おすすめCDなど |
|||||||||||||||
「ラフマニノフ交響曲第2番」聴き較べ / ひと目で納得!音楽用語辞典 / ヴィクトール物語 ミヒャエルスのフィンガリング・テクニック / 若きヴィルティオーゾ / 伝説のヴァイオリニスト / 伴奏者は音大教授 ダ・カーポ!/ 今更ながらの宝の山 / 100円ショップのウラッハ / 遥かなるルプタチク先生 ウェーバーと言えば、、、/ 陽の当たる教室 / 山下教授の陰謀 / ビヨンド・サイレンス |
|||||||||||||||
|
|||||||||||||||
|
|||||||||||||||
ひと目で納得!音楽用語辞典 間違いだらけの楽典解釈
以前、指揮者の曽我大介(そがだいすけ)さんの講座「間違いだらけの楽典解釈」を受講して、日本で教えられている「楽典」が、いかにイタリア語本来の意味から逸脱し、曲解されているかを痛感させられたが、この本は、そのネタ本とも言うべき名事典である。
著者は言う。Staccatoといえば「音を切る」というのが日本語訳の定番です。でも、実はイタリア語のStaccatoには「切る」という意味はありません。Allegroは普通「速く」と訳されていますが、実はAllegroという言葉には速度を表す意味がないことを皆さんは知っていますか?”というような具合。
お二人は2006年に「これで納得!よくわかる音楽用語のはなし」を著わしているが、今回は、ほぼ同一内容ながら、文章を減らし、音楽用語をアルファベット順に並べ、各ページにイラストを入れて更に読み易い工夫をしている。 また、イタリア語の語源や簡単な文法、更にピアニストならではの演奏上のアドヴァイスが添えられているのがうれしい。
例えば、日本で「弱く」と訳されるPianoについては、こんなアドヴァイスが書かれている。“楽譜でPの記号を見ると急に音が小さくなり音に芯がなくなる場合があります。これでは本当のPianoとは言えません。Pianoは確かに慎重さを促す意味があるのですが、だからと言って萎縮してしまってはダメなのです。大切なことはどんなに音量が小さくなっても、音をひとつひとつしっかり立ち上げ、芯のある音づくりを目指すことなのです。”
音楽用語の日本語訳を鵜呑みにしていては、作曲家の真意を汲み取ることはできない。
(2013/08/19 by Gm) |
|||||||||||||||
ジョン・ウィリアムズが書くと たまに訪れるヤマハ池袋店の2階楽譜売り場。隅々まで知っているはずのクラリネット楽譜コーナーに見慣れない楽譜があった。 作曲者は、あの「ジョーズ」や「スター・ウオーズ」等の映画音楽で有名なジョン・ウィリアムズ。
見開き2ページしかない譜面は、さほど難しそうでもなく、リズミックで変化に富み何だかとても楽しそうだ。後半にはカデンツァらしきものまで用意されている。印刷されているウィリアムズ自身のコメントによると、この曲は、スピルバーグ監督の「ザ・ターミナル」(2004年)という映画のために書いた音楽で、表題のViktor(ヴィクトール)は主人公の名前。 「彼の好意や心の温かさを表すため、クラリネットとオーケストラのために、ちょっとエスニックなダンス音楽を書いた」とあれば興味津々、買わずばなるまい。早速、近所のツタヤで「ザ・ターミナル」を借りて観たのだが、これがコメディーと言ってよいほど面白かった。 そして最後には、従業員達の協力と、彼の行動を監視し続けてきた冷徹な空港監察官の温情さえ得て、ヴィクトールがニューヨークへ来た真の目的である「父親との約束」をついに果たす日を迎える、という心温まる物語である。 ヴィクトールが話すクラコウジア語?と英語の珍妙なやりとりが抱腹絶倒だ。 (2013/02/03 by Gm) |
|||||||||||||||
Prof.Michaelsのフィンガリング・テクニック エーラー吹きの必携本
