東欧クラリネット事情 
ルプタチクさんの故郷



先日プラハとブダペストを訪れた際に限られた時間ではあったが、チェコとハンガリーのクラリネットの現況を垣間見てきた。恥ずかしいことだが、行く前までは両国とも同じ東欧(今は中欧と言うらしい)だし、ましてや隣国ということで同じような楽器を使っているのだろうと思っていた。ところがどうやら全く違うのだ。一言で言えば、チェコはフランス管(ベーム式)、ハンガリーはドイツ管(エーラー式)である。

プラハでは有名なスメタナ・ホールでモーツァルトの「レクイエム」を聴いたが、クラは何とバセット・ホルンではなく並クラで、2本ともフランス管だった。そう言えば思い出した。今から20年程前、当時住んでいた浜松にチェコ・フィルが来たことがあった。ザフラドニークというクラの首席奏者を楽屋に訪ねて、彼が演奏したモーツァルトの「クラ五」のレコードにサインを貰ったついでに、あの不思議なチェコの音はどんな楽器から出るのだろうとクラのメーカー名を聞いてみた。すると意外にも『俺はクランポン、俺以外はセルマー』との答えだった。

スメタナホールからの帰り道、一軒の楽器店に入った。店頭に10本ほど陳列されていたクラは1本を除き全てベーム式だった。その1本と言うのが面白い。外観はタルやベルの形状を始めフランス管と瓜二つだが、何とキー・メカだけがエーラー式なのだ。店主が言うにはマウスピースもリードもフレンチタイプを付けて吹くという。チェコ製のこの楽器はオール木製で、トリル・キーなどが少し省かれているものの結構しっかりした造りだ。価格は信じられないことに11,000コルナ、日本円にして35,000円である。

  
ベテランのエーラー吹きでも一度も使った記憶が無いという上から2番目のサイドキーは当然?省かれている。
 
これはもう買うしかないだろう。ホルツ会員の喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。実際帰国後、この楽器を持って「ホルツの会」の練習場に行くと、予想通りセンセーションを巻き起こした。そして不思議なことに、誰が吹いても自然にヴィブラートがかかり、あの懐かしいボヘミアの「田園」の音、云わばとても"ルプタチックな"音が出るのだ。『今度オケで「新世界」をやる時は是非貸してくれ!』と言うメンバーが居たのもうなずける。それにしてもこの楽器、どのような人のために作られたのか未だに良く解らない。

一方、ブダペストはかなり様子が違う。「王宮」の中庭あたりで小遣い稼ぎに演奏しているストリート・ミュージシャンの中に、クラ吹きの老人が2人いた。どちらも優に60歳を越えているように見えたが、1人はエーラー式、もう1人は懐かしのアルバート式だ。お世辞にも上手いとは言えないが「ドナウ川のさざなみ」なんかをアコーディオン伴奏で吹いていたエーラーのおじいさん、随分マウスピースを深くくわえてるなーと思ったので、"献金"しがてら近づいて見ると、入れ歯を外して吹いていたのだった。究極のダブル・リップ奏法である。 

しかし「グンデル」というレストランで民族音楽を演奏していた楽団の中に、すごいクラ吹きのおじさんを発見した。ジプシー風の音楽を演奏しているバイオリンに即興でオブリガートを付けるのだが、変幻自在のフレーズとその早さと言ったら赤坂達三氏も真っ青である。そのフィンガリングの速さからベーム式に違いないと思ったのだが、話に行ってみると実はヴリツァー(勿論エーラー式)と判明。目の前で演奏してくれたが、決して易しい調性ではないにも拘わらず目にも止まらぬフォークやスライドの連続に、いつも上手く出来ないのをメカのせいにしている我が身の努力不足を恥じたのだった。それにしても、強烈なヴィブラートといい、むせび泣くような音色といい、余りにドイツ管のイメージとかけ離れた音なので、どんなマウスピースを使っているの?と聞くと、一言『ゼルメル(SELMER)』。リードは?『フレンチ』。うーむ、ドイツ管をフランスの仕掛けで吹くとああいう音になるのかしらん。畑違いかもしれないが、せっかくプロのクラ吹きと話すチャンスに巡り合えたので、ものは試しである。この旅行中にどうしても聞いてみたかった質問をした。『スロバキアのルプタチクって言うクラ奏者を知らない?』。かすかな期待をよそに、彼は肩をすくめて『ルプタチク?おら、知らねー』。
 
さて、ブダペスト最後の夜、ハンガリー国立歌劇場でプッチーニの「トスカ」を観た。私の視線と耳はもっぱらオケピットの若い3人のクラ奏者に注がれていたのだが、バスクラを含む全てのクラは(悪い予感どおリ)フランス管であった。音は良くも悪くもインターナショナルで何の印象も残っていない。どうやらベームの魔手はハンガリーにも確実に伸びてきているようだ。勿論、楽器やシステムだけで音色が決まるわけではないことは百も承知だが、今や世界中のクラがフランス管になり、同じ様なクラの音で満たされる傾向にあるのは哀しい現実ではないだろうか。良い音は一つではないはずだ。国によって国民性が異なるように、それぞれの国が独自の個性的な音を守り続けてくれることを願わずにはいられない。
(2001.06.18 by Gm)