おすすめCDなど
「ラフマニノフ交響曲第2番」聴き較べ / ひと目で納得!音楽用語辞典 / ヴィクトール物語
ミヒャエルスのフィンガリング・テクニック / 若きヴィルティオーゾ / 伝説のヴァイオリニスト / 伴奏者は音大教授
ダ・カーポ!/ 今更ながらの宝の山 / 100円ショップのウラッハ / 遥かなるルプタチク先生
ウェーバーと言えば、、、/ 陽の当たる教室 / 山下教授の陰謀 / ビヨンド・サイレンス


「ラフマニノフ交響曲第2番」聴き較べ

こんなに集めてどうすんの?

今年(2015)9月に世田谷フィルで「ラフ2」を演奏すると決まり、手許にあった数枚と新たに購入したCDを聴いて予習している内に、その数は10枚に達した。この曲に縁の深いプレヴィンには、後年ロイヤル・フィルを振った盤もあり、また、オーマンディー、ラトル、プレトニョフ、ビシュコフ、山田和樹などなど、興味をそそられる演奏はまだまだ数多いのだが、本番が終わればぱったり聴かなくなること請け合いなので、この辺で打ち止めとした。
以下の表は、10枚を上から録音年順に並べ、それぞれに独断的印象を記したものである。三ツ星が満点。

補足1:第1楽章の長大な序奏後の Allegro moderato は、100小節、約4分のやはり長大なもので、リピートしない演奏が多いが、この中ではザンデルリンクとゲルギエフ盤だけが繰り返している。

補足2:ラストTimpani というのは、第1楽章最終音のミのことで、ラフマニノフはチェロとコントラバスにのみ音を与えたが、これでは物足りない、終わった気がしないと感じる指揮者も多いらしく、ティンパニの一撃を加える演奏が半数ほどある。一撃のダイナミクスも、控えめから、どうだ!まで様々で面白い。

補足3:「ラフ2」におけるカットは、アメリカに亡命した<ロシアの超絶技巧ピアニスト>ラフマニノフが、この自作交響曲を演奏してもらうため、新世界の指揮者や演奏家の要請(というかイジメ?)に従って、渋々自ら施したもの。カットは全楽章、計18箇所に及び、総カット小節数は306小節で全体の17%にものぼるが、短縮された時間は10分弱でしかない。アメリカの聴衆は長い間、短縮版をオリジナルとして聴かされていたわけだが、若き日のアンドレ・プレヴィンがロシアでムラヴィンスキーから完全全曲版のスコアを託され、以後その普及に努めた結果、現在ではカットなし演奏が普通となっている。心血を注いだ曲を、妥協の末に切り刻まざるを得なかったラフマニノフの胸中を察すると心が痛む。だが、ザンデルリンクとスヴェトラーノフは、相変わらず第4楽章でカット版を使用している。


(2015/02/25 by Gm)


ひと目で納得!音楽用語辞典

間違いだらけの楽典解釈

2010年7月、全音楽譜出版社より発行
速度、強弱、表情、奏法など、クラシック音楽の楽譜に記されている音楽用語は、ほとんどがイタリア語である。これは、西欧音楽が体系化されていったルネサンスやバロック期に、イタリアが音楽の中心地だったことによる。だが、その音楽用語の本当の意味を、日本人はどれだけ正確に理解しているだろうか?
 
以前、指揮者の曽我大介(そがだいすけ)さんの講座「間違いだらけの楽典解釈」を受講して、日本で教えられている「楽典」が、いかにイタリア語本来の意味から逸脱し、曲解されているかを痛感させられたが、この本は、そのネタ本とも言うべき名事典である。
著者は言う。Staccatoといえば「音を切る」というのが日本語訳の定番です。でも、実はイタリア語のStaccatoには「切る」という意味はありません。Allegroは普通「速く」と訳されていますが、実はAllegroという言葉には速度を表す意味がないことを皆さんは知っていますか?”というような具合。
 
TenutoとSostenutoは違うらしい
この本を書いたのは、東京芸大大学院卒業後、ピアニストとしてイタリアに留学し、現在もイタリアと日本で演奏活動を行う関孝弘氏と、イタリア人奥様ラーゴ・マリアンジェラーさん。日本人演奏家とネイティブの理想的な組み合わせだ。
お二人は2006年に「これで納得!よくわかる音楽用語のはなし」を著わしているが、今回は、ほぼ同一内容ながら、文章を減らし、音楽用語をアルファベット順に並べ、各ページにイラストを入れて更に読み易い工夫をしている。

また、イタリア語の語源や簡単な文法、更にピアニストならではの演奏上のアドヴァイスが添えられているのがうれしい。
例えば、日本で「弱く」と訳されるPianoについては、こんなアドヴァイスが書かれている。“楽譜でPの記号を見ると急に音が小さくなり音に芯がなくなる場合があります。これでは本当のPianoとは言えません。Pianoは確かに慎重さを促す意味があるのですが、だからと言って萎縮してしまってはダメなのです。大切なことはどんなに音量が小さくなっても、音をひとつひとつしっかり立ち上げ、芯のある音づくりを目指すことなのです。”
 
音楽用語の日本語訳を鵜呑みにしていては、作曲家の真意を汲み取ることはできない。

(2013/08/19 by Gm)


cherry lane music companyという出版社 調号が無いがハ長調やイ短調とは思えない
ヴィクトール物語

ジョン・ウィリアムズが書くと

たまに訪れるヤマハ池袋店の2階楽譜売り場。隅々まで知っているはずのクラリネット楽譜コーナーに見慣れない楽譜があった。
作曲者は、あの「ジョーズ」や「スター・ウオーズ」等の映画音楽で有名なジョン・ウィリアムズ。
見開き2ページしかない譜面は、さほど難しそうでもなく、リズミックで変化に富み何だかとても楽しそうだ。後半にはカデンツァらしきものまで用意されている。

