シュトルク教授の反論 幻のクラ五の謎を解く論文とは? |
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日本ブラームス協会の会誌「赤いはりねずみ第38号(2010年11月27日発行)」に寄稿した拙文「ハンブルクで考えたこと」のある部分に対し、ドイツのキール大学音楽研究所、ミヒャエル・シュトルク教授(Dr.Michael Struck)より事務局宛に反論が寄せられた。
それは、ブラームスのホ短調のクラリネット五重奏曲に関する部分であり、S教授は日本語は読めないものの、日本から郵送されてきた会誌の記事の中にブラームスの手紙の一節が原文で引用されていたので、何が書かれているかピンと来たらしい。これはこれですごいことではある。
S教授の論旨は2つ。
まず、1888/12/14付クララ宛の手紙で言及されているgrausameな五重奏曲は、クラリネット五重奏ではなく、ピアノ五重奏曲であること。これは、
ブラームスの手紙にあったCl.Qtettを、現代表記でKlavier Quintettと解すべきなのに、Klarinette Quintettと訳出してしまったことに起因する。
また、その調性も、筆跡からホ短調(e-moll)ではなく、ヘ短調(f-moll)であること。よってその五重奏曲は作品34のピアノ五重奏曲ヘ短調と推認できる。(註:ピアノ五重奏曲はヘ短調の1曲のみ)
どちらも手紙を編纂したベルトルト・リッツマン(Berthold Litzmann 1857-1926)の誤読が原因で、これらのミスがそのまま出版されたことによって、後世のブラームス研究をミスリードすることになったと言うのだ。
それが本当なら(Gmにとっては)寝耳に水の大事件だ。だが、そんな初歩的なミスを、高名な音楽学者として知られるベルトルト・リッツマン(キール大学教授も務めた)が犯すだろうか?そこでS教授に直接メールで問い合わせてみた。
質問と回答は以下の通り。
Q1.ブラームス直筆の手紙はどこでお読みになりましたか?
A1.ベルリン州立図書館(Stattsbibliothek zu Berlin)
Q2.私もその手紙を閲覧できますか?あるいはその部分の写真をお持ちですか?
A2.ベルリン州立図書館は関係者にしか閲覧を許可しなかったので、コピーを貴君に送ることはできません。
ですが、あなたの個人的な知識として問題の箇所だけ添付してあげます。ですから公にはしないでください。
(二通の手紙の当該部分が添付されてきた)
Q3.なぜブラームスはKl Quintettと書かずにCl Quintettと書いたのでしょう?それが普通でしたか?
A3.ブラームスはしばしばKlavierをClavierまたは単にCl.という略語で書きました。なお、作品76,118,119の出版楽譜にもClavierstückeと書いてあります。
Q4.f-mollというブラームスの筆跡に間違いはありませんか?
A4. はい(コピーを見なさい)間違いなくf-mollです。さらにヒントをあげましょう。ブラームスはfmollと書いた後アンダーラインを引きました。それは(演奏会で実際に演奏された)作品88のヘ長調の弦楽五重奏曲と区別するためなのです。
後は、1988年にS教授が書いた研究論文で詳しく論じているから是非読んでほしいこと。1891年以前にクラリネット五重奏曲があったとする幻想が残っていることが残念でならない、ということが書き添えてあった。
「俺が20年以上も前に論文で指摘したのに、日本には未だありもしないホ短調のクラ五なんかを信じてるディレッタントがいるのかよー」といった、ちょっと上から目線が気になるが、世界各地の大学図書館や研究所に所蔵されているリッツマンの書簡集の間違いを正したいのなら、論文を一度学会に提出したくらいではとても太刀打ちできまい。第一、どうやって一般人がその論文を入手できるのか?自説を広く喧伝したいならせめて(日本語でとは言わないから)ネットに上げるか、メール添付で送ってほしい。
“1888年12月に、クララとブラームスは、翌年1月にフランクフルトで開催される室内楽演奏会(ブラームス・アーベント)の開始曲について手紙でやりとりしていました。クララがピアノ五重奏曲へ短調(作品34)はどうかしら?と尋ねました。するとブラームスは、「あんなgrausame(短調で陰気)な五重奏曲はプログラムには全く相応しくない」と言い張り、結局、開始曲はへ長調の弦楽五重奏曲第1番になりました”ということだ。
今回、鍵を握るブラームスの筆跡を、S教授にしかられるのを承知で上記2部分のみ転載した。論より証拠を示さなければ定説に挑むのは容易ではないし、何より、ブラームスの手紙は、ベルリン州立図書館のものでもS教授のものでもなく、ブラームスの真実に迫りたい世界中の音楽愛好家共通の財産だと信じるからだ。
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