文句の多い日記帳 by 意地悪Gさん
 
  

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2016年12月29日(木)
10日の会
今年「10日の会」で演奏した曲は、マルティヌー「ソナチネ」、シューマン「序奏とアレグロ」、「おとぎの絵本(クラリネット版)」、ミヨー「スカラムーシュ」、プーランク「ソナタ」、ショーソン「アンダンテとアレグロ」、ウェーバー「コンチェルティーノ」、キュフナー「序奏、主題と変奏」、メンデルスゾーン「ソナタ」の9曲だった。
マルティヌーとショーソンは、エーラーの難敵として敬遠してきた曲だが、苦手とする箇所も1ヶ月間、毎日のようにさらっていれば、(会心の出来ではないにしてもw)何とかなるものである。

 
 皆さん1年間お疲れさまでした!来年も頑張りましょう!
「10日の会」はもう15年続いている。前身である「20日の会」と合わせれば、かれこれ20年以上、毎月1曲、参加メンバーの前で演奏してきたことになる。
1年で12曲だから、20年で240曲。1曲を2ヶ月に分けて演奏したり、以前やった曲に再挑戦することもあるから、ざっと半分としても優に100曲を超える。

この会に参加する以前は、クラリネットの曲といえば、モーツァルト、ウェーバー、シューマン、ブラームス、サン・サーンス、ドビュッシー、プーランクくらいしか知らなかったが、メンバーの演奏を聴いたり、自分の演奏曲を探したりしている内に、その何倍もの名曲があることを知った。
クルーセルやフィンジのコンチェルト、ヒンデミットやニーノ・ロータやホロヴィッツのソナタ、ポール・リードやブルグミュラー、レーガーやマンガーニなどの小品を知らずにいたら、何と勿体ないことだったろう。メンバーから受ける様々な刺激を糧として、これからも技術の向上に努めたい。 
2016年12月7日(水)
オケ老人は見た
いまアマオケ団員の間で話が持ち切りなのが、先月封切りされた映画「オケ老人」。
 

大まかなあらすじは、、、主人公である若い高校教師、小山千鶴(杏)が梅が岡フィルハーモニー(「梅フィル」)の演奏に感激し、中断していたヴァイオリンを再開。「梅フィル」のつもりが間違って梅が岡交響楽団(「梅響」)に入団してしまう。そこは老人の社交場と化した最底レベルのオケだった。
「梅フィル」は「梅響」から上手い団員が一斉に脱退して結成されたオケだったのだ。当然、両者は犬猿の仲。
小山は何度か「梅響」退団を試みるも、慰留されている内に何とか「梅フィル」のオーディションに合格。ところが入ってみると、憧れの「梅フィル」は、下手な団員に容赦ない地獄のオケだった。
「梅響」こそ自分の居場所と決めた小山は、指揮者となって老団員たちを叱咤激励しながら猛特訓。レベル向上と共に団員も増え、遂に梅が岡公会堂でコンサートを開くまでになる。
コンサートの当日、「威風堂々」を演奏中に落雷で全館停電。
だが、練習を重ねてきた団員たちは怯むことなく暗譜で感動的な演奏を成し遂げる、というお話。
「梅が岡」という地名は、明らかに世田谷区の「梅ヶ丘」をもじっていてる。

ポスターにあるメインプログラム「田園」の演奏シーンが全くないとか、メンバーがいない楽器の音が聞こえるとか、オケ老人を絵に描いたようなGmから見れば突っ込みどころ満載だが、「オケ老人」の原作者、荒木源氏自身がアマオケ団員(コントラバス?)であることから、着眼点が実に面白い。

まず、同じ地域にフィルと交響楽団の二つがある所は多い。新宿交響楽団と新宿フィル、中央フィルと中央区交響楽団、西東京フィルと西東京交響楽団といった具合で、私が所属する世田谷フィルも、かつて存在していた世田谷交響楽団といまだに混同されている。
これに○○管弦楽団や、○○アンサンブルが加わるとさらに複雑だ。何しろ都内だけでも400団体以上あるようだから、被らない名前を付けるのも一苦労である。

 
 新世界のコール・アングレはヨーゼフが提供

また、分裂騒ぎも珍しくない。ほとんどが、「人に聴かせる以上、合奏精度を高めるべき」という技術向上派と、「アマチュアなんだから、楽しければいいじゃん」という和気藹々派の対立によって引き起こされる。練習を早めに切り上げて飲み会に突入する「梅響」は、後者の典型として描かれている。分裂後の両団体は、だいたい映画のように仲が悪いが、互いにスタッフを出し合って定期演奏会の運営を手伝っている例もある。

