第5章 エーラーの美学




 エーラーは美しい。ベームと並べて見た時、特にそう感じます。均整の取れた全体のフォルム、機能美と優雅さを併せ持つキイの造形は見る者を魅了せずにはおきません。
ベームよりも遙かに多くのキイを、操作性の制約から来る限られたスペースの中で互いに干渉させることなく配置し、更にそれらを精密に連絡しなければならないというエーラーの宿命が生み出す理詰めの美しさ。それは極限まで無駄を殺ぎ落とされた武器が、緊張感の中に一種の優美さを醸し出すのに似ています。
エーラーのキイはとても不思議な形をしていますが、どれ1つとして意味の無いものはありません。

では、その美しさのほんの一端をご紹介しょう。

ティア・ドロップ ベームに比べ実に大きく立派なcis/gis キイから、涙のような丸い突起が飛び出ています。 これは左手小指ばかりでなく、より運動性が高い右手人差し指でもcis/gisキイを押さえることを可能にする仕掛けです。 めったにこの恩恵に浴することはありませんが、ウェーバーのコンチェルティーノ、2番コンチェルトやグランド・デュオ等のコーダでは絶大な威力を発揮します。

古典のコンチェルトはクラリネットの幅広い音域をアピールするため、約半数がへ長調(実音変ホ長調)で書かれていますが、 案外この仕掛けの本当の目的は、最高音ファの前に置かれた導音ミのトリルを右手人差し指で派手にやっつけ、 聴衆の喝采を博するためではなかったかと考えるのは邪推でしょうか?

ブロークン・ハート FとE♭の替え指用のキイがペアで可愛らしいハートの形をしています。 左手小指で押さえますが、どちらもとても小さい上にめったに使うことがないので、たまに使おうとすると目測?を誤ってミスをすることになります。
より多く使うのは上にあるFキイの方で、早いパッセージにおける右手中指と薬指の頻繁な交代を助けてくれますが、ブラームス1番シンフォニー第1楽章138小節からのソロでライスターがこのFキイを使った(TVで目撃)例は、 通常のフォークによる指使いよりもレガートなスラーを得るためのものでした。


ハートの片割れであるE♭の方は、付いていない機種も多い位の無くもがなのキイで、C ⇔ E♭を瞬間的に行き来する場合以外使いようが無いように思っていましたが、最近ではむしろとても静かな曲で、右手小指をスライドする時のキイのガチャつきや明瞭な音の移ろいを避ける効果があるのでは?と思うようになりました。


3本のバナナ
第5線上のFの指使いには、上記替え指キイを除けばフォークによるもの(上)と4の指(薬指)を使うもの(下)があります。 どちらを使うかはFの前の音や次の音によって大体決まりますが、微妙に音色や音程も違うので、最終的には奏者の自由裁量に委ねられています。 ですからエーラー吹きは曲を練習しながら音符の上に、ここはフォーク(○印)、 ここはキイ(4) と書き込みをしていきます。4は親指から4番目の指(薬指)という意味です。

楽譜によっては監修者が予めマークを付している物もありますが、エチュードならまだしもこれは余計なおせっかい。 話がそれましたが、この4番キイ、形がバナナにそっくりなので通称「バナナ・キイ」と呼ばれています。よく見ると上管にもちょっと小ぶりな2本のバナナの実がなっているのが判りますね。
これらはこのキイの下にある音孔から指を摺り上げたり、逆にキイから下の音孔へ指を滑らせるたりするのに便利なように、 丸く平たく造られたと思われます。 勿論今ではそんなことをする必要はありませんが、きっとクラリネットにキイが少なかった時代の名残りなのでしょう。
げに、エーラーにはクラリネットの歴史がそこここに刻み込まれているのです。

(last revised 2019.02.28 by Gm)









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バナナキイの恩恵