印刷されているウィリアムズ自身のコメントによると、この曲は、スピルバーグ監督の「ザ・ターミナル」(2004年)という映画のために書いた音楽で、表題のViktor(ヴィクトール)は主人公の名前。
「彼の好意や心の温かさを表すため、クラリネットとオーケストラのために、ちょっとエスニックなダンス音楽を書いた」とあれば興味津々、買わずばなるまい。早速、近所のツタヤで「ザ・ターミナル」を借りて観たのだが、これがコメディーと言ってよいほど面白かった。
 
あらすじをかいつまむと、、、ロシアに隣接する架空の小国クラコウジア。トム・ハンクス演じる主人公のヴィクトール・ナボルスキが、ニューヨークのJFK空港に降り立った時に、祖国クラコウジアでクーデターが勃発し、あえなく共産党政府が崩壊。彼のVISAは発給停止となり、アメリカへの入国が拒否されてしまう。帰国も入国もできない彼の生活の場は、唯一、JFK空港の発着ロビーのみとなってしまった。英語がほとんど話せないヴィクトールは、当初、空港で働く従業員達から怪しまれ、疎んじられ、邪険にされるが、彼の純朴な性格、持ち前の陽気さや、他人への思いやりなどから、次第に周囲の信頼と尊敬を獲得していく。
そして最後には、従業員達の協力と、彼の行動を監視し続けてきた冷徹な空港監察官の温情さえ得て、ヴィクトールがニューヨークへ来た真の目的である「父親との約束」をついに果たす日を迎える、という心温まる物語である。
ヴィクトールが話すクラコウジア語?と英語の珍妙なやりとりが抱腹絶倒だ。
 
全編に流れるウィリアムズの音楽は、どことなく東欧系のバルトークやヤナーチェック、更にはユダヤのクレズマーあたりを想起させるが、音階が民族音楽的なので、実際吹いてみると譜面づらよりずっと難しい。だが、映画のエンディング・タイトルのバックで、オケ伴による楽譜通りの素晴らしい演奏が聴けるのは実にありがたい。
 
このソロを演奏したというエミリー・バーンスタインを検索してみた。1959年生まれの女流奏者で、スタンフォード大学とイーストマン音楽学校を優秀な成績で卒業した彼女は、当時ロサンジェルス・オペラの首席奏者だったそうだが、なぜか「ザ・ターミナル」完成の翌年、2005年に亡くなっているようだ。エンディング・クレジットに彼女の名前が流れるが、これはハリウッド映画では稀な事のようである。

(2013/02/03 by Gm)


Prof.Michaelsのフィンガリング・テクニック


エーラー吹きの必携本

30ユーロ、これはエーラー用だがベーム用もある
「え?持ってないの!」とヘアマン先生から呆れられたのがこの本。
原題は“Methodische Schule der Klarinettistischen Grifftechnik”(クラリネット奏者のためのフィンガリング・テクニック教本)で、ドイツでは小さな楽器店にも置いてある教則本の定番のようだ。

本の著者は往年の名クラリネット奏者であり、デトモルト音大で長年後進の指導に当たってきた、ヨースト・ミヒャエルス教授である。僕にとってのミヒャエルスは、学生時代にアルヒーフのLPレコードで聴いたヨハン・シュターミッツのクラリネット協奏曲変ロ長調であり、かつてシュトイヤーから発売されていたハート部分が異常に盛り上がったリード、“ミヒャエルス・カット”なのである。

各ページに25以上の短い練習曲が載っている
さて、180ページにも及ぶこのぶ厚い教則本には、見開き両ページに亘ってあらゆる指使いのパターンが網羅されているが、使う指や音域別に系統立てて整理されているのでとても取っ付きやすい。
もちろん易しい指使いから始まってはいるものの、必ずしも頭から始める必要はないようだ。自分の指の弱点を重点的に補強できるようにも構成されているので、例えば、右手人差し指のファがどうも苦手だ、と思えばファを中心とした様々なパッセージが載っているページだけ練習すればよい。レジスター・キイ周りや高音域もまた然りである。

しかも全てのパーッセージが必ず1小節に収まっていて、後はそれを何度もリピートするだけなので飽きることがなく、むしろ全部征服してやろうという意欲すら湧いてくる。もっと早く入手していれば、エーラーに替えてからのフィンガリングの悩みは半減していただろうと思われる。8〜12位の音符を何度も繰り返している内に、何だか妙な旋律が浮き上がってきて、まるでガムラン音楽を奏でているかのように陶酔?して眠くなってくるから、寝付きの悪い夜のひと練習には持って来いである。
なお、下にちょっと手ごわい譜例を置いたので、腕に覚えのあるエーラー吹きは挑戦してみてください。
es/fスライドの練習。2は右手人差し指です 0はガーベルを意味します。サイドキイはご法度
 (2009/05/07 by Gm)

若きヴィルティオーゾ


ベームだけどあっぱれ!