原題は“Methodische Schule der Klarinettistischen Grifftechnik”(クラリネット奏者のためのフィンガリング・テクニック教本)で、ドイツでは小さな楽器店にも置いてある教則本の定番のようだ。 本の著者は往年の名クラリネット奏者であり、デトモルト音大で長年後進の指導に当たってきた、ヨースト・ミヒャエルス教授である。僕にとってのミヒャエルスは、学生時代にアルヒーフのLPレコードで聴いたヨハン・シュターミッツのクラリネット協奏曲変ロ長調であり、かつてシュトイヤーから発売されていたハート部分が異常に盛り上がったリード、“ミヒャエルス・カット”なのである。
もちろん易しい指使いから始まってはいるものの、必ずしも頭から始める必要はないようだ。自分の指の弱点を重点的に補強できるようにも構成されているので、例えば、右手人差し指のファがどうも苦手だ、と思えばファを中心とした様々なパッセージが載っているページだけ練習すればよい。レジスター・キイ周りや高音域もまた然りである。 しかも全てのパーッセージが必ず1小節に収まっていて、後はそれを何度もリピートするだけなので飽きることがなく、むしろ全部征服してやろうという意欲すら湧いてくる。もっと早く入手していれば、エーラーに替えてからのフィンガリングの悩みは半減していただろうと思われる。8〜12位の音符を何度も繰り返している内に、何だか妙な旋律が浮き上がってきて、まるでガムラン音楽を奏でているかのように陶酔?して眠くなってくるから、寝付きの悪い夜のひと練習には持って来いである。 なお、下にちょっと手ごわい譜例を置いたので、腕に覚えのあるエーラー吹きは挑戦してみてください。
|
|||||||||||||||
(2009/05/07 by Gm) | |||||||||||||||
若きヴィルティオーゾ ベームだけどあっぱれ! |
|||||||||||||||
これをクラリネットで吹けないものだろうか、と楽譜を調べてみると、B管ならイ長調で原調のまま何とか吹けそうだ。だが何箇所かは超高音域のラやシになってしまうので、どこで旋律を折り返すべきなのか?ピチカートや重音はどう演奏したらよいのか?誰かこの曲をクラリネットで録音していないだろうか?まさかねー、と思いながらも渋谷のタワレコで捜してみた。 すると100枚以上のクラリネットCDの中にたった1枚発見した。ファビオ・ディ・カソーラ(Fabio di Casola)という奏者の演奏で、シューベルトのアルペジォーネソナタとプロコフィエフのソナタもカップリングされている。アルペジョーネソナタイ短調は、文字通りアルペジョーネという今は廃れた6弦楽器のために書かれ、プロコフィエフのソナタ作品94ニ長調は、フルートがオリジナルだが、ヴァイオリンで演奏される事も多い。 さてGmは知らなかったこのファビオさんのCDを聴いてぶったまげた。世の中には凄いクラリネット吹きがいるものだ。シューベルトとブラームスは、美しい旋律を実にていねいにしっとりと歌い上げているけれど、演奏の隅々に“只者でないぞ”という片鱗を覗かせてはいた。それがプロコフィエフでは驚異的なテクニックが全開である。 フィンガリングやトリルが速いのはプロだから当然としても、何よりタンギングがすごい。シングルも充分に速いが、全音域にわたるダブルやトリプルタンギングが、フルートやヴァイオリン並みに速い。しかもすごい跳躍である。これはもはや、シュポアやフランセのコンチェルトが吹けるというようなレベルの話ではないのだ。しかも単に技巧をひけらかすというのではなく、全ては音楽的な必然性に依拠しているところが素晴らしい。ベーム特有のけたたましい音も、このプロコフィエフでは逆に良い効果を発揮している。 慌ててファビオさんのプロフィールを読んで納得した。彼は1990年のジュネーブ国際コンクールの優勝者であり、1998年にはスイスの“ミュージシャン・オブ・ザ・イヤー”にも選ばれた有名奏者らしいのだ。国際コンクールで優勝するには、音楽性は元より、こんなにも凄いテクニックを持っていなければならないのか!クラリネットを聴いて余りの彼我の差に呆然自失したのは、10年前王子ホールで聴いたマーティン・フロスト以来だ。 もし僕がクラリネット科の音大生で同じ学年にファビオがいたら、間違いなく転職を考えただろう。 (2009/04/10 by Gm) |
