し蒸らしてから同心円描きながら一気に注ぐ、などなど。「でもやっぱり味の決め手は豆の質と焙煎の仕方ですよ」と一言。プロから秘訣教わって得したお礼に円錐型ドリッパーと、この店の一押しという「カルモシモサカ」という豆を買わせてもらった。見送ってくれた二人に手を振りながら、夫婦で力を合わせて夢を叶えるっていいなと思った。
7月8日(土)長野も暑い
観光客で賑わう長野の善光寺
クラリネットフェスティバルin長野に「ホルツの会」の一員として参加したので、初めて長野市を訪れた。何となく松本市の方が有名な気がするが、こっちが歴とした県庁所在地であり、「人口も40万人で松本より10万も多い」と地元タクシーの運ちゃんは息巻いていた。リハーサルの前に時間があったので観光名所である善光寺を見物に行った。知らない街を散策するのは実に浮き浮きと楽しい。
巨大な仁王像が両脇に立ちはだかる山門をくぐると堂々たる本堂が姿を現した。階段を上がると小さな座像の周りに人だかりがしていて、皆しきりにその像に触っている。よく見るとその木彫の像の顔や手足はつるつるに磨り減っている。何でも自分の患っている所を触ってから「びんずる尊者」と呼ばれるその像の同じ所を触ると病が治ると言い伝えられているそうだ。団体ツアーのガイドさんが、「順序を間違えると益々悪くなりますよ」などと言って笑わせている。僕も余程タンギングが速くなるように舌に触ろうかと思ったが、びんずるさんがのっぺらぼうではそれも叶わなかった。
さて、信州と言えば蕎麦である。別に蕎麦の味にうるさい訳ではないが、折角信州に来たのだ、どこか美味そうな店は無いかと捜したところ、手打ちの実演をしている古めかしい蕎麦屋を見つけて入った。「大丸」という屋号のその店は老舗らしい店構えなのに意外にも値段が安く、頼んだ一番高い天ぷら更科そばでも1,300円である。手打ち麺には適度なコシがあり、つゆも濃い目でダシが利き、天ぷらも揚げ立てで大満足した。だが、真夏のように暑かったこの日、一番美味しかったのは近くの甘味屋さんで食べたクリームあんみつだったかも。
7月5日(水)雨、鬱陶しい
平成15年の年賀状の版画。羊のように怯える日本列島
3年前の預言が的中!?北朝鮮が「テポドン」だの「ノドン」だのを随分派手に打ち上げた。花火大会には少し早いような気もするが、太平楽な日本政府には良い気付け薬になったろう。
拉致問題で散々北朝鮮からバカにされても経済制裁に踏み切れなかった弱腰政府が、ミサイルを7発も発射されてやっと目が覚め、慌てて経済制裁を発動するというのも何時もながら実に情けない話だ。小泉さんもプレスリー邸ではしゃいでる時でなくて良かったね。運も実力の内か。今回の事件で一番得をしたのは安部官房長官じゃないだろうか。これだけ会見でプレゼンスが上がれば次期首相間違いなし?
因みに「テポドン」も「ノドン」もその存在が確認された北朝鮮の地名で、アメリカが勝手に命名したものだそうだ。そのアメリカもイラクで失敗しているから簡単には手を出せない。落ち目のブッシュと引退間近な小泉がどのような対応策を講じるか?金正日体制殲滅への国際的「詰め将棋」はサッカーのワールド・カップなんかよりずっと興味深い。
6月21日(水)蒸し暑い
今年はモーツァルト生誕250周年に当たるので、あちこちのテレビ局でモーツァルトの特番を組んでいる。僕が毎日楽しみにしているのはNHKBSハイビジョンで放送しているその名も「毎日モーツァルト」。朝7:30からなので出勤の支度をしながら見るのにちょうど良い。モーツァルトの子供の頃の曲から年代順に代表作を、関連する人物や建物や風景等の映像とともに流してくれるので勉強にもなる。
今日、第98回目の作品はウィーンの皇帝ヨーゼフ二世が愛好したハルモニームジークの代表作「グランパルティータ(13管楽器のためのセレナード)」だった。毎回番組の冒頭に作品に対する有名人の解説というか思い入れみたいなインタビューが入る。今日は俳優の江守某だったがこれは無くもがなだ。
さて、紹介される音楽が専門外のヴァイオリンやピアノならふんふんと頷きながら聴いていれば良いのだが、ことクラリネットが活躍する名曲となると番組の見方も俄然厳しくなってくる。
毎日何回か再放送もある15分のお薦め番組
まず、音楽が13管なのに映像はなぜかピアノと木管四重奏なのだ。もちろんバセットホルンやコントラファゴットなど影も形も無い。まあ、それは適当な映像素材が見つからなかったということで許すとしよう。ホルンはちゃんとウィンナ・ホルンだし、オーボエもウィンナ・オーボエだし、クラリネット(女性)もウィーン・アカデミー式のハンマーシュミットを吹いている。よくぞ捜してきたと言えるかもしれない。
ところが、BGMの演奏団体のテロップが出て興ざめしてしまった。「ベルリンフィル管楽合奏団」。なぜ「ウィーンフィル管楽合奏団」を選ばなかったのか?せっかくのこだわりも帳消しで「画竜点睛を欠く」とはこのことだ、というような意地悪な声にめげず頑張って続けてほしい。
6月4日(日)晴れ
演奏会の様子を伝える静岡新聞の記事。70代って僕じゃないよ
昨日の掛オケ第4回定期演奏会は良い演奏会だった。セビリアの序曲ではまだ少し堅さが抜けなかったけれど、モーツァルトとチャイコでは掛オケの持てる力を出し切れたと感じた。特にメインのチャイコの5番は出だしのクラのユニゾンが完璧で、その緊張感がそれに続く各セクションの演奏レベルを押し上げるのに貢献した。僕は降り番(1アシ)だったがこの若い二人の同僚を誇りに思う。
今日お客様のアンケートを全部読んだ。やはりチャイ5の盛り上がりを絶賛する声が多かったけど、モーツァルトを弾いた今田君のピアノに癒されたという感想も多数寄せられた。彼の邪念のない透明な音がモーツァルトの澄んだ音楽にとてもマッチしていたからだ。地元の市民オケとの共演が少しでも彼の経験や自信に繋がってくれれば嬉しい。「曲目解説が分かりやすくてよかった」と書いてくれた人が1人いた。こんな一言で喜ぶ人がどこかにいるのだから、どんなことでも褒めてあげましょうね。
さて、今晩は浜松のアクト大ホールで堺先生がヤマハ吹奏楽団を指揮した。2時間半に及ぶ大コンサートで、委嘱作品(つまり日本初演)が3曲もあり、最後はバーンスタインの「キャンディード」をオペラ形式で演奏したのだが、それがまた感動的に素晴らしく、満場の喝采を博していた。前日掛川でクラシックの本番を振り、翌日浜松で吹奏楽の本番を振る。曲は合計10曲にもなる。きっと他にも沢山曲を抱えているに違いないのだが、一体頭の中はどうなっているのだろう?
