ハンブルク北ドイツ放送響(NDR)の2nd兼エスクラ奏者、ワルター・ヘアマン(Walter Hermann)氏がとても良いレッスンをするという話は、ノルトハウゼンの小林さんから聞いていた。折しもそのNDRが、ドホナーニに率いられて来日するというので、是非楽屋へ尋ねて行って、あわよくばレッスンをお願いできないかと思い、川崎公演のチケットを押さえた。プログラムはウェーバー「魔弾の射手」序曲、「メンコン(Vn;諏訪内晶子)」、チャイコの「悲愴」である。ヘアマンさんは「エスクラがめちゃめちゃ上手いよ!」とのことだったが、残念ながら今回の来日演目にエスクラの出番はない。逆にそれが幸いしてか、オフの日に小林さんの仲介によってヘアマン氏のレッスンを受ける機会を得た。準備時間もなかったので、レッスン曲には比較的易しく慣れ親しんだシューマンの「幻想小曲集」を持って行った。
メールで伝えておいたイシモリのレッスン室に、定刻通りに現れたヘアマンさんは、長身の穏やかそうな紳士であった。髪は銀髪なのでちょっと年齢不詳だが、僕よりかなり若いことだけは間違いない。ヘアマンさん、早速ご自分の楽器(Leitner&
Kraus)を組み立てながら譜面台上の楽譜を覗き込み、「この曲、難しいよねー」。この一言で僕の見通しが甘かったことを予感した。
ヘアマンさん、僕がひと通り第1楽章を吹き終えると開口一番、「君はプロじゃないよね?」。目がいたずらっぽく笑っているから勿論ジョークだ。「さてと、どこから始めたものか・・・」、そんな本音が伝わってくる。
以下は、レッスンを見学に来て通訳までしてくれたホルツのOmさんのメモを元に、ヘアマンさんのレッスンを再現したものである。
“この曲は3つの楽章から構成されているけど、後半に行くほど速くなるように指定されている。だから第1楽章はかなりゆったりとしたテンポで吹いた方がよい。また、第1楽章の大きなIdee(アイデア)は、Vorhalt(椅音≒繋留音)と、それにスラーで繋がっているAuflosung(解決音)だ。Vorhaltはbetonen(強調)し、Auflosungはそれが収まるように演奏しなければならない。ちょうど「ため息」のようにね。曲の冒頭のesやasもそうだし、大きなフレーズの中にも幾つもそういう個所がある。例えばここだ。
フレーズ全体としては上に向かってクレッシェンドするんだけど、その中に3つの「ため息」が隠されているだろ?だからVorhaltのF、G、desは次の音に比べて少し重みを持って吹くべきだね。”
(ふーむ、そうだったのか。そんなこと考えたこともなかった。これがシューマンが意図して埋め込んだロマンチックな幻想の源泉なのだろう。今まで興に任せて吹いていただけの自分が恥ずかしくなった。)
“クラリネットは12度上の倍音が出るから音域は広いけど、とても音程の悪い楽器だ。だからそれが目立つところでは替え指やハーフトーンを使ったりして補正する必要がある。
例えばここでは、Dは高いから右手薬指(4)でトーンホールを塞ぎ、EとFは低いから左手小指(5)でcisキイを開けなければピアノと合わないね。そのためにはここのesは右手(2)でとった方がいい。
このasとGも高くなりがちだから、僕が普段使っている指を書いてあげよう。”
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これがヘアマンさんの「企業秘密」の一端 |
(そう言って教えてくれたフィンガリングは、とても言葉で簡単に伝えられない程複雑なものだったが、実際に吹いて聴かせてくれたヘアマンさんの音程と響きは全くパーフェクトだった。)
他にも、「上管と下管のトーンホールは一直線になるように組み立てること」、「練習するときは譜面台を高く上げて喉を開くこと」、「クレッシェンド、デクレッシェンド(< >)があるフレーズでは、必ず始まったところの音色や音量に戻ってくるようにすること」、「休符があっても前のダイナミクスを受け継ぐようにすると、フレーズとフレーズが繋がって息の長い歌になること」、「息を吸う場所だけでなく吐く場所を楽譜に書き込んでおくこと」、「gis
→ h は左手小指をスライドするのではなく、すばやくジャンプさせること」などを教えて頂いた。
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レッスン後、ヘアマンさんとカフェ・アマティにて。Omさん(右)、Kn代表(左) |
2時間があっという間に過ぎ、次のスタジオ使用者に追い出されるようにイシモリを出たが、ホルツのKn代表も合流して、大久保駅前の喫茶店でお茶をしながら、また楽しいおしゃべりの時間を過ごすことができた。(プリンツとイエッテルの確執等々)
レッスンを通じて強く印象に残ったのは、ヘアマンさんの音色と音程に対するプロとしてのこだわりだ。長年のプロオケ生活で培った職人芸とも呼ぶべき様々なノウハウは「企業秘密」に違いない。小林さんのお話では、ヘアマンさんが吹く完璧なエスクラは、一つとして正規の指使いなど使ってないそうである。
ピアノとのユニゾンが多いこのシューマンに限らず、運指表通りに演奏して、ピアノと音程が合わないのを楽器やマウスピースのせいにしていた自分を猛省した。以前、ライスター先生が仰った「残りの指は全て音程と響きのために使え」という教えを、今回現役であるヘアマンさんのレッスンを通じて改めて肝に銘じさせられた思いだ。
(2007/09/15 by Gm)