エーラーにはベームに比べ格段に難しい幾つかの特有なフィンガリングがあり、これがエーラー普及の妨げになっていることは否めない事実だろう。“易きに付くは世の習い”。古今東西、難しいものより易しい方を選びたくなるのは世の常だし無理からぬ話だが、その指の困難さを克服してまで獲得したいと思わせる抗い難い魅力を、エーラー式のクラは持っているのだ。
モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、シューマン、ワグナー、ブラームス、マーラー、R・シュトラウス等々、ドイツ・オーストリー系の音楽が圧倒的に好まれているこの国において、指の問題さえ克服できれば、もっとエーラー吹きが増えることは疑う余地がない。
そもそも、エーラーの指使いの難しさは何に起因しているのだろう?ジャーマン式ソプラノリコーダーからバロック式アルトリコーダーに持ち替えるような、単なる慣れだけの問題だろうか?実感はどうも違う。
実際、クロス・フィンガリング(ドイツ語でガーベル)と呼ばれる、左手人差し指/中指の交代はリコーダーやサックスにもあるし、右手中指/薬指の交代だってオーボエやアルトリコーダーと同様で大した問題ではないからだ。
そこで試しに左右の各指に課せられた運動の数をエーラーとベームで比較すると、ある事実が浮かび上がってくる。
エーラー式及びベーム式フィンガリングにおける各指別仕事量 |
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小指は8も仕事をする |
親指までも使う |
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全指が平均化している |
親指は楽器を支えるだけ |
ベームよりラクをしている指は右手の小指だけで(それとてド⇔ミ♭スライドという困難な任務を担っているわけだが)、逆にベームより多くの仕事を課せられている指が4本もある。
まず、右手人差し指が、ベーム+2(右サイドE♭⇔Fキイのスライドとティア・ドロップ)、右手親指は音程補正キイを押さえるので+1、左手中指が+1(バナナ・キイ)、そして左手の小指に至ってはベームの4(左小指E♭レバー付としても5)に対して実に8、と2倍!の仕事量をこなさなければならない。
その8つの仕事というのは、ただ押さえるだけのキイ(H、C♯、G♯+2ブロークン・ハート・キイ)が5つに、H⇔C♯、H⇔G♯、C♯⇔G♯のスライドである。
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この3つのキイの位置関係は非常に重要 |
エーラーのC♯/G♯キイが、写真のように大きく、丸く、長いのは、これらのスライド(ヘアマン先生によれば“素早いジャンプ”)をやり易くするために他ならないが、エーラーは、左右の小指を同時に押さえていないとHとC♯を出すことが出来ないから、HかC♯の前後の音がG♯で、おまけにスラーが付いていると、タイミング良く滑らかに演奏するにはかなり神経を使うこととなる。
例えば、ドビュッシー「第1ラプソディー」冒頭のような箇所。
本国のエーラー吹きも、この種のフレーズが近づくと左手小指の滑りを良くするため、さりげなく耳の後ろあたりを触って「脂」を補給するそうだが、悲しいことには(右利きの場合)左手小指は10本の指の中で最も力が弱く、動きも鈍いときている。だから日常生活においても“彼女”を意味するジェスチャー以外には何も期待されていない可哀想な指なのだ。野球のバットや、ゴルフのクラブを握る時にも、他の指たちが総動員されているにも拘わらず、左手小指だけは、『君は無理して参加しなくても良いからね』と言われ、体よく仲間はずれにされてしまう。
しかるにエーラーの演奏において左手小指は実に出番の多い主役級の指で、これをどれだけ自在に操れるかがエーラー吹きの技量を測るバロメーターとなっている。エーラーにおいては“左手小指を制する者がエーラーを制する”のだ。
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ベーム式の天才的2階建て構造 |
それにしても、ベーム式クラリネットの開発に当たって、下管の中央縦方向に長い軸を2本上下に配し、それらを立体的に連動させることにより、右手または左手の小指1本だけでHとC♯を出すことを可能にしたパリの楽器職人ビュッフェと、パリ音楽院教授クローゼのアイデアは(悔しいけど)天才的であり、この革命的かつ信頼性の高い機構こそが、その後のベーム式
VS エーラー式のシェア争いの明暗を分けたと言っても過言ではないだろう。
(last revised 2019.02.07 by Gm)
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