こんなに忙しいスケジュールにもかかわらず愚痴一つこぼさず、欠かさず指導に来て下さる堺先生に対し、今後も感謝の気持ちを忘れずに良い演奏をして報いたいものだ。
5月30日(火)東京は人大杉
サントリーホールなんて何年ぶりだろう
けたたましいファンファーレは止めてくれ
ギュンターを訪ねたらクリストフに会った。バンベルク交響楽団の首席奏者でViottoのマウスピースG3(ゲー・ドライ)の開発協力者であるギュンター・フォルストマイヤー氏とは、どんな人物でどんな音でどんな演奏をするのだろう?その高まる興味と期待を押さえ難く、会社の地震防災訓練をすっぽかして、いそいそとサントリー・ホールまで出掛けた。今年創立60周年を迎えるというバンベルク交響楽団は今回が11度目の来日で、この夜の演奏がちょうど通算100回目の記念すべき日本公演だったそうだ。初来日は1968年、懐かしのヨゼフ・カイルベルトの指揮で「英雄」を演奏した。当時テレビでその演奏を聴いたけど、第4楽章のクラのゆっくりした上行型のソロ(ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・♭シ)が如何にもドイツ管らしい骨太で力強い音色だったと記憶している。今回の演奏会プログラムはクラ吹きの力量を知るには打ってつけの「未完成」と「ベト7」を選んだ。このオケ自体の実力はと言うと、勿論かなりの高いレベルではあるのだが、ちょっと荒っぽいというか統制がとれていないというか、ベルリンフィルのように超一流というわけにはいかない。真っ先にクビにすべきはトランペットで、委細構わず吹き散らす上に、アインザッツで飛び出したり、音程がとんでもなく上ずったりして全体の印象を大分損ねていた。また、長身で美人のオーボエ嬢は確かに音も良く上手いのだが、マイペースなテンポで伴奏とずれたり、楽譜にない独自の(勝手な?)アーティキュレーションで吹いたりしている。ま、全ては首席指揮者であるジョナサン・ノットの統率力の弱さに起因しているのだが、彼自身このオケにずっと留まろうという気はさらさらないのだろう。さて、肝心のクラだが、1stの席に座っていたのは意外にも若者。「未完成」2楽章の長いソロは2ブレスで無難に吹いたものの、息を節約したためか、上のCのクレッシェンドが利かない。「ベト7」の2楽章でも全体の響きを掻き分けて突き抜けてくる力強さが足りない。「おかしいなー、音色は確かに柔らかいけど、あれがほんとにG3の音?今日は彼に良い事が言えそうもないから会わずに帰るか、、、」と終演後気のない拍手をしている内にアンコールが始まった。ところがこれが凄かった!エネスコのルーマニア狂詩曲をさらに過激にしたような超特急の曲(後でリゲティの「ルーマニア協奏曲」第4楽章と判明)で、クラリネットが大活躍。楽譜を見るのも恐ろしいような難解なジプシー音階をものすごい勢いで吹きまくり、演奏後は周囲の団員からも盛んに祝福されている。彼はやはり只者ではないようだ。
未来の巨匠?クリストフ君はナイスガイ
これに勇気を得て彼を楽屋に訪ねた。楽屋は団員でごった返していて誰がギュンター氏だか全く見当がつかない。暫く通路で人がはけるのを待ってから思い切って楽屋に飛び込み、そこにいた若い団員に「ギュンター・フォレストマイヤーさんはいませんか?」と尋ねると、実は彼がさっきのクラリネット奏者だったのだ。隣の団員が「彼こそはもう1人の首席奏者、クリストフ・ミュラー氏であられる」と教えてくれた。非礼を詫びて自己紹介すると、クリストフ氏は「ギュンターはもう一つのプログラムに出ているから今日は出番がないんだ。今頃ホテルで寝てるんじゃないかな?」とのこと。気さくなクリストフ氏に安心して話が弾んだ。「日本はベーム式が殆どなんだろ?ホルツの会って何人位いるの?G3の頭文字はギュンターの意味だって知ってた?僕は元ベルリン・ドイツオペラのツェレツケ先生のマウスピースを使ってるんだ。そうそう、ライスターと同じやつ。ドイツでは今とっても人気があるよ、、、等々。今年10月にドレスデンで開催されるクラリネット・シンポジウムに参加した後バンベルクに移動し、セゲルケ氏の案内でバンベルク響も聴きに行く予定だと伝えると大層喜んでくれて「じゃ、バンベルクで再会しよう!」と握手して別れた。その時こそギュンター氏の音も聴けるだろうし、有能な若手エーラー吹きであるクリストフ君との再会も果たせるだろう。ドレスデン・ツアーの楽しみがまた一つ増えた。
