ブラームスの真実 |
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赤いはりねずみ第39号巻頭言 |
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伝記を数冊読んだ私は、ブラームスの生い立ちを少しは知っているつもりだった。かいつまんで言えば、ハンブルクの貧民街に生まれたブラームスは、教育熱心な両親と名ピアノ教師の指導のもとで音楽的天分を開花させ、少年時代から居酒屋でピアノを弾いては家計を助けていた、というものだ。だが、これらの幾つかが事実ではなかったとしたら?
過日「名曲探偵アマデウス」というNHKのTV番組で、ブラームス晩年のクラリネットソナタ第1番が取り上げられた。番組によれば、ブラームスは書きあげたソナタの楽譜をクララに送り、「ここに私の作品1が出てきたのにお気づきですか?蛇が尻尾を噛んで輪は閉じられたのです」と手紙に書いた。それはクララと初めて出会った時に弾いたピアノソナタ第1番と同じテーマが、クラリネットソナタの冒頭に繰り返されているからだ。ブラームスは人生の最後に、クララへの愛と感謝の気持ちを改めて伝えたかったのだ、とのことだった。美しい話ではある。それが事実だとすればだが。 内容に疑問を抱いた私は、番組宛にメールで、「ソナタの楽譜をクララに送ったとする根拠は何か?作品1が出てくるというのは、クラリネットソナタではなくドイツ民謡集の終曲(ひそかに月は昇る)のことではないか?」と問い合わせた。その返事は驚いたことに、「楽譜を送った事実は確認出来なかった。手紙の内容もご指摘通りなので、再放送では誤解されないよう編集します」だった。 だが、私も他人のことは言えない。「赤いはりねずみ」38号の拙稿83ページの記述に対し、キール大学のDr. Michael Struck氏から異議が唱えられたのだ。氏によれば、ブラームスが「ひどい曲」と言ったのはピアノ五重奏曲。調性もfmollで、これらは「書簡集」を編纂したベルトルト・リッツマンの誤読が原因だというのである。 原書にも重大な誤りがあるなら、ブラームスの真実に迫るのは容易なことではない。 |
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(2011.12.05 by Gm) |