ファビオはイタリア系なのだろうか?楽器はビュッフェのトスカだ
「雨の歌」とも呼ばれる、ブラームスのヴァイオリンソナタ第1番ト長調作品78は、まるでフランス音楽のドビュッシーかフォーレを思わせる素敵な始まり方をする。第2主題も明るく躍動的で実に魅力的だ。晩年のクラリネットソナタのような晦渋さはまだない。

これをクラリネットで吹けないものだろうか、と楽譜を調べてみると、B管ならイ長調で原調のまま何とか吹けそうだ。だが何箇所かは超高音域のラやシになってしまうので、どこで旋律を折り返すべきなのか?ピチカートや重音はどう演奏したらよいのか?誰かこの曲をクラリネットで録音していないだろうか?まさかねー、と思いながらも渋谷のタワレコで捜してみた。
すると100枚以上のクラリネットCDの中にたった1枚発見した。ファビオ・ディ・カソーラ(Fabio di Casola)という奏者の演奏で、シューベルトのアルペジォーネソナタとプロコフィエフのソナタもカップリングされている。アルペジョーネソナタイ短調は、文字通りアルペジョーネという今は廃れた6弦楽器のために書かれ、プロコフィエフのソナタ作品94ニ長調は、フルートがオリジナルだが、ヴァイオリンで演奏される事も多い。

さてGmは知らなかったこのファビオさんのCDを聴いてぶったまげた。世の中には凄いクラリネット吹きがいるものだ。シューベルトとブラームスは、美しい旋律を実にていねいにしっとりと歌い上げているけれど、演奏の隅々に“只者でないぞ”という片鱗を覗かせてはいた。それがプロコフィエフでは驚異的なテクニックが全開である。
フィンガリングやトリルが速いのはプロだから当然としても、何よりタンギングがすごい。シングルも充分に速いが、全音域にわたるダブルやトリプルタンギングが、フルートやヴァイオリン並みに速い。しかもすごい跳躍である。これはもはや、シュポアやフランセのコンチェルトが吹けるというようなレベルの話ではないのだ。しかも単に技巧をひけらかすというのではなく、全ては音楽的な必然性に依拠しているところが素晴らしい。ベーム特有のけたたましい音も、このプロコフィエフでは逆に良い効果を発揮している。
慌ててファビオさんのプロフィールを読んで納得した。彼は1990年のジュネーブ国際コンクールの優勝者であり、1998年にはスイスの“ミュージシャン・オブ・ザ・イヤー”にも選ばれた有名奏者らしいのだ。国際コンクールで優勝するには、音楽性は元より、こんなにも凄いテクニックを持っていなければならないのか!クラリネットを聴いて余りの彼我の差に呆然自失したのは、10年前王子ホールで聴いたマーティン・フロスト以来だ。
もし僕がクラリネット科の音大生で同じ学年にファビオがいたら、間違いなく転職を考えただろう。

(2009/04/10 by Gm)

伝説のヴァイオリニスト

ブラームスの化身

ドラクロアが描いた「民衆を導く自由の女神」を想起させる演奏
歴史的名演奏というものは、時と人を得て初めて産み出されることを、このCDは教えてくれる。

フランスの女流ヴァイオリニスト、ジネット・ヌヴー(1919−1949)が弾くブラームスのヴァイオリン協奏曲。冒頭の火を噴くかのように激しく駆け上がるソロを聴くだけで、只ならぬ世界へと惹き込まれるように感じる。
全編にヌヴーの熱情がほとばしるこの演奏を聴いて以来、他のどんな名ヴァイオリニストの演奏を聴いても満足できなくなった。ブラームスの音楽は決してセンチメンタルなものではなく、ゲルマン民族としての自尊心と愛国心に深く根ざした骨太なものであることを気付かせてくれる。

この演奏が録音されたのは、第2次世界大戦後間もない1948年5月3日。ハンブルクのムジークハレ(=現ライスハレ)におけるライブ録音。しかもモノラルだから音質は悪い。対するオケは、結成3年足らずの北ドイツ放送交響楽団(NDR)。指揮者はこの楽団の創設者、ハンス・シュミット・イッセルシュテットである。

当時29歳のフランス人ヌヴーが、その卓越したテクニックと説得力溢れる表現で、ややもたつき気味のオケをぐいぐいと牽引していく様は、当時連合軍によって完膚なきまでに叩きのめされ、誇りと自信を喪失していたであろうドイツ国民を、あたかも叱咤、鼓舞しているように聴こえる。「あなた達の国には、こんなにも素晴らしい音楽があるじゃない!」とでも言っているかのように。

だが運命とは不条理なものだ。この演奏会の翌年、濃霧による飛行機事故がヌヴーのわずか30年の命を絶つことになる。彼女の天賦の才がいかに桁外れだったか、1935年ワルシャワ国際コンクールにおいて、弱冠15歳のヌヴーがヴィニヤフスキ−大賞を得て優勝したときの第2位が、11歳も年上の、ダヴィッド・オイストラフだったと言えば充分だろう。「僕は2位で満足している。彼女はまるで魔女のようだった」と、オイストラフは語ったという。

(2009/02/22 by Gm)


ペータースのMMO・CD

伴奏者は音大教授


右下の赤いラベルがCD付きの証
MMOはミュージック・マイナス・ワンの略で、平たく言えばソロを抜いたカラオケである。MMOが登録商標かどうか知らないが、ニューヨークにある同名の会社が、僕が学生の頃から大量にジャズやクラシックのカラオケレコードを出していた。ちょっと怪しげなソロパート譜も付いていて、オーケストラやピアノをバックにヴァーチャルなソリスト気分を味わえるというのが売りだ。

