文句の多い日記帳
by 意地悪Gさん



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2014年12月23日(火)
吹き納め
一年間お疲れさまでした!Oh夫妻の愛娘Fmちゃんはブルグミュラーの「貴婦人の乗馬」をゲスト演奏
今年最後の「10日の会」は、久々に復帰したFkさん(ガーデ「幻想曲集」)、Ohさん(ウェーバー「コンチェルティーノ」)を加え6名が参加。
常連のHrさんはマリー・エリザベトの「ロマンス」を、Omさんは難曲フランセ「主題と変奏」を、幹事役のTn君は珍しいブゾーニの「組曲」から3曲を演奏した。
何時もながら素晴らしいピアノはOkさんとFsさん。今年もハイレベルなメンバーの演奏や選曲に大いに刺激を受けることができた。
僕が選んだのは僭越にもドビュッシーの「第1狂詩曲」。クラリネットのために書かれたフランス音楽の最高峰と言ってよいだろう。
昨年から今年にかけ、元新日フィル首席、鈴木良昭氏のレクチャーを数回受講したが、その中でこの曲について沢山教えてもらった。(昔、ご本人の素晴らしい演奏をオケ伴で聴いた)
それは音楽用語の意味、和声の変化、オケ版とピアノ伴奏譜との差異など多岐に亘ったが、最も興味深かったのは、ギィ・デュプリュがこの曲の正しい演奏法について語った内容。
要約すると、通常行われている演奏は、楽譜に書かれていない慣例的、因習的なものが多く、時としてドビュッシーが意図した「夢」が「悪夢」になっている(曲の冒頭には「夢見る如くゆっくりと」と書かれている)。いま一度楽譜を精査して原点に立ち返り、指示に忠実な演奏を心がけるべき、というものだ。
例えば、En serrantの一拍目はin tempo。次の小節のクレシェンドは4拍目のみ
参考として、ドビュッシーがこの曲を献呈したパリ音楽院教授Mimartの弟子、G.Hamelinの演奏録音を聴かせて頂いた。テンポと言い、表情と言い、「え?え?うっそー!」の連続だったが、楽譜を確認すると、なるほどその通りに書かれているのである。 
来年も益々頑張ります。皆さん、良いお年を!
このレクチャーに啓発され、棚の奥から久々に楽譜を取り出して改めて挑戦してみたのだが、表現以前にエーラー式にとってこの曲は難敵という他ない。
cis/disのトリルやdis/eis、h/cis/disスライドの頻発等々、パリ音楽院がこの曲でベーム式の優位性をアピールしたかったでは?と邪推したくもなる。
だが、僕がベーム時代にパート譜に記したメモには、やれこの音はRだのLだの、L→R、R→Lだのと面倒なことが沢山書いてある。
その点、左右の小指にローラーが付いてスライドできるエーラー式の方が、何の迷いもないだけマシかも知れない。
演奏はまずまずだったが、中間部の前で一拍食ってFsさんを慌てさせてしまった。ドビュッシーの「夢」に少しでも近づけるよう完成度を高め、来春の「よこもん」に持って行きたい。
2014年11月13日(木)
ラフ2
パート会が開かれたトニーノ
下高井戸の洒落たイタリアン。世田谷フィルのクラリネットメンバー5人が集まり、来年のローテーションを決めた。世田フィルのクラセクションは、定演が終わる毎にこうして食事会を開き、各自の希望を聞きながら民主的に乗り番、降り番を決めていく。
来春4月のプログラムは、新通英洋氏の指揮で、チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」、ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番、ベートーヴェン:交響曲第7番。秋9月は、秋山和慶氏の指揮で、ラヴェル:古風なメヌエット、ドビュッシー:小組曲、ラフマニノフ交響曲第2番。3番目に発言機会が回ってきた僕は、「春は乗らなくても良いから秋山さんの棒でラフ2を吹きたい」と言い、皆は敬老精神からかw僕の我がままを聞き入れてくれた。こんなロマンチックな名曲をマエストロ秋山の指揮で演奏できるなんて夢のようだ、、とか言いながら、実は既にネットからパート譜をダウンロードして密かに練習を始めていたのだ。何しろラフ2は1時間に迫る演奏時間である。第1、2楽章で30分もドンチャカやった後、第3楽章冒頭には23小節に及ぶクラリネットの大ソロがある。終楽章もほとんど吹き詰めで休む暇もない。果たしてアシなしで最後まで吹き通せるだろうか?と内心不安なので、心肺能力を高めるべく区のトレーニング・ジムへ通い始めたところだ。もう一つの心配は、西部劇の映画音楽のような第2楽章のテンポ。いよいよ吹くと決まって、マエストロが広島交響楽団を指揮したCDを購入したのだが、難所で知られる第2楽章の速いこと!日頃愛聴しているプレヴィン/ロンドン響が10分10秒に対し、たった9分32秒しかない。実測したところ、メトロノーム1拍138にタンギングで4つ入れる勘定だからシングルでは(僕には)絶対無理。今から高音域のダブルタンギングに励むことにした。
練習番号37からの怒涛の8分音符66連発。2分音符120から138までアッチェレランドしていく。
それにしてもマエストロのラフ2は名演である。 濃いが透明なロマンティシズム。情感のこもった自在なアゴーギク。我を忘れたかのような白熱のクライマックス。ラフ2の選曲がマエストロの希望というのも頷ける共感に満ちた熱演が繰り広げられている。これに応える広響の実力も凄い。クラ首席橋本さんの太く温かい音も素晴らしい。なお、来春の定演は、Pコンのラフ2の2ndとしてトップのトクちゃんを支えることになった。また、奇しくも今月末の10日の会でラフマニノフのヴォカリーズOp.34-14を吹く。これから来秋まで、ラフマ漬けの日々が楽しみである。
2014年10月31日(金)
ようこそクラリモニア
60ほどの会場は満席。静岡や愛知の知人も来ていて驚いた
ヨッヘン・セゲルケさん率いるクラリモニアが来日、イシモリ地下ホールでレクチャーコンサートが開かれた。メンバーはいつものセゲルケさん、ケスリングさん、ザウアーさんと、バスクラ担当のホーファーさん。今回これに通訳兼第5奏者として我らがホルツのヨコヨコこと横田瑤子先生が加わった。
 
