日頃愛読しているブラームス作品を論じた日本の有名な音楽書の中にこんな一節があり、ずっと気になっていた。
ブラームスがミュールフェルトから刺激を受けてクラリネット五重奏曲を書いたというくだりである。
<<・・・もっとも、ブラームスがクラリネット五重奏曲を書こうという気になったのは、このときが初めてではなくて、すでに1888年末のクララ・シューマンへの手紙に、ホ短調の「灰色がかったクラリネット五重奏曲」のことが記されている。しかしもちろん、これは陽の光を見るにはいたらなかった。そいうことで、これがのちのクラリネット五重奏曲と具体的にどのような関係にあるのかは明らかではない。>>
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わしゃ知らんね、そんな曲 |
この本の筆者は1891年にブラームスとミュールフェルトが出会ったという認識だから、「何もミュールフェルトに出会ったからじゃなくて、もっと以前からクラリネット五重奏曲を書くつもりだったんだよ」と言いたいのだろう。
だが、待って欲しい。ミュールフェルトがマイニンゲン宮廷楽団の首席クラリネット奏者に就任したのは1876だ。ブラームスは1881年から、友人のハンス・フォン・ビューローが指揮するマイニンゲン宮廷楽団を度々訪れ、1884年にはヨーロッパ各地を一緒に演奏旅行までして、とっくの昔からミュールフェルトを知っていたのだ。
だから、ブラームスが「あの優秀な若者(ミュールフェルト:1881年当時25歳)のために、モーツァルトのような、(或いはモーツァルトを凌ぐ・・・短調で書けばいけるかも!)クラリネット五重奏曲を書いてやろう」という野心を持っていたとして何の不思議もない。
人は理由(わけ)もなく曲を書かない。曲を書くには「動機」が必要なのだ。この「灰色がかったクラリネット五重奏曲」こそ、3年後の1891年に完成をみた不朽の名作、「クラリネット五重奏曲ロ短調作品115」の原型だったに違いないのである。
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問題の箇所には誰かによって下線が引かれていた |
それにしても「灰色がかった」とはどういう意味だろう?短調でちょっと暗いということか?色彩が乏しいということか?そもそも自分の曲をそんな風に表現するだろうか?
ブラームスはそれまでに灰色がかったどころか灰色以上の曲だって山ほど書いているというのに、、。
そこで「1888年末のクララ・シューマンへの手紙」をハンブルク大学音楽学研究所の図書室で探してみた。
1888年12月14日、ウィーンからクララに宛てた手紙の中にそれはあった。二人は年明け早々に、クララが住むフランクフルトで開催される室内楽コンサート(ブラームス・アーベント)で演奏するべき曲目とその順序を論じているのだ。(ブラームスの手紙にはやや不遜な態度が窺える)。
Das grausame Klarinetten-Quintett ginge ja keinenfalls.
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クラリネット五重奏曲に付けられた形容詞grausam(グラウザーム)の語源はgrau(グラウ:灰色:グレー)から来てはいるが、残酷な、恐ろしい、という意味で、そこから転じてvery badという意味なのだ。灰色がかった、灰色っぽい、にはgraulich(グラウリッヒ)またはgräulich(グロイリッヒ)というれっきとした別の形容詞がある。
だからここの文意は、「あのひどいクラリネット五重奏曲は(コンサートには)全く不適当です」ということになる。語学学校の先生や図書館員など3人のドイツ人に確認したから「灰色がかった」は誤訳と言われてもしかたがない。
それがどれほどひどい曲だったのか、それとも単にブラームスらしい自虐的な謙遜の表現だったのか、今となっては知るすべはない。だが、はっきり言えることは、Das(あの、その)という定冠詞が付されたクラリネット五重奏曲が、1888年末にはクララはじめコンサート主催者には周知の「完成された作品」として存在していたという事実と、クララはそれをブラームス・アーベントで演奏するに値する曲と認めていたらしいという推論である。
ホ短調という調性も興味深い。なぜそれがホ短調だと分かるかというと、ブラームスは、先の手紙が余りにぶっきらぼうだと返信でクララからしかられ、12月22日付けの手紙で弁明した上、もう一度コンサートに対する自分の希望を説明する羽目になったのだ。
Anfangen kann man nicht gut mit der Sonate, und das Emoll-Quintett paßt
nicht gut ins Programm.
「(コンサートを)あのソナタで開始するのは良くありませんし、あのホ短調の五重奏曲は、プログラムに相応しくありません」
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私はノーコメントということに、、、 |
クララさんありがとう!!!
ホ短調ということは♯が一つだ。B管で吹けば♯が三つになるが、ドイツ管に限らずクラリネットの性能からみてあり得ない調性だ。当然作曲に際しては、ミュールフェルトからクラリネットに関する様々なレクチャーやアドヴァイスを受けているはず。モーツァルトのクラリネット五重奏曲もA管(イ長調)だし、ほぼ同時期に完成されたと言われているブラームスのクラリネット三重奏曲(イ短調)もA管だから、この五重奏曲もA管を念頭に置いて書かれていたとみてまず間違いないだろう。
ホ短調をA管で吹けば♭が二つ(ト短調)。ブラームスは、後年クラリネットソナタ第1番(ヘ短調)で実現したアイデア、<<(クラリネットが)ト短調で始まり、ト長調に解決する>>を、まず最初にこのホ短調のクラリネット五重奏曲で試みようとしたのだ。それが最終的に現在のロ短調に落ち着いたのは、クラリネットソナタ第2番(変ホ長調)同様、♭を一つ(B管で二短調⇔ヘ長調)にした方が、クラリネットの幅広い音域(記譜:最低音Eから一番上のGまで)と、音の色彩感をより遺憾なく発揮できると考えたからではないだろうか?
このホ短調のクラリネット五重奏曲を聴いてみたい気もするが、ブラームスが不出来だとして破棄した曲をあれこれ詮索しないのも、ブラームス・ファンたるマナーかも知れない。
(2010.02.25 Last Update 2019.05.13 by Gm)
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ドイツからの反論 |
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