5月24日(水)やたら蒸し暑い
左は6月3日、つまり来週の土曜日に迫った掛オケ第4回定演のポスターです。一昨日定演会場である生涯学習センターホールで練習しましたが、つま恋合宿後でもあり中々の仕上がりでした。今回Gmの出番はチャイコの1アシ、モーツァルトのトップ、ロッシーニの2ndです。エーラー吹きはロッシーニの「セビリア」を甘く見てはいけません。B♭管で吹くと♯が3つのイ長調になりますが、2箇所あるロッシーニ・クレッシェンドでは「パテントcisキイ」が大活躍します。こんなにこのキイのありがたみを実感する曲も少ないでしょう。モーツァルトのPコンは、全楽章を通じてクラがとっても“美味しい”曲ですが、3楽章の本番のテンポ(つまり速くなる)次第では舌が追いつかない「危険水域」が何箇所もあります。その場合は無理にタンギングして遅れるよりも「スラーで吹いちゃえ!」と心に決めています。また、とても美しい2楽章冒頭(7小節目)のソロは、エーラーで一番出しにくい上のCの、しかもp(ピアノ)で始まるので、当日は多分とても緊張してうまく出ないおそれがあります。でも、Pを意識しすぎて音がかすれるよりも「mf位で吹いちゃえ!」と心に決めています。なお、プログラムにチャイ5の曲目解説を書きました。お近くにお住まいの方は是非ご来場下さい。
5月21日(日)久し振りの初夏陽気
測定したマッピは全部で11個
今回改めてベームとエーラーの仕掛けを計測してみてその差がごく少ないことは意外な事実だった。1mmを超える差など皆無で、ほとんどは0.5mm以下だったのだ。ベームでもドイツ管らしい音色を出す人もいれば、エーラーを吹いていてもドイツ管らしからぬ音を奏でる人もいる。結局はその人が持っている音色のイメージが楽器というインターフェースを経て醸し出されるのではないだろうか。ドイツ管の音色イメージを持つ人はドイツ管とその仕掛けを使った方がそのイメージをより実現しやすいと言うに過ぎないのだろう。ただ最近残念に思うことは、オケやソロを聴いてもドイツ管とフランス管の音色の差がかつて程際立たなくなっていることだ。人や物や情報が自由かつ短時間に行き交う時代にあって、同質化は止むを得ない流れなのだろうが、クラシック音楽におけるクラリネット演奏を心の糧とする者としては、ドビュッシーやラベルが作曲時にイメージしたであろう音色と、ブラームスやブルックナーがイメージしたであろう音色とを演じ分けたいと高望みし、そしてあれこれと悩むことになる。良い音は一つだと言われればそれまでだが、自分が理想とする音色のイメージを磨くために日々注意深く耳を澄ませたいものだ。
5月19日(金)もう梅雨かよ
掛川市立病院の口腔(こうくう)外科医が下した診断結果は「顎(がく)関節症」だった。その瞬間「やっぱりね!」と妙に嬉しい気持ちが湧いたが、もちろん喜んでいる場合ではない。1ヶ月ほど前に左奥歯の治療をしてから食事の後や楽器を吹いた後に右のあごが痛くなり始めた。特に掛オケやホルツの練習でクラリネットを吹いた後には上あごと下あごがずれて噛み合わない感じで、無理に口を閉じようとすると右あごの付け根、つまり右耳の穴の辺りに激痛が走る。また、口を開ける度にまるで油が切れた蝶つがいのようにガリガリ、ゴリゴリと音がする。
ミオナールなる薬、眠くなるから
飲むなら乗るな、と
そこで先日、ホルツの練習後の2次会で北海道支部Kg医師に相談すると、「そりゃまずいっす。ほっとくとどんどん悪くなるから早く大きな病院の口腔外科で診てもらった方が良いっすよ」と脅かすのだ。掛オケにも医者の卵がいて同じことを言う。それまで「口腔外科」なる専門分野があることすら知らなかったのだが、口腔外科ってそんなにやることあるのかねー。その口腔外科医はレントゲン写真を見ながら僕のあごを掴んで押したり引いたりしながら言った。「右のあごの筋肉が硬化しているのでスムーズに動きませんね。長年楽器を吹いてきたことと関係があると思いますよ。普通の生活ではあごの筋肉を緊張させることなんかありませんから。筋肉を柔らかくする薬を続けて飲めば一ヶ月位で治りますよ」。そうなのか、ま、確かにかな〜り長い間クラを吹いてきたもんなー。クルマで言えば10万Kmを超えたポンコツかも。早く治したいのは山々だから処方された薬を毎食後に飲み続けているけど、一ヶ月も「筋弛緩剤???」みたいなものを飲み続けて大丈夫なんだろうか?
