エーラーさんのこと | ||||||
おかげさまで幸せです |
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エーラーさんに関する情報は少ないですが、故パメラ・ウェストン(Pamela Weston)女史の著作「More Clarinet Virtuosi of the Past」によれば、エーラーさんは15歳でオルガン製作者のもとへ奉公に出、その技術者として各地を旅する傍らミュンヘンのCarl BaermannやカッセルのA.Neff等、当時の一流奏者からクラリネットに関する知識を習得したそうです。きっと根っからの職人さんだったのでしょう。 WeideやHalle等のオーケストラに在籍した後、1881年にハンブルクのラウベ管弦楽団に入団、翌1882年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の設立発起人の一人となり、1888年までクラリネットの首席奏者を務めました。
たいそうプライドが高く気難しい人だったらしく、1887年に、かのミュールフェルトが在籍していたマイニンゲン宮廷オーケストラからベルリン・フィルの初代常任指揮者に迎えられたハンス・フォン・ビューローに対し、自分に対する口の利き方が気に入らないという理由でクラリネットを投げつけ負傷させたという武勇伝?が伝えられています。
ミューラー式やベールマン式クラリネットを元にしながら、クラリネット奏者ならではの改良を全面的に加え、ついには、特許「エーラー・メカニック」を備えた、22鍵と5リングキイのエーラー式クラリネットを考案したのです。これによる音程・音色の向上は目覚しく、現在でもドイツのプロオーケストラでは、エーラー式がクラリネットのスタンダードとなっています。 (2005.10.01 last revised 2011.05.18 by Gm) |