コンサートで使用されたデナーやグレンザーの復元楽器
使用楽器は全て、ベルリンやニュルンベルクの博物館に所蔵されている古楽器をバンベルクのセゲルケ工房が忠実にコピーした復元楽器である。演奏された最も古い曲、ペッツェル作曲の5本のバロッククラのソナタを聴くと、倍音が多い素朴で柔らかくやや甲高い音がクラリネットの音色の原点と気付かされる。
残響の長い教会内では、さぞ小さなクラリーノ(トランペット)として晴れやかに響き渡ったことであろう。
セゲルケさんのレクチャーによれば、モーツァルトやウェーバーの時代には、構造上の制約から音色や音量が不揃いであり、作曲者はそのキャラクターの違いを曲に反映させている。当時の楽器で吹いてこそ、その面白さが解るとのこと(例として、ウェーバーのコンチェルティーノ、125小節目asの突然のアクセント等)。モーツァルトのホルン協奏曲をナチュラル・ホルンで吹いた録音を思い出させる話だが、ピッチや仕掛けに不安があるものの、基本的なフィンガリングは同じだから良い楽器に巡り合えば復元楽器にチャレンジしてみたいものである。
ここでも演奏を披露。メンバーは心からアンサンブルを愛しているようだ
レクチャーコンサートの3日後、六本木の某クラブでクラリモニアの歓迎会が開催された。2年前のホルツ・ワイマールツアーの折に立ち寄ったセゲルケ一家の歓待に応えるためである。
今回、セゲルケさんはマリー夫人を伴って来日されたので、つたないドイツ語ながら改めて、バンベルクでのもてなしへの感謝と、6年前ミュールフェルトのクラリネット観察で便宜を図ってくれたお礼を伝えることができた。クラリモニアのサービス精神はここでも衰えることを知らない。飲食もそっちのけで様々な合奏を披露。狭いが石造りで音響の良い会場のせいか、ハーモニーが一層まろやかに溶け合って聞こえる。アルコールが入ってもアンサンブルが全く乱れないのはさすがという他ない。 
唯一気掛かりだったタバコをやめたとのこと。しっかり監視しましょう
この日一番盛り上がったのは、休憩時間中に大型スクリーンに映し出されたヨコヨコ先生の演奏ビデオ。
過日、アンサンブルを指導しているアマオケをバックに、ウェーバーのクラリネット協奏曲第1番を演奏したのだ。素晴らしい音とテクニックで、各楽章ごとにやんやの喝采である。早いタンギングを披露するとブラボー、ブンダバーの嵐。ホルンが大事なところでヘクると皆椅子からずっこけ落ちる。まさに音楽は世界共通語である。ドイツ留学から帰国して早や10年近くとなったヨコヨコ先生。秀逸な語学力とドイツ管演奏技術、そして何よりその愛すべき人柄により、今や日本クラリネット界に欠くべからざる人材となったようだ。
2014年9月25日(木)
普段着のウィーンフィル
幸運なことに、サントリーホールでウィーンフィルの公開リハーサルを聴くことができた。指揮は今回の来日公演を振るグスターボ・ドゥダメル。
曲はその夜の演目であるルネ・シュタール作曲「タイム・リサイクリング」、モーツァルト「VnとVaのための協奏交響曲」、ドヴォルザーク「第8交響曲」の3曲。
席はチケットを買えば3万円の2階A席だった。
ゲネプロだからドゥダメルはじめ楽員の半分はジーパンにTシャツ、スニーカー姿。練習中の私語やおふざけも半端ない。双眼鏡で観察すると、あくびをする団員やお金のやり取りをしている団員もいた。だが、指揮者が何か話し始めると、どこからともなく「シー!」という制止が聞こえ、そして何より感心したのは、誰もが楽曲の中で与えられた自分の役割を完璧にこなすこと。
三々五々集まって来る楽団員。まだ10代と思しき若者も数名いた
リハはルネ・シュタール作曲の「タイム・リサイクリング」という本邦初演の曲から始まった。クラリネットの布陣は、1st.エルンスト・オッテンザマー、2nd.ダニエル・オッテンザマー、3rd.ヨハン・ヒントラー、4th+バスクラ.ノルベルト・トイブル。首席だったトイブルが今やバスクラを吹くのかと暫し慨嘆。
「タイム・リサイクリング」は、いわゆる現代曲だから変拍子、不協和音の連続だが、時折ジャズっぽくなったり、ラテン風だったりと変化に富んでいる。もう何度か本番に掛けているのか、ドゥダメルの指揮に楽員はリラックスして楽しみながら演奏している様子。オッテン父のグリッサンドも初めて聴いた。個人技は皆とてつもなく上手い。
リハの途中で大きなスコアを持って指揮台に歩み寄り、ドゥダメルに注文を付けるおじさん登場。どうやら作曲者本人らしい。その後彼は指揮台に招かれ何やら楽員に向かって長々と挨拶。最後にドイツ語と英語とスペイン語で「ありがとう」と言ったのだけは解った。楽員から大きな温かい拍手が沸き起こった。
この作曲者、どこか見覚えがあると思っていたら、次のモーツァルトで2ndヴァイオリンの中に発見。彼はウィーンフィルのヴァイオリン奏者だったのだ。さすが、すごい楽員がいるものだ。
モーツァルトのヴァイオリンはコンマスのライナー・キュッヒル、ヴィオラは首席のハインリヒ・コル。手馴れた曲なので特段の中断もなく進んだが、弦楽器の統一されたふくよかで豊かな響きと、先ほどまで鋭く荒々しかった同じ楽器とは思えないホルンとオーボエの柔らかい音色は、ウィーンフィルならではのサウンドだ。因みにオーボエはウィンナ・オーボエ、ホルンも全部ウィンナ・ホルンである。最後のドヴォ8のクラはダニエルとヒントラー。生徒と先生の間柄でありながら演奏前に握手をするんだね。
さて、リハを始めようとするが、なぜかファゴットのトップが来ない。仕方ないから第2楽章から開始。冒頭のクラの音はとても良いのだが、プラリードと知っての思い込みからか感激するほどでもない。そのうち首席ファゴットが汗を拭き拭きやって来て第1楽章からやり直し。2ndファゴットや隣のダニエルにしきりに弁解する姿が可笑しい。リードを湿らせながら「こんなに早くやるなんて聞いてねーよ」とでも言ってたような?フルートソロの高いdをピッコロが上手く受け継ぐと「やったじゃん」と周囲が冷やかすのは世界共通かも。
第4楽章、トランペットのファンファーレはまるで1本で吹いているかのようだ。
全奏のホルンのトリルはド派手。「お前ちょっとやりすぎだろ」と笑い合う。
その後の長いフルートのソロも完璧だったが、今度は誰もが無表情。当然の仕事をやったまで。褒めたら却って失礼ということなのだろう。
リハはあちこち掻い摘んで1時間半で切り上げられたが、大きなファミリーのようなウィーンフィルの飾らない素顔を垣間見ることができた。
2014年9月15日(月)
別れの朝
何時もの場所で記念撮影。よく頑張ってくれたね
愛着のあるクルマを手放すときは何時も少し感傷的になる。
11年、7万8千Kmを共にした黄色いMINIを売却することにした。デザインはもちろん、故障知らずで燃費もよく、とても気に入っていたのだが、東京に戻ってからはめっきり乗る機会が減ってしまったのだ。スーパーへの買出しや高速を使っての遠出も軽のR1で事足りてしまう。ネットで査定を申し込むと、その日の内に3社がこれから見積りに来たいという。あわてて洗車し、夕刻1時間おきにアポを設定したのだが、1社目の若いセールスと車談義に興じているうちに2社目が到着。ここでも愛車の特別装備(MBクヲートのスピーカー、6連装CDチェンジャーなど)を自慢しているうちに3社目も来てしまった。さあ、どうしたものかと皆で相談した結果その場で入札し決定することにした。
達者でなー
皆一様に10年経ってこんなきれいな車は見たことがないと褒めてくれたが、各社本部としきりに交信し、査定金額を名刺の裏に書いて提出した結果、一番最後に来た業者が思わぬ高値で落札した。3時間も待った1社目のセールスには気の毒なことではあった。翌早朝トレーラーが引き取りに来たが、その数日後、落札したセールスからあのMINIはすぐに売れましたとの連絡があった。1600ccのマニュアルは人気らしい。
新しいオーナーのもとで元気に第2の人生を送って欲しいものだ。
2014年9月1日(月)
ジャック・ランスロ国際本選
初めて訪れた横須賀で久しぶりに軍艦を見た。昼食は「海軍カレー」
横須賀芸術劇場で行われた、ジャック・ランスロ国際クラリネットコンクールの本選会を聴いた。21名で争われた2次予選を勝ち抜いたファイナル出場者は5名。日本人2名、ロシア人1名、フランス人2名である。課題曲はモーツァルトの協奏曲全楽章と、コンクール委嘱作品である山本純ノ介作曲のクラソロ曲「音取二抄」。日本の二人は女性で、2009年日本音楽コンクールで優勝した田中香織さんと、日本管打楽器コンクール4位の鶴山まどかさん。何れも、西洋音楽と日本伝統音楽を融合し、重音や四分音がふんだんに盛り込まれた難解な新作を完璧に吹いたが、モーツァルトがたまらなく退屈だった。楽譜通りには吹けていても即興性や意表をつく表現といったサプライズが皆無。コンクールは、おさらい会ではなく、自分が一番優れていることをアピールする戦いの場であることを肝に銘じた方が良い。外国勢はさすがに気合いが違う。ロシアのミハイル・メリングはリスクを恐れず、極限までの弱音で聴衆を惹きつけた。モーツァルトのアーティキュレーションも実に個性的だった。惜しむらくはcis/gisキイに水が溜まり、リードミスを発生させたこと。演奏中しきりに水を飛ばしていたが、オケを指揮したナイディッヒ氏が促したにもかかわらず楽章間でスワブを通さなかった(持って出なかった?)。事前に充分管を暖めておくのもテクニックの内。日本は湿気が多いのだ。フランスのフランク・ルッソは更に個性的だった。新作におけるダイナミックレンジの広さと、トリルやタンギングの速さも印象的。モーツァルトにも多様な変化を持ち込んでいた。音色は5人のベストと言って良い。しっかりとした芯の周りにマシュマロがまとわりついているような甘い音色。だがミスが多すぎた。暗譜が苦手なのか、コンクールをなめているのか、フィンガリングミスは5回を下らなかった。これでは彼の師で審査委員長も務めるアリニョン氏も救いようがなかろう。演奏順が2次予選の得点順だったか知らないが、最後に吹いたピエール・ゲニソンが本命だった。フランス人なのになぜか南カリフォルニア大学で勉強している変り種。バランスの良い音、音楽に合わせたヴィブラート、自然なアドリブ、斬新なアーティキュレーション、ダイナミックレンジの広さ。全てが音楽的で安定感抜群である。洗練されたステージマナーにも好感が持てた。モーツァルトの終楽章を吹き終わってブラヴォーが飛んだ(私)のは彼だけだ。彼も昨年のニールセン国際では4位だというから世界は広い。
結果発表を待たずに会場を離れたが、ネットで確認した審査結果は以下の通り。
1位 ピエール・ゲニソン
2位 田中香織
3位 ミハイル・メリング
浜中浩一賞 フランク・ルッソ
聴衆賞 ピエール・ゲニソン
公正で妥当な結果だと思うが、2位と3位は僅差だったに違いない。 
明後日の入賞者披露コンサート(サントリー小ホール)が楽しみである。
2014年8月16日(土)
レッスンin Tokio 2014
ヘアマン先生が夏季休暇で奥様と来日されたので、今年も東京でレッスンをお願いした。昨年の反省を踏まえ、今年は少し広めの「10日の会」で使っている倉田スタジオを予約。グランドピアノがあるのでピアノ伴奏も可能になった。
今回は告知の範囲を拡大した結果、受講者3名、聴講者11名となったが、これ位がちょうど良い規模かもしれない。
Ktさん、ルフェーブル・ソナタ Icさん、ウェーバー第1協奏曲 Tnさん、ブラームス第1ソナタ
ヘアマン先生は、受講者それぞれの演奏レベルや抱える課題に対して、様々な角度から的確なアドヴァイスを与えられた。
それらは呼吸法、姿勢、発音の仕方から、和声進行、音程補正、音色の変化まで多岐に亘ったが、まずはご自分で手本を示され、場合によっては長いフレーズを実際に吹いてくださるのでとても説得力がある。
ちょっとしたアドヴァイスで受講者の演奏が見違えるほど変わっていくのもまさにマジックだ。
先生の音はまた一段と温かく、柔らかく、純粋になったように思う。特にppの美しさは格別である。
 