かつてモーツァルトの協奏曲や五重奏曲などを買ってレコードと合わせてみたことがあったが、伴奏者のやる気が全く感じられないどころか「何で俺たちこんなくだらんことやってんだろうねー」みたいな雰囲気がモロに伝わってきて全然楽しくないので、早々にお蔵入りさせた記憶がある。現在では当然ながらCD化され、曲のレパートリーも増えて、模範演奏も収録されているのだが、はっきり言ってソロも伴奏も上手くない。まあ、カラオケCDなんてこんなもんだろうと思っていた。

ところが昨年、ボロボロになったシューマン「幻想小曲集」の新しい楽譜を捜しているうちに、カラオケCD付きの楽譜を見つけた。出版社はドイツの名門ペータースだ。一瞬「ペータースよお前もか、、、」と訝しく思ったが、今まで使っていた楽譜もペータースだったし、CDが付いていても邪魔にはならないだろう、と別に期待もしないで購入した。ところがこれが意外にも大当たりだったのだ。

そのピアノ伴奏たるや、GmのカラオケCDに対する否定的な固定観念を根底から覆す実に立派なものだった。初心者向けの気乗りしない伴奏どころか、ダイナミクスやテンポの微妙な変化や大胆なルバートなど、「ここはこう演奏するんだよ」と教えられているように感じられるのだ。自分を高めてくれるカラオケCDに出会ったのは初めてだ。
それもそのはず、このピアノを弾いているのはKarl Kammerlender というワイマール音大の高名な教授らしいのだ。
CDのみでも販売。値段も2千円台でリーズナブル

すっかり嬉しくなったGmは、このシリーズで他の曲も出ていないか調べてもらったところ、ウェーバーの「グランドデュオ」やブラームスの「ソナタ2曲」があり、しかも楽譜抜きでも購入できるという。何ヶ月か待って手許に届いたCDも期待に違わず素晴らしい演奏だった。
特に、あの難解さで知られるブラームスのピアノパートを、快刀乱麻、一刀両断に弾きこなす実力は只者ではない。こちらのPeter Grabinger 氏は、ワイマールとフランクフルト音大教授でナクソスからCDも出ているようだ。

ペータース社の志の高い企画と、その趣旨に共鳴して協力を惜しまないドイツの音大教授達に、心からの拍手を送りたい。

(2008/03/20 by Gm)


「オーケストラ・リハーサル」(1978年、伊・独)
監督:フェデリコ・フェリーニ、音楽:ニーノ・ロータ、原題:「PROVA D'ORCHESTRA」

ダ・カーポ!

まずDVDのジャケット写真に興味を惹かれた。陶酔した表情の指揮者と、ベルを上に向けて吹くトロンボーン奏者。しかも持ち方がでたらめだ。つい手に取って解説を読むとフェデリコ・フェリーニ監督の作品で、長年コンビを組んだ音楽のニーノ・ロータとの最後の作品とある。映画に疎い僕でも二人が不朽の名作「道」を生み出したことくらいは知っている(そういえばジェルソミーナがトランペットを吹く場面も指がでたらめだったな)。とにかく中身が只者ではなさそうなので購入した。

あらすじはこうだ、、、

イタリアの古い礼拝堂でオーケストラのリハーサルが行われる。その日はテレビ局の取材が入っていて楽員へのインタビューが始まる。楽員は誰もが個性豊かというか奇人・変人ばかりで自分の楽器こそが最高だと主張して譲らない。ヴァイオリンの傲慢さ、チェロの理屈っぽさ、コントラバスや打楽器奏者のひがみ根性など、ここの「楽器人類学」はアマオケ団員なら誰しも思い当たるものがあって笑ってしまうだろう。因みに禿でちょび髭のクラリネット奏者は、昔トスカニーニから褒められたことを何時までも皆に自慢していて周囲から嫌われているのだが、まるでGmのことを言われているようで恥ずかしかった。なお、クラリネットセクションは4人とも当然ベーム式だが、イタリアなのに期待したフルベーム式ではなかった(クラ奏者以外はスルーしてください)

うん、いかにもいそうな感じ 肥ったObなんて知らない クラは皆自惚れ屋か? ノー・コメント

さて、そこに指揮者が登場する。これが神経質で気難しいドイツ人!(若き日のエリアフ・インバルに似ている?)で、何かにつけ演奏にケチをつけては何度も何度もやり直させる。団員も団員でサッカー中継を聴いたり酒を飲んだり、暑いからといって半裸になったりしている。何かにつけては「組合員の権利」を持ち出して自分達の怠惰や怠慢を正当化する。指揮者が「君達はそれでもプロか!?」と叫べば「あんた指揮は下手だけど口だけは達者ね!」と女性ヴァイオリン奏者が応じるという具合だ。指揮者と団員の対立がますますエスカレートし、とうとう休憩中に団員が壁に落書きを始めたり、古参の団員がピストルを乱射したり、指揮者をボイコットして巨大なメトロノームを持ち込んだりするに及んで、この荒唐無稽なドタバタ劇は超現実的な世界へと昇華?されていく。

突然巨大な鉄球が壁を突き破って出現!