5月15日(月)やっと晴れた
とうとう来年の定演プログラムが決定した。各パートリーダーなど約20名で構成される「選曲委員会」が白熱した議論の末に出した結論は、【1プロ】ローマの謝肉祭(ベルリオーズ)【中プロ】エニグマ変奏曲(エルガー)【メイン】マ・メール・ロア(ラヴェル)である。インペクである僕は司会・進行役に徹したが、密かに目論んでいた【1プロ】牧神の午後【中プロ】ラ・ヴァルス【メイン】ラプソディー・イン・ブルーは見事に全部落ちた(笑。でもまあ、こんなプログラムで演奏会を開くアマオケなんて実にユニークだし、「ローマの謝肉祭」も「エニグマ変奏曲」も「マ・メール・ロア」も、アマオケ歴ん十年の間に一度もやったことがないので嬉しい限りだ。特に「エニグマ」は「アダージョ(ニムロッド)」くらいしか知らなかったが、早速スコアを買ってみたところ全部で14曲もあることを初めて知った。曲の長さや編成の規模からいってもこっちをメインプロにするべきかも知れない。それにしてもなぜ「エニグマ」がこんなに票を集めたのか?未だにエニグマ(謎)である。
年に数回しか演奏機会を持てないアマチュアにとって同じ曲を何度も演奏するほどつまらないことはない。星の数ほどある名曲の世界を1つでも多く体験してみたいものだ。それに演奏曲目を自分達の意志で自由に決められるのもアマチュアの特権だろう。常識的には無謀とも思えるバルトークの「管弦楽のための協奏曲」(通称「オケコン」)を推した僕と同世代のヴィオラ弾きが呟いた。「だって、この機会を逃したらきっと一生弾くことないだろうから、、、」。うん、解るよその気持ち。僕らに残された時間はそう多くはないもんな。
5月2日(火)明日からGW
第4回の掛オケ定演が近付いて来た。6月3日(土)18:45開演、掛川市生涯学習センターホール。入場料1000円。曲目はロッシーニ「セビリアの理髪師」序曲、モーツァルト「ピアノ協奏曲第23番」、チャイコフスキー「交響曲第5番」。指揮は勿論堺武弥先生。ピアノを弾くのは掛川出身の今田篤(いまだあつし)君で、現在東京芸大付属高校在学中の弱冠16歳。ショパンコンクールin Asia や全日本学生音楽コンクールなどで上位入賞を果たしている逸材で、どんなモーツァルトを聴かせてくれるかとても楽しみだ。なお、チケットのご用命は当方800円で承っております。
ゴールデンウィークが明けると早速恒例の「つま恋」合宿があり、定演に向けて最後の仕上げに励むわけだが、初日の夜に次回定演の「選曲委員会」が開催される。1年に1度しか定演を開かない掛オケ団員にとって次期練習曲は最大の関心事だ。実は、掛オケは奇数回の定演にはあるコンセプトを持って選曲することにしている。小都市のアマオケが、大都市のアマオケがよくやるような曲をやっても存在意義が薄い。隠れた名曲を発掘し挑戦することによって団員の経験や見識を広めるとともに技術の向上を図ろうという考えだ。因みに第1回定演のメイン曲はメンデルスゾーン交響曲第3番「スコットランド」、第3回はファリャの「三角帽子」(これには苦労したが楽しかった!)だった。
今回のコンセプトは二つ、「ドイツとロシア物を除く」と「他のアマオケが余り採り上げない名曲」である。日本は伝統的にプロオケも含めてドイツ音楽偏重で、ドイツ・オーストリー系の音楽が演奏曲全体の約8割も占めているし、ロシア作品を除いたのはチャイコをやったばかりだから。
さて、団員からこれらの条件に適った曲を募集したところ、出るわ出るわ。候補曲は以下の通りだ。
【1プロ】@亡き王女のためのパヴァーヌ(ラヴェル)A牧神の午後への前奏曲(ドビュッシー)Bローマの謝肉祭(ベルリオーズ)C優雅で感傷的なワルツ(ラヴェル)D夜想曲より「祭り」(ドビュッシー)Eキューバ序曲(ガーシュイン)F舞踊組曲(バルトーク)G2つの映像(バルトーク)Hハンガリーの風景(バルトーク)【2プロ】@ラ・ヴァルス(ラヴェル)Aクープランの墓(ラヴェル)B小組曲(ドビュッシー)Cディヴェルティメント(バーンスタイン)Dルーマニア民族舞曲(バルトーク)E懐想譜(保科洋)Fエニグマ変奏曲(エルガー)G歌劇「ピーター・グライムス」から四つの海の間奏曲(ブリテン)Hガランタ舞曲(コダーイ)Iくじゃくの主題による変奏曲(コダーイ)【3プロ】@管弦楽のための協奏曲(バルトーク)A交響曲二短調(フランク)Bラプソディー・イン・ブルー(ガーシュイン)C大峡谷(グローフェ)Dマ・メール・ロア(ラヴェル)E動物の謝肉祭(サン・サーンス)F交響曲第1番(ビゼー) Gローマの「噴水」「祭り」「松」(レスピーギ)H交響曲第4番「不滅」(ニールセン)。
こうしてみるとドイツ・ロシア圏以外にも沢山名曲があるもんだねー。恥ずかしながら知らない曲も結構あるからGW中に俄か勉強しなくちゃ!最終的にどれが選ばれても来年の定演は面白くなりそうだ。
4月27日(木)降ったり晴れたり
V12と現在使用のシュトイヤーS800(右)
とうとうライスターの仕掛けが判明した!ホルツ会員であるOh夫人のお陰だ。彼女がライスターのクリニックで氏に直接確認したところ、リードはやはりヴァンドレンのV12(銀箱)で、E♭クラではなく普通のB♭管用だそうだ。因みにマッピはヴリツァー(品番不明)で、Oh夫人がベルリン音大で師事したツェレツケ教授がバーンを一擦りしたカスタム物らしい。
さて、その報告を受けて早速V12の3を購入し、現在愛用のG3に付けて吹いてみると、なるほど意外にもちゃんと鳴るではないか。リード先端の幅がドイツ管用よりも約1mm広いので、マッピからはみ出してしまう感じだが、音量は明らかに増加する。その代わり音色はやや明るめとなり、音にピン角が立つようなベーム的特徴も僅かに感じられる。一番気になったのは、リード幅が広いせいか息を強く吹き込んだ時にリードが効率よく振動しないため、息が抜けず音の立ち上がりがやや遅れること。