レッスン終了後、ヘアマン先生ご夫妻を囲んでの打ち上げ
「時として、エスプレッシーヴォは音楽を損なうことがある。ブラームスのように音楽自体が多く語っている場合は、淡々と吹く方が音の色や表情が際立って聞こえる」というご指摘は、僕にとってこの日一番の収穫だった。
因みに、心に残った言葉は「音には方向が必要だが、音楽家にゴールはない」。
 
今回、受講者や聴講者から沢山の感謝の言葉をいただいたので、来年のNDR来日公演に合わせまたレッスンをお願いしてみたい。
2014年8月3日(日)
やまなし夏の演奏会
ネットで偶然見つけた山梨県は清里の演奏会。なんでも一般公募の参加者が、クラシックの名曲を初見で合わせてその日の内にコンサートまで開くという、言わば「自由演奏会」クラシック版のようである。
 
その演奏曲がすごい。J・シュトラウス「美しく青きドナウ」、オッフェンバック「天国と地獄」、グリンカ「ルスランとリュドミラ」序曲、ジョン・ウィリアムズ「レイダーズ・マーチ」あたりはまあ分かるとしても、マーラー「巨人」第3楽章、ハイドン交響曲「時計」第2楽章、モーツァルト「管楽器のための協奏交響曲」第1楽章、サンサーンス交響曲第3番(オルガン付き)終楽章とある。
 
モーツァルトの協奏交響曲。降り番の人は仲間の演奏を聴いている
一体どんな人たちが集まるのだろう?たった数時間のリハで全曲完成するのか?パイプオルガンなんてありっこない山奥で、どうやってサンサーンスの大曲を再現するのだろう?
興味はとめどなく膨らみ、早速参加希望のメールを送ったところ、「クラリネットはもう募集を打ち切りました」とのすげない返事が事務局から届いた。残念だが1年後まで憶えている自信はない。
 