両者の対立が頂点に達したところで何故か!巨大な鉄球が礼拝堂の壁を突き破って現れる。その大きさたるや浅間山荘事件の鉄球の100倍はあろうかというとてつもないものだ。そういえばこの映画が始まる頃から断続的に不気味な地響きが聴こえていたのだ。全身灰燼で真っ白になりながら呆然と立ち尽くす指揮者と団員達。やがて指揮者が静かに口を開く。「皆いるか?楽器は君達の命だろう?音譜を理解し音譜に従うのだ。さあ、もう一度練習を始めよう」その言葉に今度は素直に従い、廃墟の中に立ったまま指揮者の合図に合わせて演奏を始める団員達。演奏をしながら涙を流す者もいる。

イタリア人とドイツ人はきっと相性が悪い

初めて指揮者と団員達が心を一つにして創り上げた美しいハーモニー。ここでめでたしめでたしで終わればアメリカ映画だが、フェリーニはそんな陳腐な終わり方はしない。演奏終了後、暫く黙ってうつむいていた指揮者が発っした第一声は「きたない音を出すな!初めから(ダ・カーポ)!」

この作品は当初テレビ向けに作られたが、当時の政治や社会を痛烈に批判しているとして放送が延期されたという曰く付きである。オーケストラ自体が閉鎖社会のシンボルだろうし、礼拝堂やメトロノームや巨大な鉄球も何かの隠喩に違いない。大戦後台頭した社会主義や人権意識高揚の象徴である「組合」が芸術を堕落させたと言いたかったのかも知れない。単にオーケストラを題材にした喜劇として観ても充分楽しめるが、全編に散りばめられたフェリーニの「毒」を自分なりに発見し解釈するのもまた楽しい作業だろう。

(2006/03/05 by Gm)


マックス・レーガー、クラリネット作品集
クラリネットソナタop.49-1 As-dur
クラリネットソナタ op.49-2 fis-moll

クラリネットソナタ op.107 B-dur
ALBUMBLATT in Es-dur
TARANTELLA in g-moll

ROMANCE in G-dur

Ib Hausmann : Clarinet
Nina Tichman : Piano

今更ながらの宝の山

ドイツの作曲家マックス・レーガー(1873−1916)の、クラリネットとピアノによる作品を網羅したCDで、3曲のソナタと3つの小品(ロマンスはヴァイオリン曲の編曲)が収録されている。銀座の山野楽器で購入した輸入盤である(1700円)。

ハウスマンという奏者は初めて聴いたが、安定したテクニックと高い音楽性を兼ね備えた間違いなく一級の実力者だ。音色は明らかにドイツ管(多分エーラー)の渋い音で、レーガーの曲想にぴったりと合っている。ハウスマンの演奏に惹かれたのは、つい無難で味気ない模範的演奏に陥りがちなレーガーの作品を完全に自分のものとして消化していること。ダイナミクスや緩急の変化など楽譜の指示を充分に尊重しながらも時として自由に解釈し大胆に演奏しているけれど、その表現が曲想と一体化しているため却って曲を活き活きと自然なものに感じさせている。

ブラームスのクラリネットソナタに触発されて書いたと言われるレーガーのソナタは地味で難解で、時に冗長な作品と思い込み敬遠していたが、ハウスマンの演奏を聴いてこれらの作品群が、特にドイツ管にとって魅力ある貴重なクラリネット・レパートリーであることに気付かされた。

また、レーガー自身オルガンの名手であり、彼のクラリネットソナタはクラリネット付きピアノソナタと言われるほどピアノに高度な技量が要求されるが、ティヒマンのピアノもクラリネット同様、自発性と切れ味に富んでいて文句の付けようがない。

なお、このCDには「ALBUMBLATT」(アルバムの一葉)というとても美しい小品が収録されている。巨漢であり過度の喫煙と暴飲暴食の果てに43歳という若さで世を去ったレーガーは、奇人・変人としてのエピソードを数多く残しているが、この佳品を聴いていると、レーガーの胸の奥にもきっと大切なひとの想い出が人知れずしまわれていたに違いないと思わされる。

(2005/08/15 by Gm)


クラシック音楽5 “若き日のカラヤン”モーツアルト2
クラリネット協奏曲イ長調K622
交響曲第39番ホ長調K543
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
録音:1946/1949


100円ショップのウラッハ

ダイソーの100円ショップで、かのレオポルト・ウラッハのCDが売られている。曲はモーツァルトのクラリネット協奏曲。指揮はカラヤン、オケはウィーン・フィルである。『若き日のカラヤン』シリーズ10枚の中の1枚、『モーツァルトA』に入っている。無論モノラルだし、ジャケットにはクラリネット奏者の名前すら書かれていないが、録音年が1949年とある。1枚100円なら逡巡している場合ではない。レジで105円也を支払い早速家に帰って聴いてみると、紛れも無く正真正銘のウラッハである。Gmはこの演奏をLPレコードで持っているのだ。

ウラッハのコンチェルトといえば、1954年にロジンスキー指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団をバックにした盤が有名だが、このカラヤン盤はその5年前、1949年にウィーン楽友協会の小ホール「ブラームス・ザール」で録音されたもののようだ。ウラッハ47歳、カラヤン46歳である。名器コクタンから紡ぎだされるふくよかで、どこか憂愁を帯びたウラッハの音色は、モーツァルト晩年の曲想と完全に一体となり(特に第2楽章は絶品!)ホルツ会員ならずともこれぞクラリネットの理想の音と思わせずにはおかない。

しかしである。何かヘンだ。レコードとCDを聴き比べてみると、明らかにレコードの方が軽快である。ストップウォッチで計ってみると、何と第1楽章で30秒、第2楽章で13秒、第3楽章で14秒、率にして3%から4%、何れもCDの方が長い事が判った。そこで今度はGmの愛器YAMAHAのエーラー・カスタムを引っ張り出し、先ずレコードと合わせてみる。短い樽を付け、目一杯楽器を縮め、アンブシュアを締め上げてやっとピッチが合った。A=445Hzまで計れるチューナーの針が振り切れている。次にCD。クラリネットの関節という関節を全部伸ばしてぴったりだ。A=438Hz。これではアメリカのオケ(ローピッチA=440)でも通用しないだろう。つまりレコードとCDでは7Hz以上の差があるのだ。