だが、ライスターのように決して無理吹きせず、唄うように楽器を鳴らす吹き方にはぴったり合っているのだろう。また「音はきれいだが音量が足りない」という外野の声に対しても有利に働くはずだ。ライスターの音や演奏スタイルがこの上なく好きという人なら試してみては如何だろうか。
なお、リードに関しては最近Kn代表からサンプルをもらったFOGLIETTA(フォリエッタ?)というドイツのリードが素晴らしい。現在オケやアンサンブルでテスト中なので何れ結果をレポートできるだろう。
4月15日(土)陽春
会場は管楽器愛好者で満杯状態
神奈川アートホールで開催された「元祖自由演奏会」に参加した。来年で10周年を迎えるそうだ。勿論当初から「元祖」を名乗っていたわけではない。2001年の12月にやはり同じアートホールで開かれた第6回「自由演奏会」に初参加し、主宰者の杉山淳先生にお会いして意気投合。翌年から全国規模で「自由演奏会」を展開することになったので、「自由演奏会」発祥の地、この横浜の「自由演奏会」を「元祖自由演奏会」と呼ぶことにしたのだ。以来全国各地で開催された「自由演奏会」は115会場を数え、延べ参加者は裕に2万人を超えている。今年の「元祖」参加者は昨年の200人を更に上回り、客席をつぶしても座りきれない程だった。
三味線で参加したラッキー池田さん
さて、リハーサルもたけなわの頃、1人の男性が三味線を抱えて入って来た。今まで琵琶で参加した人もいたし、当日もルネサンス・リコーダーのグレートバスなどという“絶〜対に聞こえない”楽器を持ってくるような変わり者が必ず何人かいるので特に驚きもしなかった。7年ぶりにクラリネットをケースから出してきたという隣の女性と「あの人、ラッキー池田に似てませんか?」などと話していたら本当に当人だった(笑。
何でもTBSラジオのライブ収録に来たのだそうで、当日の演奏曲「ジャパニーズ・グラフィティ」の中で「水戸黄門」のメロディを三味線で弾こうという趣向だ。ラッキーさんは全くの三味線初心者だそうで、リハーサルではそれなりに弾けたものの、本番直前には傍から見ていても気の毒なくらい上がっていた。案の定、本番のソロでとちりまくったけど、ま、それも却って「自由演奏会」らしくてよかったかも。
4月11日(火)春雨
クラと楽譜は常に臨戦態勢
昨日誕生日を迎えたのを機に、数年来温めていた計画を今日から実行に移した。スケールへの挑戦である。サラリーマン卒業までの残り2年間、つまり24ヶ月で24の調をマスターしようという遠大な、いや悠長な計画だ。毎朝毎晩、短い時間ながら同じ調の音階や分散和音をさらうわけだから、1ヵ月後にはその調のスペシャリストになる(はずだ)。スケールはアイヒラーやグラウサンをはじめ3、4冊は持っているけれど、自慢じゃないがどれも新品同様だ。何しろ最初に教わった新井先生が「音階なんか曲の中で出来ればいいんだよ」とのたまわれたので、それを良いことに今までスケールをまともにさらったことがない。「曲の中で出来るにはスケールをやるしかないんだよ」と悟ったのはつい最近のことである。
どのスケール本にするか?悩んだ末に選んだのは、かつて内山洋先生からレッスンを受けていた時に購入したカール・ベールマン。古色蒼然とした装丁の中に何だか独逸音楽の伝統が息衝いているような気がするし、ベーム吹きだった当時は気付かなかったが、楽譜上にドイツ管の指使いが数字で示されているので、エーラー吹きにはとても勉強になる。
さて、3日坊主にならないよう2つの作戦を立てた。1つは、サボり防止用に楽譜と楽器をベッドの横にセットしておくこと。2つ目は、一番難しい調から始めることだ。だんだん険しくなる山に登るより険しい山の上から下りてくる方が楽だろうという勝手な理屈である。早速♯7つ、♭7つのスケールを捜したのだが、、、無い。
怒涛の嬰へ長調は変ト長調(♭6つ)と同じ音階だ。中音のcis⇔disがいやらしい
6つはあるのに7つはない。アイヒラーも同様だ。確か中学校の音楽の授業で♯の数はトニイホロヘハ、♭はヘロホイニトハの順で増えると習ったはず。嬰ハ長調や変ハ長調だってあるはずなのだが、さて何で?と、ここで悩んでいても上手くはならないので、今月は取りあえず♯6つのFis dur から下山を開始することにした。
4月5日(水)桜満開
ひっそり咲いてる桜っていいよね
昨日仕入れた情報によると、カール・ライスターが最近使っているリードはヴァンドレンV12(銀箱)の3だそうだ。ヴァンドレンを使っているとは聞いていたが、てっきりドイツ管用のホワイトマスターだと思っていた。フレンチ用のV12ならマッピからはみ出してしまうではないか、と誰しも思うが、何とそれはエスクラ用!だという。なるほど、確かにエスクラ用ならリードの幅がちょうどドイツマッピに合うかも知れんな。僕は別にライスターフリークではないが、ちょっと試してみる価値はありそうだ。
という訳で、早速浜松店に出向きV12のエスクラ用リードを所望したのだが、普通の青箱ならあるがV12では出ていないと言う。カタログまで調べてもらったから事実なのだろう。だとすると銀箱の中身は普通のB♭管用だったのだろうか?「銀箱の3」と「エスクラリード愛用」はどちらもかなり確度の高い情報なのだ。
ライスターは今年もあちこちで公開レッスンをするようだから、誰か直接本人に聞いてみてくれないか。
3月19日(日)春一番?