|||||||||||||||
伝説のヴァイオリニスト ブラームスの化身 |
|||||||||||||||
フランスの女流ヴァイオリニスト、ジネット・ヌヴー(1919−1949)が弾くブラームスのヴァイオリン協奏曲。冒頭の火を噴くかのように激しく駆け上がるソロを聴くだけで、只ならぬ世界へと惹き込まれるように感じる。 全編にヌヴーの熱情がほとばしるこの演奏を聴いて以来、他のどんな名ヴァイオリニストの演奏を聴いても満足できなくなった。ブラームスの音楽は決してセンチメンタルなものではなく、ゲルマン民族としての自尊心と愛国心に深く根ざした骨太なものであることを気付かせてくれる。 この演奏が録音されたのは、第2次世界大戦後間もない1948年5月3日。ハンブルクのムジークハレ(=現ライスハレ)におけるライブ録音。しかもモノラルだから音質は悪い。対するオケは、結成3年足らずの北ドイツ放送交響楽団(NDR)。指揮者はこの楽団の創設者、ハンス・シュミット・イッセルシュテットである。 当時29歳のフランス人ヌヴーが、その卓越したテクニックと説得力溢れる表現で、ややもたつき気味のオケをぐいぐいと牽引していく様は、当時連合軍によって完膚なきまでに叩きのめされ、誇りと自信を喪失していたであろうドイツ国民を、あたかも叱咤、鼓舞しているように聴こえる。「あなた達の国には、こんなにも素晴らしい音楽があるじゃない!」とでも言っているかのように。 だが運命とは不条理なものだ。この演奏会の翌年、濃霧による飛行機事故がヌヴーのわずか30年の命を絶つことになる。彼女の天賦の才がいかに桁外れだったか、1935年ワルシャワ国際コンクールにおいて、弱冠15歳のヌヴーがヴィニヤフスキ−大賞を得て優勝したときの第2位が、11歳も年上の、ダヴィッド・オイストラフだったと言えば充分だろう。「僕は2位で満足している。彼女はまるで魔女のようだった」と、オイストラフは語ったという。 (2009/02/22 by Gm) |
|||||||||||||||
ペータースのMMO・CD 伴奏者は音大教授
かつてモーツァルトの協奏曲や五重奏曲などを買ってレコードと合わせてみたことがあったが、伴奏者のやる気が全く感じられないどころか「何で俺たちこんなくだらんことやってんだろうねー」みたいな雰囲気がモロに伝わってきて全然楽しくないので、早々にお蔵入りさせた記憶がある。現在では当然ながらCD化され、曲のレパートリーも増えて、模範演奏も収録されているのだが、はっきり言ってソロも伴奏も上手くない。まあ、カラオケCDなんてこんなもんだろうと思っていた。 ところが昨年、ボロボロになったシューマン「幻想小曲集」の新しい楽譜を捜しているうちに、カラオケCD付きの楽譜を見つけた。出版社はドイツの名門ペータースだ。一瞬「ペータースよお前もか、、、」と訝しく思ったが、今まで使っていた楽譜もペータースだったし、CDが付いていても邪魔にはならないだろう、と別に期待もしないで購入した。ところがこれが意外にも大当たりだったのだ。 そのピアノ伴奏たるや、GmのカラオケCDに対する否定的な固定観念を根底から覆す実に立派なものだった。初心者向けの気乗りしない伴奏どころか、ダイナミクスやテンポの微妙な変化や大胆なルバートなど、「ここはこう演奏するんだよ」と教えられているように感じられるのだ。自分を高めてくれるカラオケCDに出会ったのは初めてだ。 それもそのはず、このピアノを弾いているのはKarl Kammerlender というワイマール音大の高名な教授らしいのだ。