楽器編成の問題もある。「梅響」のヴァイオリンは、突然昇天してしまったおじいちゃんと、指揮者に転向した主人公のお陰で、天然ボケのおばあちゃん一人になってしまった。ヴィオラもコンバスもなし。後は「顔だけじゃん」のチェロが一人だけなので、どうやってオケの体裁を整えるのか?映画の中の話とはいえ心配になった。
弦の慢性的不足と管の供給過多はアマオケ共通の課題だ。どこのオケも弦楽器は常時募集しているのに対し、トランペット、フルート、クラリネットの募集はほとんどないから、これら再就職困難奏者は、一度手に入れたポジションを決して手放そうとしない。

次は選曲。演奏会で何をやるかは団員の最大関心事だ。映画では、次は「第九」とか、ニールセンの「不滅」とか言って盛り上がっていたが、オケの実力や楽器編成を無視して発言する輩は必ずいる。特に金管奏者は、普段活躍する場が少ない反動で大曲志向が甚だしい。「同じ団費を払っているんだから」という大義名分に手を焼いて、トロンボーンやチューバは正団員にしない、というオケもある。結局、団員から希望曲アンケートを取るが、どこで誰が決めたか分からぬままある日突然発表される、というのが通例である。

 
 大根クラリネットの監修は十亀先生
でもなぜ練習場に大根と包丁が?

なお、映画には出てこないが、管楽器の厄介な問題としてローテーションがある。誰がどの曲のどこを吹くかである。誰しもカッコいいソロを吹きたいと思うが、その決定が不透明で恣意的だとメンバーに不満が鬱積する。以前在籍していたオケでは、古株のパートリーダーが吹きたい曲を勝手に決めていた。そこで、他のメンバーと共謀し、曲を選ぶ優先権を平等に持ち回る方式を考案して飲ませたことがあった。

このローテーション問題は弦楽器にもあるようだ。特にヴァイオリンに多いらしいが、ファースト(ストバイ)かセカンド(セコバイ)か?前から何プルト目のどっち側(内/外)で演奏するか?更には「あの人の隣で弾きたい」とか、逆に「あの人の隣では弾きたくない」というのもあって、ある意味管楽器より複雑かつ陰湿だそうだ。

アマオケは人間の集合体だから、会社や官公庁や学校のクラスと本質的に変わりはない。
いじめや差別もあるだろう。セクハラやパワハラも起きがちだ。だが、ここでは名刺の肩書や社会的地位は通用しない。老若男女、誰もが音楽が好き、演奏が好きという一点で繋がっている。心から打ち解け合える音楽仲間との出会いは、何物にも代えがたい喜びだ。
だからオケ老人は今日もいそいそとオケ練に行く。

2016年11月12日(土)
エイリアンの弁明
ドイツのメジャーオケで、一人だけベームを吹いている奏者がいるとは聞いていた。
そのご本人に先日、銀座山野楽器で会ったので、ベームを吹く理由を尋ねることができた。

 
MK-11のキイはまるでエーラー式のよう 
名前はディルク・アルトマン(Dirk Altmann)さん。ドイツ・ハノーファー生まれの51歳。カラヤン・アカデミーに学び、19歳の若さでシュツットガルト放送響に入団。以来30年以上首席の座にある逸材である。

氏が吹く楽器は、日本のヨーゼフMK-11という機種。実に精密な造りで、新機軸も満載。ヨーゼフはオーボエのメーカーと思っていたが、5、6年前からクラリネットの開発も始め、エーラー式も試作しているそうだ。

さて、挨拶もそこそこに、一番知りたかった「なぜベームを吹くのか?」を訊いた。その答えは意外なものだった。

「もちろん僕は、ずっとエーラーで勉強してきたし、オケのオーディションもエーラーで受けた。入団後、ベームに替えた時は色々と批判もあった。
だけど僕は、様々な時代や国の音楽に興味を持ち、演奏したいと思っている。
近代の曲はベーム式を前提に作曲されているから、エーラーでは対応が難しい。特に現代曲には、フィンガリングを指定してあるものも多い。エーラーだとそれをいちいち書き換えなければならないんだ。」

 
 CDで共演している岡本さんとの息もぴったりだった

「確かに、世界中のクラリネットの音色が似てきているのは大問題だし、ドイツのオケがエーラー式にこだわるのは大事なことだ。でも自分が出したい音は、ここ(心)とここ(頭)にあるので、システムは関係ない。
ドイツのプロオケでベームを吹いているのは、知る限り小さなオケで2、3人だけ。だから僕はドイツではエイリアンなのさ。」と笑う。

うーん、なるほど。。。まずい!なんか説得されそう。一体オレは何から何を守っているのだろう?と自問した。

その後7階ホールでミニコンサートがあった。新発売のCDからのプログラムだったが、ラモー、ピエルネ、ドビュッシー、ケクラン、デュカス、プーランク、ガーシュインなどで、ドイツ物は皆無。達者なテクニックと落ち着いた音色で、フランス物やジャズ作品をとても楽し気に吹くアルトマンさんは、宇宙から降り立つ国を間違えたのかも知れない。