今月新装オープンした浜松店
同窓会ばやりである。今度はJR浜松駅前の鍛治町にある当社浜松店の新装オープンに伴い、かつて浜松店と今は無き浜松支店に在籍した社員に呼びかけた同窓会だ。浜松支店は全国で最も小さな支店だったが、私の最初の赴任地であり、サラリーマン人生の第1歩を踏み出した思い出深い場所である。
この同窓会は数年に1回小規模に開催されていたが、メンバーの中から3年以内に大量の定年退職者が出るため今回が最後になるだろうとのことで、200人もの懐かしい顔が集まり、あちこちで30年振りの再会を喜び合う歓声が上がった。
更生した?かつての不良社員達

我々団塊の世代が入社した昭和47年頃はオイルショックの直前で、まだ高度成長期の只中にあったから、支店内の雰囲気も実にのんびりしたものだった。何しろパソコンもEメールも無い時代だ。朝9時に朝礼が終わると、社員も管理職も近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら新聞を読んだり世間話をしてから、おもむろに仕事に就くというのが日課だった。
幹事の皆さんご苦労様でした!
今だから話せるが、写真の4人組は、以前同じ独身寮で寝起きを共にした悪友で、朝礼の後CTA(シー・ティー・マルニ)という「符丁」を使って2階の楽譜売り場で落ち合い、その日のサボり方を打ち合わせたものだ。CTとはCoffee Time の意味だ。よく私の借家に各々社用車で集結しては昼間から麻雀に興じたものだった。ある日、郊外の雀荘に入ったら何と、上司連中が先に卓を囲んでいたなんてこともあった(笑。勿論翌日何のお咎めもなかったことは言うまでもない。いやー、あの頃は楽しかったな〜。
3月15日(水)春よ来い
サンヨー電機が経営不振で大リストラ中らしい。昔から何となくサンヨーを贔屓していたのでちょっと残念だ。もちろん超一流ブランドと思っていたわけではないが、サンヨー製品は安い割りに使う側の立場にたってよく考えられている。昔使っていた加湿器は水の容器がぶ厚い立派なガラスで出来ていて、水の残量が一目で分かる上にインテリアとしても優れた造形だった。その加湿器が役割を終えた後もガラスの容器だけは捨てがたく、長く一輪挿しの花瓶として使っていたほどだ。
これもタンクがスケルトン スタンドにもなるUSB端子
現在使っているスチームアイロンもサンヨーだし、最近買ったICレコーダーもサンヨーだ。このレコーダーの優れた点は、コード類やメディアを使わず直接パソコンのUSB端子に接続して録音データを取り込めること。他メーカーからも色々出ているけどこんなのは他になかった。価格も手頃だったし録音の音も中々良い。サンヨーはとても良心的なメーカーだと思うけど、例えば液晶のシャープとか微細化のソニーとか販売の松下といった競争優位力が弱いので、中国や台湾の低価格製品にシェアを奪われてしまったのだろう。得意のソーラー技術あたりをてこにして是非何時か巻き返して欲しいものだ。頑張れ、サンヨー!
3月2日(水)日本、寒いよ
はにかむ笑顔がかわいい受付嬢
3日間インドネシアのジャカルタに出張した。インドネシアは初めてだったので幾つものサプライズがあった。まず、市内は人とクルマの大洪水。交通ルールは無いも同然で、歩行者はクルマの切れ目で自由に横断し、おびただしい数のバイクが競うようにクルマの間を縫って走る。クルマの合流地点では我先に鼻先を突っ込んで来るから後席に乗っていてもハラハラしっぱなしだ。しかし「わっ、ぶつかる!」と覚悟しても不思議なことに接触10cm手前でどちらからともなくブレーキを掛けて止まる。クラクションや怒声もめったに聞かれず、どのクルマにも凹みや傷は見当たらず、事故を目撃したことも一度もなかった。インドネシア版「阿吽の呼吸」とでも呼ぶべきか?その優れた運転技術と静かなるコミュニケーション能力は実に見事と言うほかない。
ホテルに隣接していたイスラム寺院
ホテルに泊まっていて参ったのは、毎朝4時頃になると聞こえてくる大音量のお祈り。国民の大半がイスラム教徒であるこの国には、あちこちにイスラム教の寺院があり、その塔の四方に設置されたスピーカーから流されるのだが、右翼の街宣車さながらの大音量で、無神論者にとっては単なる安眠妨害の騒音だ。しかもその説教(?)が変に音階になっているので、寝ぼけながらもついソルフェージュをしてしまう。1日目はド・ミ・ファ・ソでなぜか「聖者の行進」の出だしと同じだな〜、とか、2日目はミ・ソ・ラ・ドで、日本民謡と同じ四七抜き音階だな〜、などと朦朧と考えている内にとうとう白々と夜が明けて睡眠不足になってしまった。
10万ルピア札でも約1200円
インドネシアの通貨はルピアだが、発展途上国のご多聞にもれずインフレが進行しているので、とんでもない単位になっている。一番高い紙幣が10万ルピア、次が5万、2万、千と続くのだが、円に換算するには100で割って1.2を掛けなければならない。現地で食事をして「7万5千ルピアです」と言われた時には一瞬びびったが、実は千円にも満たないのだ。この極端な価格差には現地の駐在員も未だに戸惑うようで、通貨単位を間違えるととんでもないことになる。「え?たったの3億?なーんだ、ルピアじゃなくて円でしょー、え?ドル?そりゃ大変じゃん!」というような会話が常時交わされていた。
2月14日(火)春が来たかな?