言わずもがなだがレコードのピッチが正しい。その証拠に、当時ウラッハと共にウィーン・フィル・クラリネットセクションの双璧を務めていた、名匠ルドルフ・イエッテルの同曲のCDも、ウラッハのレコードのピッチとぴったり一致する。たかが7Hzとみるか、されど7Hzとみるか、人様々だろう。LPレコードから採ったとおぼしき音源は、針ノイズもワウフラも多めだが、ウラッハの音の特質や当時のウィーンの演奏スタイルは充分に伝わってくる。100円玉1個でウラッハの名演奏が拝聴できるとは、ありがたい時代になったものである。

安らかな気分で聴くクラリネット・コンチェルト
Wolfgang Amedeus Mozart:
Concerto in A major for Clarinet and Orchestra (K.622)
Karel Stamic:
Concert in B flat major for Clarinet and Orchestra
Concerto No.4 for Two Clarinets and Orchestra

遥かなるルプタチク先生


先日 KIOSKに併設されているショップで購入したCDを紹介します。 タイトルは「安らかな気分で聴くクラリネット・コンチェルト」。 収録曲はモーツァルト「クラリネット協奏曲イ長調」とカール・シュターミッツ「クラリネット協奏曲変ロ長調」及び珍しい「2つのクラリネットのための協奏曲」の計3曲。

クラリネットはJ.ルプタチク(Luptacik)という人で性別、年齢、経歴等一切不詳。この手の輸入版としては高めの1,500円だったのでちょっと逡巡しましたが、カバーにクラリネットが水彩画風に描かれていて気に入ったのと、なんとそれがエーラーシステムというところが決め手となり購入。家に帰って子細に見ると、ベルギー製のこのCDは、音源はスロヴァキア、カバーデザインはオランダ、指揮者もオケもバラバラで「怪しさ度」は抜群!針を落とす?前に、とても安らかな気分ではいられません。

まず、モーツアルト。オケの序奏の美しさに耳を奪われます。『おう、さすがスラブの弦!これは意外な拾い物かも・・・』とクラのソロにも期待がふくらみます。いよいよソロです。 『ん?なんか聞き慣れない変な音。伝統のヴィブラートは予想通りとしても、雑音は多いし、低音は聞こえないし、高音は甲高くて音程は悪いし・・・。一体どういう仕掛けで吹いてるの???』 と次々に疑問が湧いてきます。特に、モーツアルトやシュターミッツのコンチェルトの第3楽章のようなスタッカートの連続ではタンギングがきつ過ぎるのかキョ、キョ、キョというように聞こえます。もっと驚くべきことは、シュターミッツの「2本のクラのためのコンチェルト」の2ndクラが全く同じ音色とアーティキュレーションであること。でも、ハモリを聞いている内に、これはこれでいいんじゃないかと思うから不思議です。

いや待てよ、この音どこかで聞いたことがあるぞ』と古いレコードを引っぱり出して聴いてみると、ありました。年がばれるので何年前とは言いませんが、スプラフォンの 25cm(!)LP。 カレル・シェイナ指揮、チェコフィルハーモニーの「田園」です(名演)。中学生時代、クラのソロがカッコ良くて擦り切れるほど聴いたものです。あらためて聞いてみると、ゆるやかなヴィブラートもキョ、キョ、キョも瓜二つ!チェコ・スロヴァキアの音は健在でした。
ここからは全くの推理ですが・・・
ある業者が廉価盤のCDを作って一儲けをたくらんだ。白羽の矢を立てたのがギャラが安い東欧はスロヴァキアのオケ。ソリストを頼むとコストが上がるので、クラの首席をソリストに。この人、この国では有名なクラ界の大御所で、スロヴァキアのハッポ先生と呼ばれている。常々チェコが国際化し、クラの音も無個性化してしまったことを嘆いています。2ndクラは強力なコネで入った彼の弟子。オケのメンバーは、彼の多分一度限りのチャンスに心から声援を送っています。録音は無情にも1回限りで録り直しは無し(編集するとカネ掛かるから)。マイクやレコーダーは「テポドンスキー」という(勿論)安物です。ちょっとうがち過ぎかしらん? 誰かルプタチクを知らないか?1,500円でこんなに楽しめるCDを私は知らない。
 
謎が解けた

ONYX CLASSIX Weber
Clarinet Concerto No.2
Oberon Overture

ウェーバーと言えば、、、

先日、通勤途中のJR駅のKIOSKで、1枚五百円で売られているCDの中に、ウェーバーのクラリネット協奏曲第2番を見つけた。ウェーバーの2番と言えば、今でこそ学生コンクールの課題曲レベルの曲だが、かつて(相当にかつて)レコードでイギリスの名手、ジェルバーズ・ド・ペイエの演奏に聞き惚れたGmにとって、何時かは吹いてみたいと思った憧れの曲であった。見つければ買ってしまうので、持っているレコードやCDは10種を下らないであろう。

このCD、オニックスというレーベルのクラシック作曲家シリーズの中の1枚「ウェーバー」で、紙切れ1枚のカバーにはスラブ地方とおぼしきオケ名と指揮者名は書かれているのに可哀想にも肝心のクラリネット奏者の名前が記載されていない。もっともこの手の廉価盤シリーズ、相当怪しく、演奏者名が書いてあるからと言って実在するとは限らないという代物らしい。