2016年10月15日(土)
New!ヴェルメン
そろそろ楽器の冷えが気になる今日この頃、ヴェルメンに新モデルを追加します。

 
 15cm幅のS(左)と20cm幅のM(右)サイズ
新モデルの大きな特徴は、スマホ用のモバイルバッテリーでパッドを温めること。
現行モデルの専用バッテリーに比べると、温まり方が緩やかで、最高温度はやや低くなりますが、保温持続時間は1時間長い4時間プラスとなります。

市販のモバイルバッテリーを6種類ほど購入して温熱テストを実施した結果、Anker社のAstroE1という機種が最も高性能だったので、これを標準で同梱します。
このバッテリー(黒メッシュケース付き)には本体に4つのインジケーター・ランプが付いているので、充電量や残量がひと目で確認できます。

   
パッドを譜面台に吊るせるようになりました 

また、新モデルには、バッテリーとパッドをつなぐコードの途中にプッシュスイッチがあるので、on/offが手許でできるようになりました。この他にも細かい改良点があります。

当面は同価格(¥26,000)で並行販売しますが、元祖ヴェルメンはあと10セットほどしか作れないので、今後はこの新モデルがヴェルメンとなっていきます。

なお、大久保のイシモリ管楽器さんと、高円寺の永江楽器さんでも取り扱ってくれることになったので、実際に店頭で手に取ってお試しいただけます。

2016年10月4日(火)
もろもろの変化
 
 生後2ヶ月となったマー君です
一ヶ月も更新をサボっている間に色々なことが起きた。
まず、可愛い孫のマー君が娘夫婦の家に移った。お盆から始めた石和の民泊に、3組の外国人観光客が訪れた。クルマをスバルR1からホンダのN-WGN(エヌ・ワゴン)に乗り換えた。デジカメをソニーのWX50からニコンのL28に買い換えた。これらは少しずつ関連しあっている。

 
 オランダからのお客様
孫もできたことだし、何れマー君を乗せて石和へ行くこともあるだろう。が、後ろの座席が無いに等しい今のR1では、どう考えても無茶だ。
それに、記念すべき民泊最初のお客様であったオランダ人ファミリーの荷物は、当然R1には積めず、彼らと荷物を乗せたタクシーを僕が家まで先導することになった。
また、ベルギー人親子の時は、親父が大きな荷物を膝の上に置いたので、後ろの息子たちは家に着くまで狭い隙間に押し潰されていた。

 
 軽とは思えない広さと速さ。実燃費は18km/L
そんなわけで、10年目の車検を前に、ドアが4つあり、荷物もかなり積める軽にしたいと思い、長考の末、ホンダのN-WGNを選んだ。色はコスミック・ブルー。
R1は、エンジンが軽く吹け上がり、静かで、乗り心地も良い車だったが、いかんせん中央高速の上り坂では54馬力の非力を否めず、今回はターボ付き64馬力モデルとした。
ホンダのクルマは初めてだが、ターボの威力は凄まじく、メーターの上限を振り切ることもたやすい。ナンバーは、Gmと孫の名前のミックスだ。
ただ残念なことに、この完璧な送迎車を準備したところで客足がぱったり途絶えたので、まだその実力を発揮できていない。

 
 コブダイみたいでぶさかわいい?
デジカメ変更のきっかけは、オランダ人ファミリーとの記念撮影の時、またしてもWX50のバッテリーが空になっていたこと。一万円を切る価格と、カール・ツァイスのレンズ、世界最小・最軽量が気に入っていたのだが、バッテリーの持ちの悪さが最大の弱点だ。
そこで、単3電池で駆動するニコンのA10という機種をAmazonにオーダーしたのだが、信じ難いことに納期が11月過ぎだという。どうやら、今年4月の熊本大地震で部品工場が被災し、デジカメの心臓部であるイメージセンサーが供給困難に陥っているらしい。各メーカーは、儲けの多い高級機種から調達しているので、安物のコンデジは後回しになっているのだとか。
仕方なく、A10より3年も前のモデルをヤフオクで競り落とした。
デザインや性能はほとんど変わらず、新品同様だったから、結果としてかなり節約できた。
WX50より一回り大きく重くなってしまったが、もうシャッターチャンスを逃すことはなくなるだろう。
2016年8月27日(土)
じじバカ
 
先月末、下の娘が元気な男の子を授かりました。名を真也(まさや)と言います。

幸い安産で、体重は標準でしたが、身長が平均以上なのは、180cm以上あるパパの影響でしょう。顔はママが赤ん坊の頃にそっくりです。

手足と共に指も長いので、末はピアニストかチェリスト(かエーラー吹き)?、スポーツ選手ならバスケットやハンドボール(や水球)?が向いていると思うのですが。。。

むずかっていても、じいじが抱き上げると不思議とおとなしくなり、時に微笑むような顔をするのは気のせいでしょうか?どこか男同士の連帯を感じているのかも。

日ごとに重く、力が強く、表情も豊かになっています。孫はほんと可愛いですね。
2016年8月13日(土)
ドラッカーのメモ
   
パート譜の末尾に記された自筆サイン   往年のスーパースター
ドラッカーと言っても「現代の経営」などを著した経営学者のピーター・ドラッカーではない。
ニューヨークフィルに19歳で入団して以来、クラリネット首席を60年間も務めたスタンリー・ドラッカーのことだ。