ところが、捨てる神あれば拾う神あり?(ちょっと違う)。ホルツの会にはるばる韮崎から名器オスカール・エーラーを携えて通って来るNkさんに偶々この話をしたところ、何と彼女は参加者。後日事務局のUtさんに掛け合ってくれた結果、特別に参加が許されたのだった。ありがたや!持つべきは同好の士である。
 
参加して分かったが、主催は山梨大学医学部オケのOB達。互いを先生と呼んでいる。今年6回目で、昨年までは「初見演奏会 in 清里」と銘打っていたそうだ。
今年の参加者は約50名。募集結果次第だからバランスは悪く、チェロは1名、コンバスは2名。僕はA,B,C管を持参したが、バスクラやエスクラはなかった。
 
だが、指揮をしたお医者さんはかなりの錬達者。「巨人」第3楽章冒頭のコンバスソロを弾いた女性はプロ裸足。エスクラのソロはNkさんがC管で見事に読み替えて聞かせた。オーボエが足りないところはフルート奏者がリコーダーで補うなど、現場対応のゆる〜い感じが何とも微笑ましく、居心地良く感じられた。
 
清里駅構内でおぎのやの釜飯を食す
僕はサンサーンスのトップを任されたが、オルガンは予想通りのエレクトーン。ところが、PAから出てくる音は重厚なパイプオルガンそのものだ。
ホルン、トランペット、トロンボーンも素晴らしく、今までも、そして多分これからも遭遇することがなかろう「オルガン付き」の壮麗なフィナーレを演奏できて大満足だった。
 
Utさんから「来年も是非」と仰っていただいたが、こちらこそ「真夏の夜の夢」として病み付きになりそうだ。
2014年7月19日(土)
ピアニカとメロディオン
目を疑うことに、ピアニカが30年ぶりにモデルチェンジすると写真付きでネットニュースが伝えている。樹脂を薄くして50g軽くし、名札を貼る場所を一箇所増やし、ピンク色のモデルを追加するそうだ。
一体この程度のことが全国ニュースになるのだろうか?30年もほっておいたことを揶揄しているのではないか?いや、それほど現行のピアニカが完璧だったということだろうと勝手に納得。30年前にモデルチェンジを担当したのは私なのだ。
 
因みにピアニカはヤマハの登録商標。一般名詞は「鍵盤ハーモニカ」である。5月のポピュラーコンサートで宮川彬良さんが「カチューシャの唄」を吹いた楽器は、元祖鍵盤ハーモニカと呼ぶべきドイツのリード楽器専門メーカー、ホーナー社のメロディカという楽器だったが、楽譜にはピアニカと書いてあった。
 
では、ピアニカが「セロテープ」や「宅急便」程の知名度と占有率を誇っているかと言えばNo!なのだ。鍵盤ハーモニカ市場におけるピアニカのシェアは約半分。残り半分は同じ浜松市に本社を置く鈴木楽器(車のスズキとは無関係)のメロディオンである。子供やお母さんがピアニカを見てメロディオンと言う地域も数多く存在する。

ピアニカとメロディオン。この2者には長くも深〜い因縁がある。ここからは遠い目になって、どうでもいい自慢話になりそうなのでスキップしてくださって結構w
 
10月1日発売だそうです。どうぞよろしく
ヤマハ本社の営業部で教材楽器担当になったのは、入社して5年目の昭和52年(1977年)。当時小学校の音楽の授業では、ハーモニカが主に使われていた。
ところがハーモニカは、穴が見えない上に吹いたり吸ったりするので演奏が難しい、若い世代の先生は演奏経験がないので指導できない、ハーモニカが演奏できてもその後の発展性が少ないなどの理由で、急速にメロディカを手本とした鍵盤ハーモニカに移行しつつあった。吹くだけの鍵盤楽器なら音楽教師の得意科目なのである。(ここでは文部省の学習指導要領には触れない)
 
需要が激減するハーモニカと激増する鍵盤ハーモニカという流れの中で、ヤマハもピアニカ販売に力を入れていたが、商品力、販売力ともに地元浜松のリード楽器専門メーカー、鈴木楽器が製造するメロディオンの後塵を拝していた。
当時、メロディオンのシェアが約5割、ピアニカが約4割、残り1割はその他2社が分け合っていた。
 
きめ細かな販促策を講じてくる専業メーカーに対抗するため、設計部門と一体となってピアニカの商品力強化に取り組んだ。鍵盤ハーモニカの欠点を全て洗い出し、一つ一つ改良していった。
とにかく児童生徒は楽器の扱いが荒い。机や棚から落とされるのは日常茶飯事だ。そこで、メロディカからのコピーだったアルミボディーのビス止めをやめ、ABS樹脂の一体成型とし、コーナーに丸みを持たせて衝撃を吸収し易くした。
ケースには当時の最新技術、踏んでも壊れない中空二重ブロー成型を採用。サンドイッチされた空気が驚異的にケースの強度を高めた。ケースと一体のヒンジは3万回の開閉テストに耐えた。また、錆びて調律が狂わないようリードには防錆塗装を施した。他にも鍵盤持ち上がり防止機能など設計には随分無理を聞いてもらった。
デザインも、デザイン研究所の全面協力を得て、シンプルでモダンなものへと大幅にイメージアップした。明るいパステルカラーの水色は当時のままである。
 
新しいピアニカが発売されると、全国から続々と朗報が届いた。職員室で一番体の大きな先生にピアニカを踏ませたが何ともなかった、教室の2階ベランダからピアニカを落としたがケースにも本体にも異常がなかった、などなど。

こうして在任中に4%のシェアアップを果たすことが出来た。設計のM木さん、山ちゃん、デザイン研のO田さん、どうしてますか?あの時はありがとうね!
2014年7月18日(金)
見事だな、原田さん
個人情報の大量流出で大揺れのベネッセ・コーポレーション。事件の全容が明らかになりつつあるが、この間のベネッセ・ホールディングス原田会長兼社長の動きは見事と言うほかない。
先月就任したばかりにもかかわらず、初期段階から度々記者会見の先頭に立って説明責任を果たしていること。
名簿管理業者のせいにせず、全ての責任はベネッセ側にあると深々と頭を下げて謝罪していること。
個人情報が流出した顧客への補償金額と補償方法を具体的に示したこと。
そして(抜け目なく?)監督官庁である経産省にも報告し、顔を立てていること。
さすがマクドナルドで辣腕を振るった経営者。危機管理の手本を示している。
凡庸な社長さんだとこの真反対になる。記者会見は担当役員(時には部長クラス)に任せ、批判が高まってからやっと姿を現す。実態を正確に把握していないので、マスコミの質問にしどろもどろとなる。再発防止策や補償については言質を取られまいと明らかにしない。こんな場面をどれだけ見せられてきたことか。
ベネッセは良い時期に良い経営者を引き抜いてきた。損害は免れないだろうが、顧客の信頼をつなぎとめ、被害を最小限に食い止めることができるだろう。
2014年7月15日(火)
素敵な千住さん
何でも50年に一度とか、経験したことのない大型台風という触れ込みだったが、実際には口(目?)ほどにもなく、軽井沢「大賀ホール」近辺では時折小雨がぱらつく程度だった。台風一過の青空の下、ここで行われたのは千住真理子さんのヴァイオリン・リサイタル。千住さんは来年デビュー40周年だそうだから、もうベテランのヴァイオリニストと言ってよいのだろう。
 