さて演奏の方は、ソリストがかのルプタチク先生よりは余程のテクニシャンでなかなか聞かせる。第3楽章のポルカも快調なテンポで始まり、コーダの難所も委細構わず吹き飛ばしている。『He,He,Donnamondai!』というスロヴァキア語?が聞こえてくるようだ。(スロヴァキアのOn君か?)オケも出だしからやる気満々で、良くソリストを盛り立てているが、合わせが足りなかったのか、指揮者が下手なのか、時にソロと抜きつ抜かれつのバトルを展開する。

クラの音色は一言でいえば金属的で、特に高音域ではやや開き気味の印象だが、常時緩やかなビブラートがつき、レガートや弱音は弦に溶け入るようで美しい。聴き慣れる従い、これも結構良いかも知れないと思わせるところはイギリスのクラと同じだ。ただ、スタッカートが単調で全体にきつめだったり、音程が微妙にアブナかったりするのはチェコ・スロヴァキア方面のクラの共通項かも知れない。どんな楽器をどんな仕掛けで吹いているのだろうかと興味は尽きないが、世界中のクラが同じような音色に塗りつぶされていく中で、今ではめったにお耳にかかれない音色ではある。

それにしても、このオニックスのクラシック作曲家シリーズとやら、ウェーバーと言えば「魔弾の射手」でも「舞踏への勧誘」でもなく、「クラリネット・コンチェルト第2番」!という潔さがたまらない。なぜか他の作曲家の選曲は常識的で、グリーグは「ペールギュント組曲」だったり、スメタナは「モルダウ」だったりするのだが・・・。もし、このCDでクラシック通になったつもりの人がいて『そりゃーもう、ウェーバーはクラコンの2番にトドメを刺すね!』なんて言ったら・・・案外尊敬されるかも。

余談だが、同時に購入したC・シュターミッツ。クラリネット4重奏と書いてあったのだが聞いてみると、何とオーボエ4重奏であった。KIOSKは永遠のアメージング・ワールドである。


「陽のあたる教室」(1995年、米)

ラング知事の思いやり

この映画の原題は「Mr. Holland's Opus」。その意味するところは感動的なラスト・シーンで明かされる。

時はアメリカ激動の1960年代。リチャード・ドレイフィス扮するホランド先生は作曲家志望だが、生活安定のために高校の音楽教師になる。そこで待ち受けていたのは、やる気のない生徒達と、どん下手くそなオーケストラ。当初は授業の合間に作曲でもしようなどと甘い考えを持っていたホランド先生だったが、次第に生徒に音楽の素晴らしさを教えようと夢中になっていく。

そこで登場するのがクラリネットを吹くラングちゃんという可憐な少女。3年もやっているのにリードミスの連発である。ホランド先生は彼女に特訓をほどこすのだが、その練習曲というのが、英のジャズ・クラリネット奏者、アッカー・ビルクが吹いて当時一世を風靡した"白い渚のブルース"。下のソのオクターブ跳躍から始まるフィンガリングも正しい。クラリネットはプラ管で、当然のごとくベーム式。サイドキイの形状からしてノブレかバンディーあたりだろう。『楽譜に頼らず目をつむって吹いてごらん。音楽は心で奏でるものだよ。』と教えると、あーら不思議、リードミスはどこへやら急にジャジーに吹けちゃったりするのである。お試しあれ。

話を端折って30年後。教育予算の削減で音楽の授業が無くなり、ホランド先生は突如学校から解雇される羽目に。そして学校を去る最後の日、講堂にかつての教え子たちが押し寄せ、お別れパーティーが開かれる。そこで壇上に立ち演説するのが、今や州知事にまで登りつめたラングおばさんだ。『先生は今、作曲家としての富も名声も無いけれど(ほっとけ!)、音楽を通じて私たち教え子をより良い人間に育ててくれました。ここに集まった一人一人こそが先生の作品(Opus)なのです。』そして卒業生で編成する大オーケストラが、ホランド先生作曲の「アメリカ交響曲」を盛大に演奏して幕を閉じる。

「ミュージック・オブ・ハート」などとも通じるやはりどことなくアメリカンな映画ではあるが、耳に障害を持って生まれた息子との確執や、特訓のお陰で卒業できた大太鼓奏者のベトナムでの戦死、歌手志望の女生徒との淡い恋などを織り交ぜて、それなりの深みを感じさせる名画に仕上がっている。それにしてもラングおばさん、州知事だったら教育予算を復活してあげなよー!と思ったのは私だけでしょうか?

(2004/9/20 by Gm)

「安らぎの音楽と自然」シリーズ7「クラリネット」

山下教授の陰謀

先日、JR新横浜駅構内のショップで興味深いCDを買った。J-MUSIC Tokyoというところから発売されているこのCDは「世界リラクゼーション協会」の山下教授という方が監修された権威ある?ものらしいが、「楽器と自然の音との語らい」というサブタイトル通り、曲の前後に波の音や鳥の声、小川のせせらぎなどが収録されていて、聴くほどに心と体がリラックスし癒されるのだそうだ。

収録曲は全部で10曲あるように書かれているが、実際は1曲目と2曲目が同じモーツァルトのクラ五の1,2楽章。3と4はモーツァルトのクラコンの1,2楽章。7と8はブラームスのクラリネットソナタ第2番の1楽章と3楽章である。しかも、ほとんどの曲が演奏途中でフェードアウトして波間に消えていくという趣向になっていることを先ず承知しておく必要がある。だからモーツァルトのクラコン第1楽章など前奏が延々と長いので、クラのソロが出てくると間もなくフェードアウトというようなことになるが、そんな事位で腹を立ててはいけない。それと、このCDは潮騒の音から始まるので、音量が低いと勘違いして思いっきりボリュームを上げちゃうと、後で鼓膜が破れそうになるので要注意。