初のジョイント・コンサートのポスター
2002年6月、掛川市に同時に誕生した「掛川市民オーケストラ」と「掛川吹奏楽団」の初のジョイント・コンサートが日曜日に生涯学習センター・ホールで開催された。Tz新掛川市長の肝煎りで実現した演奏会だけに市側の事前PRも万全で、千人入るホールはほぼ満席状態。第1部は「掛吹」が、第2部は我らが「掛オケ」が、それぞれ4曲ずつ演奏。そして第3部がいよいよ合同演奏だ。曲目はワグナーの「ニュルンベルグのマイスタージンガー前奏曲」と、エルガー作曲「威風堂々」。一緒に合わせる機会は3回しかなかったが、どちらにとっても勝手知ったる名曲だったし、あまり例のない試みで、初顔合わせという良い意味の緊張感も手伝ってか、本番は息もぴったり合い大いに盛り上がった。堺先生が振った終曲「威風堂々」は演奏後も拍手が鳴り止まず、アンコールとしてもう一度コーダを熱演したところ満場割れんばかりの拍手喝采となった。この成功に気をよくした?主催者である掛川市生涯学習事業団から、終演後さっそく第2回ジョイント・コンサートを今年の10月にやりたいと申し入れがあった。市が主催するイベントに出演すると、多くの市民に演奏を聴いてもらえる上に補助金までもらえるので、NPO運営上も大助かりである。
マツケンサンバで盛り上がる掛吹ダンサーズ
さて、両楽団の団員たちも充分な手ごたえと満足感を味わい、互いの健闘を讃え親睦を図るべく合同打ち上げ会に臨んだ。このあたりから吹奏楽団員と管弦楽団員のメンタリティーの違いが顕著になってくる。何しろ掛吹の団員の方が圧倒的に若い。例えばトランペットを吹いている子が19歳だったりする。それに「自由演奏会」では体験済みだが、圧倒的にノリがよい!引っ込み思案で大人しい掛オケ団員と違い、カラオケマイクを握っているのは常に掛吹の女性団員達だった。振り付きのピンクレディー・メドレーや、掛オケ男性へのデュエット強要(僕も「居酒屋」を唄わされた)などは序の口で、ついにはテナー・サックス担当の団長さんと「掛吹ダンサーズ」の一団がステージを占拠してマツケンサンバを踊り出すに及んで、中年と初老が多い掛オケ団員は完全に言葉を失ったのだった。
う〜む、吹奏族恐るべし。
2月4日(土)どこが立春じゃ〜!
キャラバンは結構おすすめ
毎朝起きるとコーヒーを一杯飲むのを日課にしている。時間もないのでドリップ式のインスタントなのだが、当然味もまあそれなりだ。「モン・カフェ」を初め、UCC、ドトール、キイ・コーヒーなど色々と試した中で、キャラバン・コーヒーのドリパック・コーヒーというのが一番気に入っていた。これは組み立て式のドリッパーとコーヒー豆が別々になっていて、アルミの袋を開けて粉を取り出すので、香りや味が他のものより新鮮だ。
ところが、先日4年ぶりにホルツの練習に顔を出した沖縄のユキちゃんから、自分で煎ったというコーヒー豆をもらった。なんでも自分で焙煎器を購入して毎日研究に没頭しているのだとか。「豆を煎っていると先ずイチハゼがあるんですよ。でも、そのあとの微かなニハゼを聞き逃さないようにしないとタイミングを逸します。それと焙煎した豆は一晩置いた方が絶対美味しいです、、、云々」ふーん、何だかカレーみたいだな。とにかくこの豆はテカテカと黒光りして実に香りが良い。どんな味がするか楽しみだ。早速掛川に戻って美味しいコーヒーを点てよう!と思ったのだが、、、。
まず電動ミルを買いました 陶器製豆容れも買いました お気に入りのマグカップです
考えてみたら豆を挽くミルが無い。以前持っていた手動のミルは行方不明。そこで近くの電気店で電動のものを買って来た。さてと思ったら、今度はフィルターもドリッパーも無いことに気が付いた。あちこち捜して全てが揃い、初めてユキちゃん特製コーヒーを飲んだ時にはベスト賞味期間を2日ほど過ぎていたけど、流石にコクがあって味が深い。それでいて口の中に苦味が残らず、サラッとしているのは不思議だ。まだ豆の量や挽く豆の細かさ、お湯の温度や垂らし方によって毎回味にバラツキがあるけれど、こっちもせっかくの豆の味を最大限引き出すように毎朝努力してみよう。
1月24日(火)寒さぶり返す
異常に寒い冬のせいで、今年は部屋のシャープ製セラミック・ファンヒーターに随分世話になっている。だが酷使したせいか加湿装置が故障してしまった。普段なら部屋の湿度が50%以上に保たれるのに、せいぜい30%前後にしか上がらない。
上が新品の加湿フィルター
購入して4年も経つのに加湿フィルターを清掃したことも取り替えたこともなかったので、取り出してみるとやはり一見してボロボロ状態。さては、これが原因か?と、近くの量販電気店に注文して新品に取り替えたが全く効果なし。そこで、背面の加湿トレーを引き出しあれこれ分解してみると、隅の方に小さな水車のような部品が付いている。どうやらこれが回転してトレーに溜めた水を加湿フィルターに汲み上げているらしい。濡れたフィルターに熱風を吹きつけて湿度を上げる仕組みだ。