2階の立見席まで千住ファンで埋め尽くされた大賀ホール
千住さんを初めて観たのは、昔NHKで放送されていた「ヴァイオリンのおけいこ」という番組。ヴァイオリン界の大御所、故江藤俊哉さんが、当時小学生の千住さんに「君は将来すごいヴァイオリニストになるよ」とレッスン中にお墨付きを与えていた。
多分1970年頃のことだが、ちょっと変わった苗字だったのと、他の生徒かわいそう、と思ったことで記憶に刻まれた。
 
その予言通りの活躍ぶりはよく知っていたが、CDまで買って聴いたのはつい最近のことだ。C管で吹けるヴァイオリン曲はないかと、それまで見たこともなかったヴァイオリン・コーナーを探していて、彼女が監修した「心に残る3つのソナタ」という楽譜とCDに巡り合った。
そこにはフランク、フォーレ、モーツァルト(第28番)のソナタが収録されていて、美しい音色と心のこもった演奏に魅了され、いっぺんに彼女のファンになったのだ。そういう人が多いのだろう。チケットはとうに完売。ホールは満席だった。
 
演奏されたのは全部で9曲。「クロイツェル・ソナタ」以外は「ツィゴイネルワイゼン」や「タイスの瞑想曲」など、いわゆる小品と呼ばれるものだが、そこにこそヴァイオリンの魅力が凝縮されていて、千住さんの美質も最大限に発揮される。
12年前、運命的に出会ったというストラディヴァリウス「デュランティ」から放射されるエネルギーが、ホールの隅々にまで鳴り亘り、圧倒された。
後半の5曲目に演奏された「andante」は、兄である「明(あきら)ちゃん」の作品。1年ほど前に亡くなられたお母様に捧げた曲とのこと。透き通った空気の中を、優しいヴァイオリンの音がゆっくりと、ためらいがちに天上に向かって昇って行くかのような佳品。会場には何人か涙をぬぐう人もいた。
 
「楽しいことより辛いことの方が多いです」とも、、、
それにしても見事なプロポーション。肩甲骨あたりの筋肉の張りはアスリートを思わせる。消え入るようなpppを維持するには並大抵の訓練ではあるまい(クラも同じ?)。
お話される声も若々しい。「お子様がヴァイオリニストになりたいと言っても決して賛成してはいけません。それでも好きだからどうしてもやりたいと言ったらその時はどうぞ認めてあげてください」という言葉には、演奏家としての様々な想いが込められているのだろう。
 
コンサート後のサイン会。1人5秒の勝負である。クラリネットだのC管だの言っている暇はない。CDにサインをもらいながら、「いまモーツァルトやってます」と言うと、にっこり微笑んで「そうですか!モーツァルト頑張ってください!」と手を差し出された。あながちウソではないが、きっとレイトなシニア・ヴァイオリン弾きと思われたことだろう。
2014年6月30日(月)
オーケストラ成長の鍵
緑豊かな掛川の自然
早朝の東名高速。小雨と霧の中をひたすら掛川目指して疾駆していると、牧の原を過ぎたあたりから嘘のように晴れ渡り、真っ青な空にお茶畑の緑がひときわ映えて、こんな美しい景色が他にあるだろうかと思うほどだった。
 
早いもので、年1回の「掛川市民オーケストラ」定期演奏会も今年で12回目。その間、近隣市町村への出張演奏や、オーケストラ教室、室内楽コンサートなどを通じて、もうすっかり地元掛川市に定着しているらしいことは、舞台に上がる楽員に会場から自然と拍手が湧き起きることからも察せられる。
 
今回のプログラムは、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」から「ダッタンの娘達の踊り」と「ダッタン人の踊りと合唱」、ハイドンの「トランペット協奏曲」、メンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」の3曲。
これがいかにも掛オケらしい選曲に思えた。ボロディンは木管の名人芸。ハイドンのTrpソロは正団員であるプロ奏者。メインのメンデルスゾーンは、第1回定演でいきなり難曲第3番「スコットランド」をやり、今回ポピュラーな第4番「イタリア」を飛ばしてのレアな「宗教改革」。少しへそ曲がりなオケである。
 
持ち場である上手前ドアから見たリハーサル風景
これまでもファリャ「三角帽子」やエルガーの「謎」、シューベルトは「未完成」より前に「ザ・グレート」を演奏してきた。
来年はストラヴィンスキーの県内初演?バレエ組曲「カルタ遊び」に挑戦するという。
周辺の社会人オケの中に埋没しないよう、積極的に隠れた名曲を発掘し紹介していこう、という設立当初のポリシーはしっかり受け継がれているようだ。
 
全曲を通じて感心したのは、オケ全体のハーモニーの美しさと温かさ。悔しくも現在、私が所属しているどのオケより確実にうわ手だ。チューニングからして全然違う。オーボエの小さくもゆるぎなく柔らかいAに、少しずつ音が重なって一つの太い響きに移ろっていく様はまるでプロオケのようだ。特に木管楽器の音色の統一感。発音やアーティキュレーションの美しさ。バランス感度の高さは羨ましいほどである。
 
さわやかハンバーグは健在。これはよくばりコンビ
喫茶ぎょくろは創業50周年を迎えたそうだ
土地柄、ヤマハやカワイなど楽器メーカーに勤めている団員が多いこともあるだろうが、各パートにコアとなる団員が在籍していること。年1度の合宿や室内楽アンサンブルを通じて団員間のコミュニケーションが密なこと。そして何より、創立当初からの堺武弥先生の響きを大切にするご指導が、個々の団員に浸透していることが大きな要因だろう。
演奏会ごとに指揮者を変えるようなオケでは、指導の成果が体質化しない。団員定着率が低いオケはなおさらである。信頼できる指導者に全てを委ねることにより、初めて外交辞令ではない、本音の指導を引き出せるのではないだろうか。
 