現在、あるオケで取り組んでいる「水上の音楽」(ハーティー版)のクラリネットのパート譜に、偶然ドラッカー直筆のサインと、いくつかのメモを発見したのだが、これがなかなか興味深い。

     
 ここはクラの出番だぞ。ラとドは♯を忘れるな  指揮を見ろ!マークはメガネ(僕は目玉にまつ毛)
   
 V.S.(直ぐめくれ)の次の小節の上にさらにTurnの文字。
終わり2小節を円で囲みon top of next pageの書き込み
 次のページの左上欄外に先ほどの2小節を清書。
ドラッカー氏の律儀で几帳面な性格が窺われる
   
クレッシェンドや小節線は定規を使っているようだ。
4Aからは(STRGS ONLY)。僕なら弦と書く所だ
3曲目のブレーは出番ないけど3曲目と4曲目は
アタッカだから気を付けよう 

「水上の音楽」といえば、ヘンデルのオリジナル編成に当然クラリネットは含まれていないが、中学の頃FMで聴いた管弦楽版(ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボー管?)の演奏が実に壮大で、心弾ませるものがあり、ずっと心に残っていた。
その後、高校の学園祭でやった演劇で、曲目「エアー」を使ったこと、パイヤール室内管のLPを買って、生々しい金管の咆哮に驚愕したことなどを思い出す。
現在はピリオド演奏が主流だからか、演奏会で余り取り上げられないのは残念な気がする。
2016年7月23日(土)
民泊開始
 
 先日YBS(山梨放送)で紹介された
石和(いさわ)の家を外国人観光客に貸すため、AirBnB(エア・ビー・アンド・ビー)に登録、公開した。
準備に3か月を要したが、外国人から見た日本の魅力は何か?を考える楽しい作業でもあった。

畳、布団、障子、ふすま、こたつ、といった日本人には当たり前というより、むしろ古臭いと感じる物の方に興味を示すのでは?と、祖母が使っていた鏡台や、木の踏み台、親父の碁盤や碁石も復活させた。

石和がある笛吹市や隣接する勝沼市の売りは、温泉と桃やぶどうとワインだが、夏には笛吹川で花火大会や鵜飼もあるし、JRや高速バスで容易に富士五湖方面や昇仙峡にも行ける。

手彫りの英語表札も掲げ、英文の地図に近隣のおすすめスポットも記入して、後は予約が来るのを待つだけだが、どんな出会いが待っているか楽しみだ。

   
   
2016年7月10日(日)
立太君の成長
 
ノルトハウゼンの小林さんのご長男、立太君の活躍を示す二つの動画がユーチューブにアップされた。一つは、オーケストラを従えた、ウェーバー「コンチェルティーノ」。もう一つは、ストラヴィンスキー「3つの小品」(https://www.youtube.com/watch?v=_ZCi5i2_yC0)。
先月収録されたもので、どちらも高度なテクニックと音楽的完成度に圧倒される。

それもそのはず、今年13歳になる立太君は、3年前にベルリン音大プリカレッジに入学し、シュパンゲンベルク教授のもとで研鑽を積み、全ドイツ青少年音楽コンクールで満点1等賞を獲得しているのだ。

日本で13歳と言えば、僕に限らず初めてクラリネットを手にする頃だ。伝統と言えばそれまでだが、ライスターやザビーネ(マイヤー)にせよ、ヴェンツェル(フックス)やオッテンザマー父子にせよ、その歳頃までにほぼ演奏家としての基盤が出来上がっていることを考えると、彼我の差に呆然とするしかない。

因みに立太君のクラリネットは、シュライバーの子供用クラリネット、マッピはクックマイヤーのB2リードはバンドーレンのV12の3半だそうである。
2016年6月12日(日)
特ダネ
暑い暑い石和(いさわ)の昼下がり。人けのない国道沿いを歩いていると、前方に人影。男2人がカメラとマイクを持ち、キャスターらしき女性とこっちを見ながら何やら相談している。

ははん、街頭インタビューだな。「マスゾエをどう思うか?」なんて山梨じゃ聞かれないよなー、と思う間もなく女性がつかつかと歩み寄り、「突然すみません。YBS山梨放送のてててTVという番組ですが、何かお宝をお持ちでしたらお見せいただけませんか?」。