すっかり嬉しくなったGmは、このシリーズで他の曲も出ていないか調べてもらったところ、ウェーバーの「グランドデュオ」やブラームスの「ソナタ2曲」があり、しかも楽譜抜きでも購入できるという。何ヶ月か待って手許に届いたCDも期待に違わず素晴らしい演奏だった。 特に、あの難解さで知られるブラームスのピアノパートを、快刀乱麻、一刀両断に弾きこなす実力は只者ではない。こちらのPeter Grabinger 氏は、ワイマールとフランクフルト音大教授でナクソスからCDも出ているようだ。 ペータース社の志の高い企画と、その趣旨に共鳴して協力を惜しまないドイツの音大教授達に、心からの拍手を送りたい。 (2008/03/20 by Gm) |
|||||||||||||||
「オーケストラ・リハーサル」(1978年、伊・独) 監督:フェデリコ・フェリーニ、音楽:ニーノ・ロータ、原題:「PROVA D'ORCHESTRA」 ダ・カーポ! まずDVDのジャケット写真に興味を惹かれた。陶酔した表情の指揮者と、ベルを上に向けて吹くトロンボーン奏者。しかも持ち方がでたらめだ。つい手に取って解説を読むとフェデリコ・フェリーニ監督の作品で、長年コンビを組んだ音楽のニーノ・ロータとの最後の作品とある。映画に疎い僕でも二人が不朽の名作「道」を生み出したことくらいは知っている(そういえばジェルソミーナがトランペットを吹く場面も指がでたらめだったな)。とにかく中身が只者ではなさそうなので購入した。 イタリアの古い礼拝堂でオーケストラのリハーサルが行われる。その日はテレビ局の取材が入っていて楽員へのインタビューが始まる。楽員は誰もが個性豊かというか奇人・変人ばかりで自分の楽器こそが最高だと主張して譲らない。ヴァイオリンの傲慢さ、チェロの理屈っぽさ、コントラバスや打楽器奏者のひがみ根性など、ここの「楽器人類学」はアマオケ団員なら誰しも思い当たるものがあって笑ってしまうだろう。因みに禿でちょび髭のクラリネット奏者は、昔トスカニーニから褒められたことを何時までも皆に自慢していて周囲から嫌われているのだが、まるでGmのことを言われているようで恥ずかしかった。なお、クラリネットセクションは4人とも当然ベーム式だが、イタリアなのに期待したフルベーム式ではなかった(クラ奏者以外はスルーしてください)。
さて、そこに指揮者が登場する。これが神経質で気難しいドイツ人!(若き日のエリアフ・インバルに似ている?)で、何かにつけ演奏にケチをつけては何度も何度もやり直させる。団員も団員でサッカー中継を聴いたり酒を飲んだり、暑いからといって半裸になったりしている。何かにつけては「組合員の権利」を持ち出して自分達の怠惰や怠慢を正当化する。指揮者が「君達はそれでもプロか!?」と叫べば「あんた指揮は下手だけど口だけは達者ね!」と女性ヴァイオリン奏者が応じるという具合だ。指揮者と団員の対立がますますエスカレートし、とうとう休憩中に団員が壁に落書きを始めたり、古参の団員がピストルを乱射したり、指揮者をボイコットして巨大なメトロノームを持ち込んだりするに及んで、この荒唐無稽なドタバタ劇は超現実的な世界へと昇華?されていく。
両者の対立が頂点に達したところで何故か!巨大な鉄球が礼拝堂の壁を突き破って現れる。その大きさたるや浅間山荘事件の鉄球の100倍はあろうかというとてつもないものだ。そういえばこの映画が始まる頃から断続的に不気味な地響きが聴こえていたのだ。全身灰燼で真っ白になりながら呆然と立ち尽くす指揮者と団員達。やがて指揮者が静かに口を開く。「皆いるか?楽器は君達の命だろう?音譜を理解し音譜に従うのだ。さあ、もう一度練習を始めよう」その言葉に今度は素直に従い、廃墟の中に立ったまま指揮者の合図に合わせて演奏を始める団員達。演奏をしながら涙を流す者もいる。
初めて指揮者と団員達が心を一つにして創り上げた美しいハーモニー。ここでめでたしめでたしで終わればアメリカ映画だが、フェリーニはそんな陳腐な終わり方はしない。演奏終了後、暫く黙ってうつむいていた指揮者が発っした第一声は「きたない音を出すな!初めから(ダ・カーポ)!」 (2006/03/05 by Gm) |
|||||||||||||||
|