チケットもぎりや会場係を手伝いながら、久しぶりに懐かしい団員達と話をすることができた。どの顔にもやり切った感があふれていた。
「駅前オケ」と呼ばれるほど乱立気味の首都圏の社会人オケよりも、じっくりと深く音楽と向き合っているように思えたのは、あながち「隣の芝生」というだけではないだろう。
2014年6月15日(日)
Gm家の父の日
「父の日」だというのに、上の娘ときたらプレゼントを届けるどころか留守中に実家に上がり込んで、つまみ食いまでして行きやがった(怒。
甲州銘菓「黒玉」は俺の大好物なのにー(泣。
親のしつけが悪かったからか?はたまた俺も「父の日」におやじに何もしてあげなかった報いなのか、、、(諦。
2014年6月10日(火)
サービス停止!?
2日ほど前からホームページのアクセスカウンターが急に表示されなくなった。原因を探ったところ、サーバー元であるヤフー・ジオシティーズがリニューアルするとかで、8日をもってカウンターや日記、掲示板、アクセス解析等のサービスを打ち切ったそうだ。新しいサービスが示されぬまま一方的にサービス停止とは随分とタカビーな会社である。当方もぼちぼち10年近く続いてきた当ホームページの刷新に取り組むとするかな(?)。
2014年5月22日(木)
宮川ワールド
ロビーコンサートは木管セクションで子供向けのジブリメドレー。大人も大喜び
宮川彬良(アキラ)さんのピアノとお話による世田谷フィルのポピュラーコンサートは、かつて無いほどの成功を収めた。
TVで観た通りの気さくで飾らない人柄。名曲を一層際立たせる見事なアレンジ。楽器の特性を知り尽くしたオーケストレーション。ユーモアとペーソスを交えた音楽トーク。ピアニストとしての達者なテクニック。満場のお客様ともども我々楽団員も、すっかり宮川ワールドの虜になってしまった。
コンサートに来てくれた友人・知人を始め、お客様のアンケートも絶賛の嵐だったが、特に中山晋平物語の「シャボン玉」や「カチューシャの唄」で涙を流された方が何人かいらしたのはとてもよく解る。
世界に類を見ない子供のための音楽、「童謡」というジャンルに力を尽くした作曲家、中山晋平。埋もれがちな彼の作品と功績に光を当て、日本人はもっと自信と誇りを持ち、胸を張って「洋楽」をやるべきとする宮川さん主張は、僕にとっても新鮮で大きな収穫だった。
2014年5月16日(金)
折れたら直す
写真を見て「ははーん」とお思いのクラ吹きも多かろう。昔から愛用している“PACK A STAND”というクラリネットスタンドがまた壊れたのである。今度のは4,5年はもったから、まあよしとしよう。
折れた足と取り外したバネとワッシャー
修復なったPACK A STAND(右前)と仲間たち
このスタンド、折りたたみ足を広げるだけの単純な作りで、ベル内に収納できるコンパクトさと軽さが売りだが、ご存知のようにこの樹脂製の足、ちょっと踏んづけただけで簡単にクラックが入り、折れてしまう。
クラックが入ったことを知らずに組み立てると、クラリネットが傾いて倒れかねないので、致命的欠陥と言われても仕方あるまい。
原因は、根元が一部分だけ細くなった形状にあると思うのだが、アメリカ製だけあって?何ら改良された形跡はない。僕は今まで楽器を倒したことはないが、周辺にはこの危うさに懲りて、他のスタンドに転向した仲間も多い。
だが、このスタンドの魅力は、組み立ての速さもさることながら、たった30gしかない軽さにある。
他のベル収納型スタンドは、最低でも100g、しっかりした物だと150g以上あるし、ダブルケースでは差が倍になるから、この軽さだけは何物にも替えがたい。
そこで、以前は壊れる度に「えーい、このこのー!」と捨てていたスタンドをスペア用に取っておいて、足だけ交換することにしている。折れたとはいっても、まだ無傷なのが3本残っていることに遅まきながら気付いたのだ。
 交換はラジオペンチ1本で簡単にできる。足を固定しているパイプの先をペンチで真円に戻せば、ワッシャーとバネが外れる。足を交換してから逆の順序で固定し、最後にパイプの先端を元のように潰せばよい。
なんだかんだ言って、長く一緒にやってきたこのスタンドが好きなんだね。
2014年5月5日(月)
XP対策
先月でウィンドウズXPのサポートが終了した。よくは知らないが、要はXPの弱点を補強する更新プログラムがもう送られて来ないということなのだろう。ネットバンキングなどやっていない身としては、仮に今後新種のウィルスに感染したとして何が流出しようが大したことはなく、別に慌てることもないのだが、今のパソコンの速度低下が半端ないから、これを機会に新しい機種を探しに出掛けた。今まで、富士通、東芝、パナソニックなど国産ブランドを使ってきたが、どれも数年で具合が悪くなった。処理速度の低下は毎度のことだが、熱でキイが変形したり、液晶画面が半分真っ黒くなったりと散々である。現在使用中の15.6インチ東芝ダイナブックも、ワープロ中に特定のキイを押すと途端に固まってしまう。アフターが充実程度では高価格の穴埋めはもう無理だろう。
親亀(ダイナブック)の背中に乗った子亀(エイサス)。色は3種ある
そこで、今回は海外製品に的を絞った。予算は5万円以内。条件は、ウィンドウズ7以上が搭載されていること、無線LAN内臓で持ち運びできるサイズと重さであること、キイボードの右側に10キイが付いていないこと、DVD/CDドライブやMSオフィスは要らないこと、の四つ。何を聞いてもよく知っているYカメラの店員が薦めてくれたのが、台湾製ASUS(エイスース又はアスースと読ませたいらしいが、息が漏れているみたいだから、普通にエイサスと呼べばよいのに)というメーカーのX200CAというモデル。ウィンドウズ8搭載のタッチスクリーン対応。11.6インチで、重さはバッテリー込みで1.3Kg。バッテリー駆動時間も3.8時間と(僕には)充分。デザインや質感も良く、ほぼ理想通りだったが、5万6千円と予算オーバーだったので、ネットから買うつもりで店を出た。試しに、何を聞いてもチンプンカンプンなY電機を覗いてみると、同じ機種が何と1万円以上安く売られていた。店員が言うには、このモデルは既に生産終了していて、展示品処分価格とのこと。内心「ま、それでもいっかー」と思っていたら、その店員、しきりにハンディー端末を調べて「あ、1台だけ新品がありました!でも値段は同じで結構です」と言う。そこで「即決」というわけだが、あれがお芝居だったとすれば店員を少し見直してあげたい。
先日、一日掛かりで設定を終了。OSのバージョンも8から最新の8.1にアップグレードした。今のところ何の問題も無くサクサク動いている。特にフェイスブックがあんなに早くスクロールできるなんてウソみたいだ。埋め込み映像も自動再生してくれる。タッチスクリーンの恩恵は机上では余り感じないが、画面が一回り小さくなったのでズーム機能はありがたい。当面、ダイナブックは画像・映像や録音データなどの保存用、ネット接続はエイサスという役割分担になりそうだ。
2014年4月21日(月)
ビュッセルさんの見識
先月から復帰した横浜青葉オーケストラで、ドビュッシー作曲「小組曲」の2ndを担当することになった。「小組曲」を吹くのは、学生時代のコンセール・リュネール以来5、6回目だが、愛らしく美しい曲であることは承知しつつも、毎回少し憂鬱な気分になる。 