余りに予想とかけ離れた質問に、「いやー、お宝なんて何もありませんよ」と通り抜けようとするのだが、敵もさるもの、これを逃してはならじと食い下がる。(何しろ他に誰も歩いていない)
「今何をしてらしたんですか?」と聞くので、ちょっと閃くものがあった。

「実はね、僕は東京に住んでいるんだけど、石和に相続した一軒家があるんだ。年に数回しか来れないし、税金や維持費もかさむので、いずれ手放そうと思っていたところ、外国人観光客の急増で宿泊施設が不足してきた。そこで、民泊を始めてみようと家を改装し、今日は近所を探索してたところさ。もしこれが上手く行けば、お荷物だった家がお宝に生まれ変わるかも」。

やや無理筋ながら、かなりの興味と関心を示した3人の取材クルーは、早速家まで来て、室内や温泉風呂や庭をカメラに収め、インタビューを収録し、ノルマを果した安堵感を漂わせた。

   
 石碑には高熱温泉発祥の地とある  昭和36年に松蔵おじいちゃんが掘ったと
そこへもう一つお土産話。
「石和温泉は55年前、僕の祖父、松蔵が掘り当てたって知ってる?」「えー!!ほんとっすか?」と半信半疑の3人。
「ほら、この新聞記事にそう書いてあるし、証拠の石碑もあるから見に行く?」
ということで、石和温泉管理事務所の庭にある大きな石碑に案内。
「ほんとだ!碑文にもそう彫ってあります」。
彼らはこれも撮影したのは言うまでもない。

思わぬ展開に3人は、「今日はほんと奇跡でした」と大満足の様子。13日の夕方放送だそうだが、どんな風にまとめてくれるだろう。
2016年5月25日(水)
贅沢な日
昨年、アマチュア演奏家の親睦団体APA(エイパ)で、偶然会社の同僚だったFjさんに出会った。大学の後輩でもある彼は、アマチュアとしてはかなりハイレベルのチェロ弾きで、何度か室内楽を楽しんだこともあった。

今回、彼に誘われて「火曜会」という集まりに参加し、モーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲を連続演奏するという、めったにない幸運に恵まれた。特にブラームスは、オケの合宿などで遊び程度に合わせたことはあったが、じっくり演奏するのは初めてだ。

 
 Fjさん(右から2番目)と共演してくださった弦楽器の皆さん
結成から42年目となるAPAは、現在も全国で千人以上の会員を擁し、各地で活発な演奏活動を行っている。
「火曜会」もその一つで、会員が演奏したい曲名を事務局に伝えると、技量や相性まで勘案してメンバーをマッチングしてくれるという。
こうして集められた2つのグループが、毎週火曜日に新宿歌舞伎町のクラブ室と呼ばれるマンションの一室で演奏を楽しんでいることを初めて知った。
平日の集まりだからシルバー世代が中心で、75歳以下の会員は“若手”と呼ばれるらしい。

APA会員の8割は鍵盤楽器か弦楽器。畢竟レパートリーがピアノトリオや弦楽四重奏に偏りがちなので、今回のモーツァルトとブラームスのクラ五には演奏希望者が殺到したそうだ。
二組の弦楽メンバーは、ほとんどが初対面だったが、皆演奏経験豊富なかなりの連達。演奏していて曲をこよなく愛していることが伝わってくる。
ちょっとした打ち合わせで、テンポや間の取り方が自然に合い、どちらのクラ五も、数回中断しただけで全曲通すことができた。クラリネットも気に入ってもらえたようで、是非どこかで発表しましょうと再会を約した。

ティータイムを挟んで4時間吹き詰めだったので、楽器を支える右手親指が麻痺したものの、体力的にはまだまだ行けることを確認できたのも大きな収穫だった。
2016年4月27日(水)
コンプライアンス
2度あることは3度あるとはよく言ったものだ。大騒ぎになっている三菱自動車の燃費不正問題、やはりと実感した。

 
 思い出深いギャラン・ハードトップ
TVで、三菱車ユーザーが「2度もリコール隠しがあったからもう大丈夫と思った」と語っていた。期待を裏切られたユーザーは二度とこのメーカーのクルマを買うまい。

40数年前、大層気に入って「ギャラン」に乗っていた私は、新モデルがでかく鈍重になり、更に「ディアマンテ」というおよそ意味不明な名を冠したクルマを発売した時に見切りをつけた。なぜスペイン語?なぜダイアモンド?
客はスリーダイアが付いているから買うわけじゃない。

サラリーマンの哀しい性で、社員は上司やトップ(代表権のある取締役)の意向を汲んで仕事をする。
社内の不正を見聞きしても、自分の査定や報酬に響くことには口をつぐむ。
内部通報制度を作っても、上層部に対する信頼がなければホットラインが鳴ることはない。
(かつて通報した社員の名前を部門長に告げ口したバカな会社があった)
企業の風土や文化はトップの姿勢次第だ。野球もサッカーも監督次第。オーケストラも指揮者次第で、メンバー(社員)に大した差はないのである。