だが、普段は水中に没していて簡単に取り外しも出来るこの小さな水車ポンプは、一体何を動力源にして回転しているのだろう?どう考えを巡らせても理解できない。そこで、だめ元でシャープのホームページからお客様相談窓口を捜し当て、メールで質問してみた。すると翌日早速返事が来て、故障のお詫びとともに以下のような説明があった。「給水ポンプは磁石の原理で回り、本体内部の同じ位置にもう一つモーターがあります。それが回ると磁力で給水ポンプも回るようになっております。そのため給水ポンプに水垢などがついて重くなると、回りにくくなります。、、、」なるほど!何という明晰な回答、そして何と簡便にして頭の良い仕掛けだろう!メールには給水ポンプの品番や価格(1,600円)まで明記されていた。単純にもすっかりシャープ・ファンになった僕は、早速部品を注文しそして取り付けた。元のように勢い良く回るようになったポンプのお陰で、以来部屋の湿度は快適に保たれている。
加湿トレーを引き出す 交換したフィルターを取ると トレーの隅に小さな部品が 右が新品の給水ポンプ 中の水車が磁力で回転する

1月13日(金)寒さ和らぐ
「SPAM」は案外身近なところにあった。昨秋以来、周辺にSPAMを知っているか?と聞いているのだが、「ああ、大型のスーパーなら売ってますよ」とか「あれ、結構美味いっすよ」、「色んな種類があるんだよね」などと、とても認知度が高いのだ。
僕は先日思いもよらない山梨にあるドンキホーテの食料品売り場で発見した。ホーメル社のホームページの写真とそっくりな(当たり前だが)SPAMに対面した時はちょっと感激した。仔細に見ると、日本語表記のラベルが貼ってあったりして、グローバルに販売されていることをうかがわせている。早速買って試食に及んだが、、、んー、スパムメールの意味が少し解ったような気がした。
蓋を開けるとコーンビーフに近い
匂いとともに、何やらソーセージ
のようなものがたたずんでいる
缶を逆さにし、叩いたり揺すったり
苦労して皿の上に取り出すと、
妙に白っぽく柔らかい肉の塊が
生で食べたらしょっぱくて余り美味
しくなかったので、フライパンで
炒めたらずっと食べやすくなった
手製スパム・エッグを作ってみたが
味よりいくら焼いても柔らかいまま
の食感がどうもなじめなかった
2006年1月6日(金)やたら寒い
元旦につま恋のチャペルで掛オケのメンバーと室内楽を演奏した翌日、東京の実家に帰った。だがテレビはどれもつまらないし、近所の店もほとんどやっていないのですぐ時間を持て余してしまった。こんな時こそイシモリにでも行ってマウスピースをじっくり選ぶかー、と電話をしてみたが「6日から営業です」と素気無いテープが回っている(あの声は○○ちゃんだな)。まさかヤマハの銀座店もやってはいまいと電話をかけると、これが意外にもやっているという。銀座店というところはドイツクラ吹きにとっては全く魅力のない店なのだが、楽譜と楽書だけは充実しているので暇に飽かして出掛けた。
3階の管楽器売り場の奥にガラス張りのリペア・ルームがあり、何気なく中を覗くと修理をしていた若い娘が気付いて「何かご用でしょうか?」というように微笑みかけた。その笑顔がとても自然で素敵だったので、つい日頃気になっていたB♭管の割れについて相談してみた。「これ上管にひびが入っていて吹く度に広がったり、縮んだりしてるけどほっといて大丈夫?」彼女は上管を手にとって仔細に観察すると言った。「割れはもう10cm位ありますし、このトリルキイの根元にも3cm程入ってます。このままにしておくともっと伸びるかもしれませんよ。それと以前割れを修理した跡もありますね」僕は5cm位の割れと思っていたのだが随分下の方まで入っているらしい。もう一箇所は全く気付かなかった。忘れていたが、言われて7,8年前にも割れて修理したことも思い出した。
目を凝らしても判らない綺麗な仕上がり
すっかり彼女の見立てに感心した僕は「修理してほしいけど、2,3日は掛かるんでしょ?僕は明後日には静岡へ帰らなければならないんだ」と言うと「もし今預けて頂ければ明日の夕方には仕上げておきます」と言う。では、と、ついでに上管のジョイント・コルクの交換も依頼して翌日待っていると、4時頃携帯に仕上がったとの連絡があった。早速受け取りに行くと修理の跡が全く判らないほど完璧に仕上がっていた。ジョイント・コルクの固さも最適だ。キイの高さや雑音も調整してくれたそうだ。修理代はトータル1万5千750円。リーズナブル!「実際に吹いてみて下さい」「他に気になる点はありませんか?」「また具合が悪ければ何時でもお持ち下さい」、彼女のさりげない言葉が何時までも僕の心を温めてくれた。