というのも、クラリネットにB♭管が指定されているので、全体に♯がやたらと多く、第2曲の「行列」に至っては♯6個の嬰へ長調で書かれている。それでいて結構速いパッセージや分散和音をやらされたり、何度も転調を繰り返したりするので、無駄に神経をすり減らすのだ。
これはドビュッシーの責任ではなく、ピアノ連弾曲をオーケストラ用に編曲したアンリ・ビュッセルという音楽家のせいである。音域的にも音色的にもB管である理由は見当たらない。「小組曲」は間違いなく全曲A管で吹く方が易しいし、美しい。ビュッセルはクラリネットにはA管もあることを知らなかったのか?(まさか)。
上段が原調の1st下段がA管用に書き換えた2ndの譜面。どっちが吹きたい?
きっとどこかにA管用に書き直されたパート譜があるはず、と、あちこち検索してみたが、世の中そう甘くなかった。
仕方なく移調作業を開始。用意した物は、修正テープと定規とボールペン。
一から書き直すのは面倒くさい。極力印刷された音符や記号を生かすべく、パート譜に直接書き込んだ。
1、修正テープで音符の玉を消す 2、消えた水平の五線や加線を定規で復活する 3、縦の棒を定規で延長する 4、移調した場所(一音上)に玉を書く 5、左端の調号を書き直す
以上の作業を半日続けた結果(世界初の?)A管用パート譜(2ndだけだがw)が完成した。 「とっくにやってますよ」とか「読み替えてるけど何か?」とか「スキャナーで読み込んで半音上げればすぐ出来ますよ」とか、決して言わないように。
2014年4月17日(木)
甲州弁
テレビドラマというものを観たことがなかったが、最近始まったNHKの朝ドラ「花子とアン」はよく観ている。甲府生まれの児童文学者、村岡花子の少女時代を演じる子役が発する方言がめちゃ懐かしいからだ。
私の父は山梨県笛吹市の石和(いさわ)、母は塩山市牧丘の出身。石和は今では温泉が有名だが、僕が中学生の頃、父方の祖父、松蔵おじいちゃんが掘り当てたのだそうだ(本人談)。当時の新聞記事も残っているから、まんざら作り話でもなさそうなのだが、子孫に特段の恩恵はない。Gmも石和生まれらしいが、2歳で東京へ転居したので故郷の記憶は全くない。
それでも、幼い頃から両親の実家に行って祖父母や叔父叔母と接し、従兄弟達と遊び戯れているうちに自然と甲州弁が身についた。
生傷が絶えず、河原で溺れかけるなど、やんちゃ坊主だったので、祖父母から度々「わにわにしちょし!」(ふざけないの!)「あぶねえとこ行っちょしよ!」(危ない所に行かないで!)と叱られたものだ。 
「グッド・モーニング!」。はな役の山田望叶ちゃんは演技も甲州弁も上手
ドラマにも度々登場する、驚いた時に発する「て!」「てぇ!」は東北弁の「じぇじぇじぇ!」と同じ。
会話の終わりは、「だっちもねえじゃん」(くだらないねえ)のように基本「〜じゃん」または「〜ずら」である。
富士川伝いに山梨県民が下ったとみえて、静岡の民謡「茶っきり節」に「きゃーるが鳴くんで雨ずらよ」(蛙が鳴くから雨が降るだろう)という一節があるが、静岡県西部ではそれが「〜だら」「〜だに」に変わる。浜松で生まれ育った我家の娘達は、横浜に転校してクラスメートに笑われ、初めてそれが方言だと知ったのだった。
甲州弁で「そうなの、ふーん」は「ほーけー」「ほうだけー」。子供は「ぼこ」と言うので、従兄弟の貴之は「たんぼこ」嘉彦は「よんぼこ」と呼ばれていた。
他にも「えれー」(すごく)、「けったるい」(疲れた)、「ぞうさ(も)ねえ」(易しい)、「ちっくい」(小さい)、「ちゃっくい」(ずるい)、「ぬくとい」(温かい)、「ふざっぽい」(きたない)、「やぶせったい」(うるさい)等々。
甲州弁が話せて良かったと思ったことが一度だけあった。本社で教材楽器を担当していた時、甲府の大手特約店からリコーダーでクレームがついた。店を訪ね、若社長と返品するしないで押し問答をしていると、奥から社長の父である老会長が現れ、話に加わった。そこで「会長さんとお話していると私の祖父を思い出します」と言うと「てぇ!ほーけー、おまんも山梨生まれけぇ。んじゃ、親戚みてえなもんずら!」という訳で、一挙に険悪な雰囲気がなごみ、おまけに近くの高級レストランでフランス料理までご馳走になったのだった。
2014年3月29日(土)
朋あり遠方より来る
京都に住むSkさんがヘアマン・バーンの選定に我家を訪れた。長年のメル友ながら、会って親しくお話したのは今回が初めてである。彼女を知ったのはHPの掲示板にnussdorfというハンドルネームで投稿してくれた5年ほど前のこと。ヘアマン先生のレッスン内容についてのかなりマニアックな質問だった。ドイツ管が好きで、ドイツの音楽事情にも詳しく、関西で演奏活動しているらしかったが、それ以上は解らずじまいだった。その距離が一気に縮まったのは2年前、来日予定だったヘアマン先生のレッスンを大阪で受けたいとの申し出があってからだ。何度かメールをやりとりする内に、Skさんという本名や彼女の音学歴、さらには掛オケで一緒に吹いていたIz君の大学オケの先輩であることも判明して大いに親しみを感じるようになった。大阪のレッスン後、ヘアマン先生から「フラウSkはとても上手だったよ」と聞かされ、いつかSkさんと会ってみたいものだと思っていた。
Skさんは普段ヴュリツァーのリフォームドを吹いている。現在はエーラーのC管が欲しいそうだ
ようやく今回、マウスピースを選んだり、デュエットで遊んだりしながら、5時間以上に亘って話をする機会に恵まれたが、共通の話題や友人知人も多く、あっという間に時間が過ぎた。
Skさんの話を聞く程に、音楽やクラリネットに対するひたむきな情熱、飽くなき探究心、旺盛な行動力には全くもって感服させられる。
学生時代には、日本で感銘を受けたスイスのクラリネット奏者の下で学ぶため、京都のゲーテに通ってドイツ語をマスターし、チューリヒに半年間留学して個人レッスンを受けたそうである。これには小生との共通点を強く感じたが、大きな違いは、Skさんのドイツ語は、今やヴォルフガング・マイヤーのレッスン通訳やECCのドイツ語講師を務める程のハイレベルであるところだ。あいにくnussdorfの意味を聞き損ねた。次回に取っておくのもまた楽しからずやである。
2014年3月6日(木)
C管で新領域?
先月の「10日の会」で、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78、通称「雨の歌」の第1楽章をC管で吹いた。
下管のリングキイ真ん中あたりに1回目の最高音Hが出てくる
このソナタ、最晩年に書かれたクラリネットソナタの寂寥感や晦渋さとは無縁の、何と簡潔で明るく活気に満ちた曲だろう。聴いてる方は、音程の悪いヴァイオリンを聴かされているようで少々辛かっただろうが、わたし的には、ブラームスの新たな魅力を垣間見たことと、2回出てくる最高音のHがちゃんと鳴ってくれたので大満足だ。
やってみると嬉しい発見があった。今まで理由もなく、ヴァイオリンの曲はかなり高い音を使っているので、クラリネットでは吹けないものと思い込んでいたが、案外そうでもなさそうなのだ。実際今回、ヴァイオリンのパート譜を一切折り返さずそのまま吹くことが出来た。曲にもよろうが、よほどのハイポジやハーモニクスでも使っていない限り、C管なら何とか全音域をカバーできる。ブラームスには他に2曲のヴァイオリン・ソナタがあるが、第2番、第3番も最高音は実音A止まり。いつかやってみたいベートーヴェン「スプリング・ソナタ」も、Aまでである。クラリネットで高い音はヴァイオリンでも高いということなのだ。
 