定年までの5年間、グループのコンプライアンスを担当した私は、幸いにもトップに恵まれた。
「良いニュースは遅れても良い。悪いニュースをいち早く報告せよ」というメッセージほど社員を勇気づけたものはない。掛け声だけでなく全社運動とするために、「楽しいコンプライアンス」を標榜し、グループ社員から「コンプライアンス川柳」まで募集したのは当社だけだったろう。
お陰でいくつかの不正の芽を摘むことができた。

上場各社が集うコンプライアンス研修会等で、三菱や東芝の担当者と会うことはなかった。
ブランドを築くには長い年月が必要だが、壊れるのはあっという間である。
2016年4月20日(水)
けっこう労作
「ラ・ヴァルス」のバスクラパートを全部B管で吹けるよう書き直したパート譜をアップします。

ご存知の通り、元々はA,B持ち替えですが、B管部分はそのまま残し、A管部分を半音低くしてあります。調号は煩わしいので省略し、全て臨時記号で表しました(元のB管部分は調号があるのでご用心)。
もう練習で5,6回使用したので大きな間違いはないはずですが、譜割り等の見難さはご容赦ください。全10ページです。
 1 10 

今回は「小組曲」の時のようなアナログ作業をやめ、楽譜制作ソフトによる一括変換を試みましたが、あえなく挫折。
「スコアメーカー」や「フィナーレ」最新お試し版をダウンロードし、パート譜をスキャナーで読み込んでみたものの、何度やっても出てくるのはオリジナルとはかけ離れたものばかり。
その間違いだらけの楽譜を時間をかけて修正するのもアホらしい。
もっとも、ソフト側に言わせれば、3拍子なのに1小節に8分音符が8つあったり、4分音符が4つもある理解不能な楽譜を書いたラヴェルさんの方がよほど常識外れなのでしょう。

 
 クリュイタンス/パリ音楽院による極め付けの演奏
そこで仕方なく、持っていた10年以上も前の「フィナーレ」を使って1音1音入力する羽目に。
完成までに1週間を要しましたが、お陰でオリジナルパート譜にあるミスプリも3カ所ほど訂正できました。
ラヴェルの楽譜は、同一小節内の同音でもオクターブで臨時記号が付いたり解除されたりするのですが、これも「フィナーレ」に「ありえない」と拒否されます。強制的に、あるいは覚えとして臨時記号を付けることもできるのでしょうが、どうしてもその方法が分かりませんでしたorz。

それにしても、混沌とした原始の宇宙から徐々に鼓動とリズムが生まれ、やがてワルツの断片が結合し合って狂乱の大団円に至る「ラ・ヴァルス」は、確かに面倒くさい部分もありますが、演奏していて自然に体が動き、血が沸き立つ名曲ですね。
2016年4月6日(水)
奇妙な関係
 
 仕掛けた罠に引っ掛からない賢いネズミ
夜中に天井裏からごそごそと音がするようになったのは数か月前からだ。暫くすると止むのだが、時々ととと、と小走りに天井を横切るような気配もある。

屋根裏部屋から懐中電灯を持って天井裏を照らしてみても何もいないのだが、たぶんネズミであろうと、殺鼠剤なるものを買ってきて何袋か撒いておいた。

数日して見に行くと、袋は食いちぎられて中身はないのだが亡骸も見当たらない。
「巣に戻ってから効いたに違いない。何か箱にそんな説明が書いてあったような」と一人合点したのもつかの間、その夜にまたまた来訪があった。

ならばと超強力を謳った白い殺鼠剤を皿に盛っておいたが、これもいつしか完食。
ひょっとしてイタチかハクビシン?はたまた蛇やも知れぬ(どうやって走るのか)。
どうしても正体を確かめたくなったので、玄関に設置してあった防犯カメラを天井裏の梁に取り付け、餌場付近の様子を居間のTVモニターで観れるように配線した。

するとある晩、赤外線カメラは暗闇に光る2つの小さな眼を捉えることに成功。
黒い影の大きさ、すばしっこさ、尻尾の形等からやはりネズミらしいことが判明した。
皿から餌を一つ一つ取っては用心深く別の場所に移動して召し上がっている。
なぜ毒を食べても平気なのか?それとも毎晩違うネズミなのか?訊いてみたい。

そこで先日作戦変更し、殺鼠剤の皿を粘着剤を貼ったボール紙の真ん中に置いてみた。
これにはネズミさんも困ったようで、ボール紙の周りをうろうろするばかり。
「えーい、思い切って行っちゃえ!いや、危ないからよせ!」。体が小刻みに前後する動きに内面の葛藤が表れているかのようだ。誘惑に負けず去っていく姿に同情した。
こんな意地悪をして殺鼠剤を食べさせないオレは一体善人なのか悪人なのか?
2016年3月14日(月)
ブラジャン2016
 