さて、このCDの特筆すべき点は、選曲と演奏者にある。

まず、上に挙げたクラリネットの有名定番曲以外の選曲がかなりユニークだ。プーランクの「クラリネットとファゴットのためのソナタ」、シュポア「クラリネット協奏曲第1番第2楽章」、ロブレッリョ「椿姫の主題による幻想曲」というマニアックな曲が選ばれている。プーランクを聴いたのは初めてだったが(つまらないけど)、山下教授は余程のクラリネットオタクに違いない。

そして、演奏者にも謎が多い。カバーによれば、オケは「イギリス・フィルハーモニー」、「ボストン・シンフォニック」、クラは「レジナルド・ケル」(古〜い!)、「ジェルバーズ・ド・ペイエ」他となっているのだが、例によって廉価版CDの表記はにわかに信じがたい。第一、そんな名前のオケは2つとも聞いたことがないし、ケルもド・ペイエもイギリスの奏者なのに、モーツァルトのクラ五とクラコン、ブラームスのクラ五は、明らかにドイツ管の音色だ。(と言うよりウィーン管か?音色に加え、エーラー式はキー・ノイズが大きいので耳を澄ませばすぐそれと判る)

曲ごとにそのエーラー吹きが誰なのかを詮索するのも一興だが、このCDの最大の聞き物は実はベーム・クラにある。と言うのは、今では中々聴けない元ロンドン交響楽団の名首席奏者、ド・ペイエの演奏が素晴らしいからだ。ブラームスのソナタとシュポアは紛れも無く往年の彼の演奏。ゆるやかなヴィブラートがかかった明るい音色と、キレの良いテクニックはド・ペイエならではのものだろう。一歩間違えばムードジャズ・クラリネットにも聞こえかねないその音色は、ドイツ物にはやや違和感を覚えるけれど、メロディックで技巧的な「椿姫幻想曲」では彼の天分と美質が遺憾なく発揮されている。やった人は分かるだろうが、同じヴェルディの主題を元にしたバッシの「リゴレット幻想曲」に比べても速くやるのは格段に難しい。ド・ペイエがこんな曲を録音しているとはつゆ知らず初めて聴いて驚嘆した。随所で見せるその"耳にも止まらぬ速さ"と言ったら、、唖然である。

リラックスどころか眠気も醒めるようなこの演奏が、なぜCDも終盤の9曲目に位置しているのか?恐らくは心理学的に深〜いワケがあるに違いない。幸いなことに、この曲だけは水中に没することなく完全に収録されている。この演奏だけで購入代金1,200円也の価値ありと言っても過言ではなかろう。しかもモーツァルトの五重奏、クラコンと、ブラームスの五重奏の演奏は、恐らくウィーンの一流演奏家達による格調高いものばかりで、例えばモツ五のクラは間違いなくボスコ、、、

しまった!いつの間にか山下教授の術中にハマってしまったらしい。

(2004/10/30 by Gm)

1
ビヨンド・サイレンス(1997年、ドイツ)
97年東京国際映画祭グランプリ・最優秀脚本賞受賞作品

98年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品

エーラーを超えて


「ビヨンド・サイレンス」という映画をご覧になっただろうか。「静寂を超えて」というほどの意味だろうが、珍しくクラリネットが準主役級の映画である。

舞台は南ドイツ、ミュンヘン。聾(ろう)の両親に育てられているララという女の子がクリスマスに叔母さんから1本のクラリネットをプレゼントされる。めきめきと上達し演奏家を目指そうとするララと、それを励ましつつも今までの平和で静寂な世界から音のある世界に旅立ってしまう娘を複雑な気持ちで見守る両親という設定である。

肉親への愛と自立への欲求、ララは心の葛藤を克服しながら逞しく成長していく。決して派手さは無いが、美しい映像と音楽によって観終わった後、深い感動に誘われる映画である。TVのメロドラマを幼いララが手話で母親に同時通訳するシーンが可笑しい 。

ララがその演奏に感動し、演奏家になる決意をする場面でクラリネットを吹いているのは特別出演のギオラ・ファイドマン。今や伝説的なユダヤ音楽の名手で、独特のむせび泣くような音と演奏は彼ならではのものだろう。(元イスラエル・フィルの首席だったとか)彼のアドヴァイスによるものか、映画の中でララは管体にスワブを通したり、トーンホールに溜まった水を息で飛ばしたり、リガチャーを締め直したりしてリアリティーを高めている。少女時代と成人してからと2人の女優がララ役を務めていて、クラリネットに関してはどちらも全くの初心者だったそうだが、アンブシュアといいフィンガリングといい、とてもそうは見えないのはさすがだ。

さて、ホルツ的観点から見て実に残念なのは、ドイツ映画でありながら使用されているクラリネットがS社製のベーム式であること。ミュンヘンよお前もか!と叫びたいところだが、ドイツ本国においても教育現場を中心にエーラー式のクラリネットはベーム式に駆逐されつつあるようだ。この映画、世界的にかなりのロングランを記録したというだけに、もしララがエーラー式のクラリネットを吹いていてくれれば、その退潮に幾ばくかの歯止めが掛けられたのではと思うのは、極東の一エーラー吹きの感傷に過ぎないのだろう。