手始めに千住さん推薦のソナタあたりから
ヴァイオリンの開放弦は、下からG、D、A、Eだから畢竟、ト長調(今回)、ニ長調(ベトコン)、イ長調(モツコン5番)、ホ長調(メンコン)などシャープ系の曲が多い。
従ってHの音はとても重要だが、高いHをB管で吹くと音域外のcisとなるため、オクターブ下げざるをえなくなる。例えば、78小節からの un poco calando(消え入るように)と指示された4小節に亘る四分音符の上向音階。最高到達点はHだが、これが出ないからといって途中で折り返すことなど想像もできない。C管の音色改善、音程の補正、ピチカートや重音の処理など、まだまだ課題は残るものの、これを機に今まで馴染みが薄かったヴァイオリンの楽曲を開拓してみたいと思うようになった。何よりC管は、クラリネットの宿命と思われた面倒臭い移調をしなくてすむのがありがたい。
2014年2月17日(月)
雪のブラジャン・レポート
2週末を襲った記録的な大雪で首都圏の交通網はずたずたに寸断。所属するオケの練習が相次いで中止となる中、さかなクンがゲスト出演する「ブラスジャンボリー2014」は予定通り開催された。
全国から駆けつけた参加者は大さん橋ホールのクジラのお腹を満たした
家から会場の横浜大さん橋ホールまで通常なら1時間前後で行けるが、この日は、横浜への幹線鉄道である東横線がまさかの追突事故で不通に。小田急線から登戸経由で横浜方面へ南下する南武線、町田経由の横浜線も大雪で全線不通となった。
万事休すかと思われたが、普段は心許ない単線電車の世田谷線は動いているとの情報をキャッチ。
そこで、小田急線で一旦豪徳寺まで戻り、世田谷線で三軒茶屋へ出て田園都市線に乗り換え、あざみ野から横浜市営地下鉄に乗って関内駅から20分歩くという綱渡りでようやく会場に到着した。途中、夜に降った雨で歩道の雪は大根おろし状態。何度か水溜りに突っ込んで靴も靴下もびしょ濡れだ。さぞかし参加者が少なかろうと思いきや、受付時間を過ぎても続々と集まって来て最終的には500人近くに達した。北は札幌、南は福岡から参加した人もいたから驚きである。 
配布する楽譜の到着が、大渋滞で1時間以上遅れるハプニングもあったが、荒天にめげず集結したという連帯感からか、例年にも増して熱い大合奏を楽しんだ。
個人的には、スーザの「雷神」「ワシントン・ポスト」「星条旗よ永遠なれ」のメドレーが一番気に入った。これこそオーケストラに勝る吹奏楽の独壇場だ。それと、演奏者から募った合唱隊とともに吹いた「花は咲く」には今年も胸を熱くさせられた。
トレードマークの箱ふぐの帽子を被って登場。バスクラのソロはかなり上手かった
さかなクンが大きな歓声と拍手に迎えられてステージに登場すると、会場は一気に和やかな雰囲気に包まれた。TVで観る通りの明るさと元気さで国民的好感度はトップクラス。中学時代、水槽学部と間違えて入ったという吹奏楽部の仲間や顧問の先生も応援に駆けつけていた。
さかなクンは、「ムーンライト・セレナーデ」でクラリネットを、「花は咲く」ではバスクラリネットを、「ブラジル」ではアルトサックスを吹きこなし、参加者や観客から盛んな拍手が送られた。
帰りの電車の電光掲示板には早やブラジャン成功のテロップが。何で???
アンコールは「あまちゃん」のオープニングテーマ。参加者の一体感と演奏のノリの良さに気をよくしたという指揮者の曽我大介さん、更に「パイレーツ・オブ・カリビアン」を、又々最後に「ブラジル」を盛大に演奏して「ブラスジャンボリー・2014」を閉幕した。今年の「ホワイト・ジャンボリー」は、多くの参加者の思い出に残ることだろう。
2014年1月31日(金)
コハーン君に注目!
東京文化会館で行われた第11回東京音楽コンクール優勝者コンサートを聴きに行った。お目当ては、クラリネット部門の優勝者、コハーン・イシュトヴァーン君。コンサート告知チラシで、コンクールの審査員だった鈴木良昭氏が、その技術と音楽性の高さを絶賛していたからだ。
コハーン君は若干24歳のハンガリー人。たまたま今場所の相撲で大活躍した遠藤と同い年だが、体格も負けてはいない。並クラがエスクラに見えるほどの巨漢だ。東フィルをバックに演奏したのは、シュポアの難曲クラリネット協奏曲第2番。演奏後、しばらく満場からの拍手が鳴り止まないほどの熱演だった。本選で1位と共に聴衆賞を受賞したのもうなずける。温かみのある柔らかい音と全身にみなぎる曲への共感。快刀乱麻の如く難所を制覇していくテクニック。それでいて決して気張らず、音楽に身をゆだねるような余裕すら感じさせた。司会者から、「大勢の聴衆の前で吹いた感想は?」と聞かれ、日本語で、「つ・か・れ・た」と一言。日本人なら「緊張しました」「とても光栄です」などと言うところだろう。茶目っ気もたっぷりだ。聞けば、コハーン君は日本人や日本の文化が大好きで、今後は日本に定住!して、ソリストを目指すという。いつか彼の演奏で、シュポアの4曲をはじめ、フランセやニールセンのコンチェルトを聴くことができたらどんなに楽しいことだろう。
2014年1月3日(金)
年賀状版画
2013年は、ゆるキャラ・ブームが最高潮の年だった。昨年にわかに注目を集めたふなっしーの活躍は記憶に新しい。
2010年からグランプリ投票が行われている全国のゆるキャラの総数は、いまや優に1,500体を超えているそうである。その中でも熊本県のマスコット・キャラクター、くまモンは、地域の枠を超え国民的な人気者となった。
こらあ元祖くまモンたい
全国各地のイベントで引っ張りだこの状況だから、今年の干支であるウマ君も、くまモンの人気にあやかりたいのだろう。
だが、余り声高に、特に国会周辺で絶叫すると、テロとみなされタイホされるらしい。アンパンマンのようなおじさんがそう言っていた。アベノミクスなどと浮かれている間に、自由に物も言えない怖い世の中にならぬよう、警戒を怠ってはいけない。