 これ以上入れませーん
今年は、過去最高800人の参加者が集い、これまで耳にしたことのない壮麗な響きを奏でた。皆初見だというのに「スター・ウォーズ」や「ジョージア・オン・マイ・マインド」など、結構難しい曲も最初からぴたりと合ってしまうところがすごい。
こんな国って絶対他にない。

聞くところでは、事前申し込みが定員の700名を超えたので、とうに募集を中止していたが、それを知らずに来場し、無念にも引き返さざるを得なかった人たちもかなりいたそうだ。
大さん橋ホールのキャパからすると早やMaxに達していて、前後列の音の時間差なども無視できない状態だが、ここから望む横浜の夜景の美しさは何物にも代えがたい。
参加者の半数は初参加らしいが、最寄り駅や座席の周辺ではシニアの姿も目についた。

 
 ベルリンフィルのバスクラ奏者も知らなかった名器

毎年ここでしか会わないホルツのSmさん。今年は、旧東ドイツはライデルのドイツ式コントラバスクラリネットを持って参加。周辺から盛んな質問攻めにあっていた。
また会場で、元同じオケで演奏していた人と再会するなど、僕にとってブラジャンは年に一度の楽しいお祭りだ。

今年のゲストは、すっかり常連となったさかなクンに加え、元シャネルズのクワマンこと桑野さんも参加。バラエティー・タレントかと思っていたが、歌もトランペットも驚嘆のレベル。聞けば親子3代にわたるプロのトランぺッターとか。

以下、自慢話。
曽我さんによる指揮者コーナーの中で、指揮者クイズが行われた。全員起立し、二者択一の10問で間違った人から順に座っていく。かなりマニアックな出題ゆえ、答えを知っていたのは2、3問だったが、全知を絞った当てずっぽうを連発したところ、7、8問を過ぎたあたりから立っているのは数名となり、全問正解は僕だけであった。

覚えている問題をどうぞ。
・リュリが指揮棒で死に至る怪我をした場所は(足)
・モーツァルトがツェルリーナ役の歌手に大声で叫ばせた方法は(お尻をつねる)
・クジラの骨でできた指揮棒を使ったのは(メンデルスゾーン)
・写真の指揮棒(太い棒の先端に飾り)は誰のものか(ブルックナー)
・始めて指揮法の本を書いたのは(ベルリオーズ)
・次の描写は誰の指揮ぶりを指したものか「数十人を指揮しながら、鋭い耳で間違いを指摘し、あらゆる声部を歌ってみせる」(J.S.バッハ)
・次の描写は誰の指揮ぶりを指したものか 「ディミヌエンドでは低くかがみ、ピアニッシモでは腹這い、フォルテでは立ち上がり両腕を振り回した」(ベートーヴェン)
・ベートーヴェンの交響曲を最初に全曲録音したのは(ニキシュ)
・フランス語で指揮者を何と呼ぶ(シェフ)

 
2016年2月28日(日)
おめでとう!
音楽大学大学院に在籍するArさんが書き上げた「ブラームスのクラリネット作品とミュールフェルト」と題する修士論文を読ませていただいた。

 
内外の40にも及ぶ膨大な文献や資料を読破し、ブラームスのクラリネット4作品にミュールフェルトが如何に関わったかを綿密な時代考証をもとに明らかにするとともに、モーツァルトとシュタードラー、ウェーバーとベールマン、シュポアとヘルムシュテットの関係を精査しながら、作曲家と名演奏家のコラボレーションが、かけがえのないクラリネット名作品を産み出してきたことを論証している。

論文の量は、通常の3倍の6千字にも及ぶ堂々たるもので、立派な内容とともに、側聞では、指導教官たちからも絶賛されたそうである。過日の口頭試問も無事パスし、3月末をもって晴れて大学院卒業となるという。

1年前、ミュールフェルトを論文のテーマに取り上げたい申し出た時、指導教授からは、資料が少ないからと反対されたそうだが、どうしても知りたいとの熱意と探求心が、このような力作を完成させたのだろう。

彼女自身、論文を仕上げながら、ドイツクラリネットについて深く知り、ミュールフェルトが生涯愛したマイニンゲンにも是非行ってみたいと思うようになったそうだ。
いつかマイニンゲンを訪れる際には、博物館学芸員のゴルツさんやヘルタさん、あるいはバンベルクのセゲルケさんを紹介できればと思っている。
2016年2月9日(火)
サルーティンのご利益?
 
 門下生編集の小冊子は実に興味深い
年明けからちょっとうれしいことが続いている。
最近入団したばかりの都内の小さな合奏団。4月の演奏会プログラムにモーツァルトのクラリネット協奏曲第1楽章が含まれている。本番はもちろんプロ奏者が吹くのだが、3月にならないとソロと合わせられない。オケだけの練習はいつもソロが出る直前で終わってしまうのだ。
そこで先日一計を案じ、自分の席からソロを吹いてみた。聞こえるはずのないソロに皆一瞬驚いた様子だったが、オケはそのまま演奏を続け、ついに第1楽章の終わりまで到達して拍手喝采。次からは公認で代吹きしているが、ピアノ伴奏と違いオケ伴の気持ち良さと言ったらない。

先週聴いた「浜中浩一追悼コンサート」のプログラムの追悼文にこんな一節があった。「先生はB管しか使わない日でも必ずA管も持って行けと仰ってました。いつモーツァルトを頼まれるか分からないから、と」。やっぱ日頃の心掛けが大事だね。

昨夏のこと、ある音大の先生からメールをいただいた。
指導しているクラリネット科の学生が修士論文で「ブラームスとミュールフェルト」をテーマに選んだが、「赤いはりねずみ」で紹介されているミュールフェルトの伝記本がどうしても手に入らない。ついてはその学生に一定期間本を貸してもらえないか、というのである。大事な本を見ず知らずの学生に貸すのもリスキーなので、先生が間に入って下さることを条件にお貸しした。
先日連絡があり、その学生が書いた修士論文が最優秀の成績でパスしたとのこと。
今月末に本の返却がてら、その学生さんから論文を頂くことになっている。その内容が今からとても楽しみだ。

 
 
ホルツのTkさんが中心となって、来日中のベルリン・シュターツ・カペレの木管楽器首席奏者たちを招いてミニコンサートを企画してくれた。
クラリネット首席は、2012年9月のホルツ・ワイマール・ツアーで大変お世話になったマティアス・グランダーさん。
折あらばヴェルメンをお見せして感想を聞こうと鞄に忍ばせておいた。
モーツァルトのセレナーデハ短調木管五重奏版を演奏中のこと、まずオーボエのグレゴール・ヴィットさん(写真下)が上管の水を気にし始めた。クリーニングペーパーでしきりに水を吸い取っている。
次にマティアスさん、中音Aの音孔の水を吹き飛ばし始めた。ふむ、これなら話が早い。
打ち上げパーティーで早速お二人にヴェルメンの使い方を説明すると、「なにこれ!すごい。ほんとに君が考えたの?この革は神戸牛?ベルリンでも買えるの?連絡先を教えて。他のメンバーにも紹介したい」と手放しの褒めよう。
まあ、お世辞半分としても、お陰でその場に居合わせたクラリネット仲間から幾つかオーダーをもらうことができた。
2016年2月1日(月)
次はバスクラ
 
 トクちゃんが亮多君を連れて来てくれた。バセットのパートナーMyさんと
「モツレク」が成功裡に終了した。
世田フィルも区民合唱団も持てる力を出し切り、満場から盛大な拍手をいただいた。我らバセットホルンの演奏も最上の部類だったと思う。

演奏後の打ち上げでFg嬢から聞いた話では、彼女の先生(当団管楽器トレーナー)がレッスンで「バセットは二人とも上手いなー」と言っていたとのこと。。。「早く言ってよ〜」

もう暫くはバセットホルンを吹く機会はないだろうが、今は「我満ち足れり」の心境だ。

さて、半年後の演目は「ラ・ヴァルス」と「幻想」である。「幻想」は2ndに回り、大好きな「ラ・ヴァルス」のバスクラを買って出た。

オケの備品は以前「復活」を吹いたセルマーのもちろんベーム式だが、我が演奏人生ではまだエーラーよりベーム期間の方が長いから問題あるまい。

また、inAで書かれているとは知っていたが、A管のバスクラなんて見たことないし、ネットで探せばきっとinBの譜面が見つかるだろうと高をくくっていた。
これが甘かった。どこにも見当たらないのだ。プロオケのライブラリーには必ずあるらしいのだが、それを借りる伝手はない。仕方なく半音低く書き直すことにしたが、「小組曲」とはわけが違い困難を極めた。

その顛末はまたとして、何れお困りの同輩の参考に校訂したパート譜を公開しよう。
2016年1月3日(金)
サルーティン
  
今年の版画は、ラグビー日本代表として大活躍した五郎丸選手のルーティン。

サルがやるからサルーティンだが、このアイデア、昨年10月頃には決めていた。
あとはテレビやネットで同様のイラストが出ないことを祈るばかりだったが、幸い目にしたことはない。
ただ、嫁に行った娘が暮れに「サルに五郎丸ポーズやらせれば?」と言ったから、さすが蛙の子は蛙、サルの子はサルである。

ちょとしたひねりは、ボールの模様が2016になっていることだが、気付く人はいないだろう。

さて、今年のサルは何を念じるのか。
当面は、今月末の「モツレク」のバセットホルン、そして6月定期「ラ・ヴァルス」のバスクラ(ベーム式!)がうまくいきますように、かな。